[第198回]「病は気から」???@ミュンヘン
美濃口坦 翻訳家兼ライター
ドイツでは、カバレットとよばれる世相を風刺する話芸が舞台や飲み屋で盛んに披露される。『Wunder wirken Wunder(奇跡が奇跡をうむ)』の著者エカート・フォン・ヒルシュハウゼンは医学博士で、医療をテーマにする「医学カバレット」という新しい分野を開拓し、テレビで健康関係のクイズ番組の司会をつとめる。
人気者で、書く本もかならずベストセラーになる。本書も昨年10月に出版された途端1位に躍り出て、それ以来18週間もトップの座を維持したままである。
著者が子どものころ、転んで泣くと母親がやさしく抱いて「ほら痛いのが飛んでいく」といって息を吐き出して手のひらにある「痛いの」を吹き飛ばしてくれたという。本当は「痛いのが飛ばない」からといって、子どものために「言葉の力」を利用しないのはおかしいと著者はいう。
「言葉の力」の例証として著者が挙げるのは、プラセボ(偽薬)効果だ。第2次大戦中の野戦病院でモルヒネが足りなくなって困った看護師が、激痛に苦しむ兵士に生理食塩水を注射して「強い薬ですぐに効く」というと、鎮痛効果があらわれたことが知られている。著者は、最近のプラセボ効果の研究を踏まえて、有効成分を含む本物の薬が上げている効果の30~40%は「言葉の力」なのだと主張する。
著者が目指しているのは、科学的西洋医学と、民間医療や東洋医学などの代替医療との間に橋を架けることだという。
ただし、この試みは必ずしも成功しているとは思えない。というのは、人間の身体に備わっている自然治癒力が代替医療では重要なはずだが、本書では軽視されているのだ。
それは、題名にある「奇跡」からも、「どのように医療と魔術が病を治すか」という副題からも察することができる。どちらも病を得たりけがをしたりした人間が誰か特別な能力の持ち主に治してもらうことを期待していることになる。自然治癒力からはほど遠い。
『Wer wir waren(私たちは何者だったか)』の著者ローガ・ウィレムゼンは著述家で、彼の議会審議傍聴記を過去に当欄で紹介したことがある。昨年彼はガンで亡くなった。生前、彼は「私たちは何者だったか」という本を準備していた。その頃著者は「未来について」という講演をしたが、これは計画する自著に対しての人々の反応を知るためであった。その後病気であることが判明して計画を断念。本書は、この講演が編集されたもので、出版にあたり、彼自身の手で書かれることのなかった本の題名がタイトルとして採用された。
本書のなかで著者は自分の見解を次のように説明する。自分たちが生きている時代を描くにあたり、過去にさかのぼってどうしてこうなったかを説明することが多い。自分は反対の道をたどり、未来の世代が自分たちをどのように見るかについて書きたいという。だから「私たちは何者だったか」という題名になる。
企画が実現しなかったのは残念であるが、本書を読むとどんな本になったかが想像できる。著者によると、今の時代はテンポが早くなり、人々も仕事を次から次へとこなそうとするために落ち着いて何かをすることもなく、通り過ぎるだけになってしまったと嘆く。また私たちが地球温暖化や戦争など厄介な問題に目をつぶり、自分の今の生活を変えようとしないで、脳波に反応して動き出す機械のようなハイテクによる「バラ色の未来」を夢見ているという。
このような文明批判は目新しくないかもしれないが、未来の世代から見て「私たちは何者だったか」と問われながら本書を読むと共感を禁じ得ない。
ゲルハルト・ウィスネウスキーの『verheimlicht – vertuscht – vergessen 2017 (秘密にされ、隠され、忘れられて)』は2016年に報道されなかった事件が記載されていて、10年も前から毎年刊行されているそうだ。
先進国で右のポピュリズムが台頭しつつある。ドイツも同様で、その支持者はメディアに対する不信を口にする。本書もそのような人々を目当てしているとのことで、好奇心に駆られて手にとる。
大多数の事件が題名通りに「秘密にされ、隠され、忘れられて」いるせいか、ほとんど知らないことばかりで、読みづらくて先に進めなかった。
そこで目次を見ると英のEU離脱があり、こちらは有名な事件で読む気になる。本書によると、メルケル首相の難民政策が英国で離脱賛成派に決定的な追い風になったとある。英国はEU加盟国の国民の移入は阻止しにくいが、難民は受け入れなければそれでもすむ話だ。そのために、わざわざEUを離脱したなどとは考えにくい。それなのに本書がドイツの難民政策をもちだすのは自国を重要だと思いたいからではないのだろうか。
ドイツのメディアに接して不満に思うのは隣国の人々がどんなことを考えているかよく報道してくれないことだ。この点で、負けて怒るにしろ勝って喜ぶにしろ,自国チームばかりを問題にしているサッカー報道とあまり違わないような気がすることが少なくない。
Minoguchi Tan
翻訳家兼ライター。1974年にミュンヘンに移住。80年から約20年、書店を経営。共訳書にアイベスフェルト『比較行動学』(みすず書房)。
ドイツのベストセラー(ノンフィクション部門)
2月11日付Der Spiegel紙より
1. Wunder wirken Wunder
Eckart von Hirschhausen エカート・フォン・ヒルシュハウゼン
医者の著者が「病は気から」の微妙な世界をユーモラスに扱う。
2. Wer wir waren
Roger Willemsen ローガ・ウィレムゼン
未来の世代の目に映る私たち。1年前に早死にした著作家の遺著。
3. Alexander von Humboldt und die Erfindung der Natur
Andrea Wulf アンドレア・ウルフ
探検家、地理学者のアレクサンダー・フォン・フンボルトの伝記。
4. Das geheime Leben der Bäume
Peter Wohlleben ペーター・ウォールレーベン
自然林を理想とする著者が生きている樹木について語る。
5. verheimlicht – vertuscht – vergessen 2017
Gerhard Wisnewski ゲルハルト・ウィスネウスキー
2016年に隠され、秘密にされているうちに、忘れられた事件。
6. Keine Zeit für Arschlöcher!
Horst Lichter ホルスト・リヒター
テレビ料理番組シェフの自伝で、人生論を展開する。
7. Das Seelenleben der Tiere
Peter Wohlleben ペーター・ウォールレーベン
「自然林」の本の著者が動物にも感情や魂があると訴える。
8. Konklave
Hubert Wolf フーベルト・ウォルフ
コンクラーベ(法王選挙)についての教会史家の詳細な記述。
9. Warte nicht auf bessre Zeiten!
Wolf Biermann ウォルフ・ビーアマン
体制批判のために東独市民権を剥奪された詩人兼歌手の自伝。
10. Das gabs früher nicht
Bernd-Lutz Lange ベルントルッツ・ランゲ
1944年生まれの自称「末期モデル」の風刺的時代診断。
(次ページへ続く)