発行:2015/12/17
概要
ドイツに流入する難民の数が増え、難民収容施設での放火事件なども多発していることから、ドイツ国民は強い不安を覚えている。こうした中、ドイツ経済研究所(DIW)が「難民のインテグレーション-長期的にやりがいのある投資」という予測リポートを発表するなど、難民の受け入れによる経済的効果についての議論が始まっている。
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「7年後には難民の方がドイツにお金をもたらす」「長期的には大きなチャンス」「エコノミストが常識を覆す」といった見出しが新聞をにぎわせている。
メルケル首相は「難民歓迎・美談」によってメディアからは賞賛されたが、欧州の中で孤立してしまった。それだけでなく、80万人、100万人、150万人と増大する難民流入の行く末に不安を覚える国民からもそっぽを向かれてしまった。窮地に陥る彼女に福音のようなニュースをもたらしたのは、ドイツ経済研究所(DIW)が2015年11月5日に発表した「難民のインテグレーション-長期的にやりがいのある投資」という予測リポートである。
彼らは難民であり、ドイツで就職するために来た移民でなく、本来、保護を求めてドイツに来た人々である。この困っている人々がドイツ経済に利点をもたらすかどうかについて論じることに、抵抗を覚える人も少数ながらいる。また「難民歓迎・美談」のソフトランディングに経済学が利用されることにいら立ちを覚える人も多く、エコノミストの間で議論が始まっている。シュピーゲル誌も2015年11月13日号に、上記のDIWのマルセル・フラッチャー所長とエコノミストのダニエル・シュテルター氏の論争を掲載した。
「難民の経済学」と称するものが、ドイツにあるわけではない。とはいっても、工場労働が重要であった1950年代、1960年代、ドイツは外国人労働者を受け入れてきた。そして1970年代以降、移民受け入れの経済的側面が絶えず議論され、少子高齢化社会のドイツにとって特効薬になるかという観点から論じられた。今回の議論でも直接口にされなくても、この特効薬としての期待が人々の頭の中にある。
甘い想定
難民の受け入れによる経済的効果についての議論で大事なのは、支出と収入をはっきりさせることである。お金が入って来るようになるためには、やって来た外国人に働いてもらわなければ話にならない。DIWのリポートのタイトル「難民のインテグレーション」は、彼らを労働市場に組み込むという意味である。難民・政治亡命者には住居や食事など生活に必要な資金として、1人当たり月額約1,000ユーロ(1ユーロ=130円で計算すると約13万円)が支給される。DIWは、難民を支援することによる経済的負担を心配する国民に対し、図表1に示した経済的効果を提示する。
【図表1:難民の受け入れによる経済的効果】 | (単位:%) |
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出所:http://www.diw.de/documents/publikationen/73/diw_01.c.518252.de/15-45-4.pdfを基に筆者作成 |
難民受け入れによる経済的効果については、ベースラインシナリオ、楽観的シナリオ、悲観的シナリオといった具合に三つのシナリオが想定されている。折れ線グラフでは少し見にくいかもしれないが、ベースラインシナリオでは2021年に、楽観的シナリオでは2018年にプラマイゼロを抜け出してドイツの納税者と社会保障体制の負担がなくなる。だから「7年後には難民の方がドイツにお金をもたらす」という冒頭の新聞の見出しになるのである。
悲観的シナリオで黒字になるのは2026年でかなり先の話である。とはいえ「長期的にはやりがいのある投資」であるように見える。このような予測ではいろいろな条件を想定した上で計算されるが、次にその条件を眺めてみる。
DIWは2015年、2016年とも150万人、2017年には75万人、2018年から2020年まで毎年50万人の難民が流入するとみている。ただし、この中にはシリア難民だけでなく東欧圏、アフリカ、アフガニスタン、イラクなどの出身者も含まれており、彼らがどれほどの割合で難民もしくは政治亡命者として認定されるかが重要である。というのは、難民・政治亡命者として認定されない人は本来ドイツに滞在できず、滞在許可がなければ就労することもできないからである。
【図表2:難民・政治亡命者の認定率に関するシナリオ】
出典:http://www.diw.de/documents/publikationen/73/diw_01.c.518252.de/15-45-4.pdfを基に筆者作成
