より根源的な漠然とした地理的な認識パターン

著者のサーシャ・スタニシチはテレビなどのインタビューで見ると本当に感じのいい好青年である。書いたものも読ませる。でも本書を読みながら、どうしてあのような紛争になったのかを著者がどう考えているのかが私にはとても気になった。

この点について彼は次のように説明している。

  • 当時のユーゴ社会主義連邦内の共和国のあいだに経済的格差があったが、強いところは自国の負担を不当と感じ、連邦から出たいと思っていた。弱い共和国は格差を不公平と感じていた。これは再分配の問題で、一国のなかにもよくある問題である。またEUのなかでも似た話だ。
  • 共和国はセルビアとかクロアチアとかムスリムとかいった民族、文化、宗教の単位と部分的に重なっていたが、共和国もしくは民族の間はしっくり行っていなかった。
  • チトーの死後、著者の見解では、連邦を統合する接着剤の社会主義イデオロギーがだんだん効力を失って来ていたという。
  • それぞれの共和国では、ナショナリズム(民族主義、ナワバリ主義)を煽る政治的指導者が強まった。例えば、スロボダン・ミロシェヴィッチ、フラニョ・トゥジマン、アリヤ・イセトベゴヴィッチがそうだ。

私も1990年代の紛争中だいたいこのように思ってドイツのメディアを通して紛争を見ていた。以上の1)から5)までのことは決して間違っていない。でも重要なことが欠けていると思っている。これを考慮しないとこの戦争を誤解したままにすることであり、同時にドイツ政府、また西欧、その影響下にあるメディアの公式的なユーゴ紛争のイメージを鵜呑みにすることである。私がこのことを感じはじめたのは90年代の中頃からであった。

その経緯を説明しはじめると長くなるので、結論だけをいうと、この紛争は、冷戦、それどころか、おそらくその前の時代の戦争を継続し、チトーのユーゴ連邦を崩壊させたと考えるほうが現実に近くなるように思われる。そのような解釈になるのは、普通メディアではあまりはっきりと出て来ない諜報活動という側面を考慮しているからである。

冷戦時代に西独の諜報活動をしていた連邦情報局(BND)は、当然なことだが、共産主義の東欧圏の国々にスパイ網をもち、米情報機関と協力するものの独自の諜報活動をしていた。

次にこのドイツに協力するスパイ網、すなわち強固な人脈はどこから来たのかというと、ドイツ敗戦後米軍の支援で西独にできた「ゲーレン機関」から由来するものである。これは、ナチドイツの諜報活動の指揮者の一人であったラインハルト・ゲーレンが敗戦後に将来の対ソ戦に備えるために第二次大戦下東欧・ソ連圏でつくりあげた諜報人脈を温存するために設立した組織である。ソ連との対立を予想していた米国もこの組織を利用することにした。西独誕生後