図表2から分かるように、DIWが示したシナリオでは、半数以上の人は難民または政治亡命者として認定されない。彼らは本来なら国外退去しなければならないが、実際には出身国が帰国者の入国を許さない、あるいは本人が病気であるなどの理由から、退去命令が執行されずドイツに残る人が多い。このような人々は働くことができない以上、生活保護に準じるものを支給され、ドイツ側に負担が生じたままとなる。
また、図表2が示すように、ベースラインシナリオ、悲観的シナリオ、楽観的シナリオの三つのシナリオでそれぞれ55%、60%、50%の人が難民・政治亡命者として認定されないことになる。DIWのリポートは、これらの難民・亡命者として認定されないために本来退去すべき人々の半分がドイツに残ると想定する。これは彼らが5年後に4分の1に、さらに5年経過すると8分の1にまで減少するとの仮定に基づき計算されている。
DIWのリポートに対する批判者の中には、この想定が甘いとする人が多い。というのは、現実にはドイツに残る人の割合はこれまでもっと高く、また難民発生の原因は今後増大する一方であると考えられているからである。とすると、図表1の「難民の受け入れによる経済的効果」のグラフも、もっと悲観的なものになりそうだ。
【図表3:労働力人口に関するシナリオ】
出典:http://www.diw.de/documents/publikationen/73/diw_01.c.518252.de/15-45-4.pdfを基に筆者作成
上の図表3にある「労働力人口」もコスト計算において重要である。これは、年齢的に就業可能であると同時にその意志のある人々の割合だ。この割合が低いと、就業者の数が少なくなる。現在、難民・政治亡命者には若い男性が多く、この点については直接問題視されていない。とはいっても、シリア難民が家族を呼び寄せることの是非が議論されているのは、この労働力人口と関係がある。昔から、10万人の外国人労働者が来ると、家族を呼び寄せることによって人数がその5倍の50万人になるといわれている。こうなると労働力人口の割合は当然低下し、負担コストが増加する。この要因については、今回のリポートでは考慮されていないように見える。
【図表4:難民・政治亡命者の失業率に関するシナリオ】 | (単位:%) |
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出典:http://www.diw.de/documents/publikationen/73/diw_01.c.518252.de/15-45-4.pdfを基に筆者作成 |
図表4は、難民・政治亡命者の失業率に関するシナリオを示したものである。難民・政治亡命者として認定されるまでには2年程度かかる。従って、現在までに大量に押し寄せている難民の中から失業者が発生するのは2017年ごろからである。認定後の3年目からそれまでの月額1,200ユーロの「丸抱え状態」から脱出する人が3割半から5割ぐらいまでいるというのが、失業率65%や50%の意味するところである。上述したシュピーゲル誌でDIWのリポートを批判しているエコノミストのシュテルター氏は「悲観的シナリオも楽観的過ぎる」と表現している。
【図表5:就業した難民・政治亡命者の労働生産性に関するシナリオ】 (単位:%)
出典:http://www.diw.de/documents/publikationen/73/diw_01.c.518252.de/15-45-4.pdfを基に筆者作成
図表5は、ドイツの平均労働生産性に対する就業した難民・政治亡命者の労働生産性の割合を示す。この表の値と図表4の高い失業率を考えると、難民・政治亡命者は、図表1が示すように、将来いつか税金を払うようになるかもしれないが、低所得層を形成し、失業の不安に脅かされて暮らす人々である。
何よりも重要な教育
彼らが労働市場に組み込まれても競争力に乏しいのは、ドイツ語ができないだけでなく、多くの場合、出身国で教育機関が十分整備されていないために教育水準があまり高くなく、専門的な職業教育も受けていないからだ。識字率が低い場合も少なくない。
ドイツでは初等、中等、高等教育も職業専門学校もそのほとんどが公立であり、お金を払わないで勉強することができる。そのコストはドイツの納税者が負担している。DIWのリポートは難民に働いてもらうために教育の重要性を強調するが、この教育コストがリポートでは考慮されていない。シュピーゲル誌でDIWのフラッチャー所長の論争の相手となったエコノミストのシュテルター氏が批判するのも、この点である。
【図表6:2004~2013年の失業率】 | (単位:%) |
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出典:https://www.bertelsmann-stiftung.de/fileadmin/files/user_upload/Bonin_Beitrag_Zuwanderung_zum_dt_Staatshaushalt_141204_nm.pdf を基に筆者作成 |
上の図表6は、欧州経済研究センター(ZEW)のホルガー・ボーニン氏の研究リポート「外国人ならびに将来の移民の財政的貢献」の58ページにあるもので、ドイツ人より外国人の方が、はるかに失業率が高いことを示す。また、その格差もわずかであるが広がりつつある。
既に述べたように、ドイツは1950年代、1960年代に多数の外国人労働者を受け入れ、工場で単純労働に従事させた。彼らの多くは、自分の子どもに親より高い水準の教育を受けさせるという発想が乏しく、2代目、3代目も教育水準は全体としては1代目とあまり変わっていない(もちろん例外も多くある)。図表4に示したように、外国人(難民・政治亡命者)の失業率が高いのもこのためである。上記の研究リポートの著者であるZEWのボーニン氏は教育を重視しており、移民を受け入れるべきであり、ドイツは前世紀に犯した間違いを繰り返してはいけないと警告する。
図表7は、DIWのリポートの批判者であるエコノミストのシュテルター氏が作成したものである。ドイツで一般的な雇用関係にある人々は、ほぼ額面給与の40%分を税金と社会保険料として天引きされる。縦軸は、難民・政治亡命者の間でこのような形で税金・社会保険料を支払う人々の割合を示し、横軸は年収を示している。ここでは、就労せず税金も社会保険料も支払わない難民・政治亡命者1人当たりに掛かる年間コストは2万5000ユーロ、流入難民総数は100万人と想定された。
(単位:1,000ユーロ) |
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図表7は納税や社会保険において、どのような条件の組み合わせが難民・政治亡命者が赤字をもたらすか、それとも黒字をもたらすのかを示す。赤字になる組み合わせは赤色で、黒字は緑で、プラマイゼロは黄色で表示されている。DIWのリポートとは異なり予測でなく、このマトリックスは難民の経済的効果を考えるための参考値にすぎない。
図表7から分かるように、年収8万ユーロの高所得者が難民・政治亡命者の80%を占める場合、ドイツ側にとって大歓迎で「末永く滞在していただきたい」という話になる。次にプラマイゼロに接近するのは年収が4万ユーロの人々が60%を占める場合であるが、この水準に到達するのは不可能に近いと思われる。このように考えると「難民歓迎・美談」によってドイツの少子高齢化社会の問題は軽減されるどころか、とんでもなく大きな負担を抱え込むことになる。
このような状況から、経済界は難民・政治亡命者を(2015年1月に導入された)時給8.5ユーロの法定最低賃金の適用外にすることを提案している。そうなると今度は外国人とドイツ人低所得層との間にもっと厄介な問題が発生する心配がある。既に難民やその収容施設に対する攻撃的行為が同年10月末までに約640件発生しており、そのうち約70件は放火である。
最後に、経済とは直接関係がないことを付け加える。ドイツの人々の頭の中では、必ずしも難民と移民が区別されていないように思われる。例えば、難民が多数来るといった途端「長期的にやりがいのある投資」といったリポートが登場する。これも彼らが移民扱いされていることになる。難民とは、戦禍などで住む場所を失い困っている人々で、国際法上保護されなければならない。彼らがゴムボートで海を渡るなどの危険を強いられるのを見たら、本当なら船や飛行機で運んであげるべきである。ところが、こんな発想を多くの人が持たないのは、彼らが保護されるべき難民でなく、豊かなドイツのおこぼれにあずかろうとする移民で、リスクはつきものと思っているからではないだろうか。
難民でなく移民だからこそ、彼らが欧州に向かって動き出したときにドイツの人々の頭の中で存在し始め、その前の彼らの状態は意識されない。例えば、400万人以上のシリア難民がトルコ、ヨルダン、レバノンなどの周辺国で収容され、その支援を行っている国連担当機関が2014年から極端な資金不足に悩まされていることなどには関心が向けられず、そもそもほとんどの人はその事実を知らない。報道されることがあっても極めて珍しいことである。
最近、欧州連合(EU)は、欧州へ流入する難民を抑制するための対策として、トルコに30億ユーロを拠出することを決めた。その途端、トルコからギリシャへ渡ろうとしていた1,300人の難民が「不法移民」として摘発された。「難民歓迎」は難民と移民の区別もできなくなった人々の「美談」で、手前勝手から門戸を開いたり閉じたりする。彼らは、それにすっかり振り回されている人々が迷惑を被っていることにあまり気付いていないようで、これには驚く。
日本政府はシリアやイラクの国内難民に8億1000万ドルの支援を行うと発表した。日本国内では「金を出すだけで難民を受け入れない」と批判されているそうだ。でも、日本の支援は、難民に「無駄なご足労」をお掛けするわけでもなく、金額としても小さくないので、私には立派なものに見える。
M304-0017
(2015年12月3日作成)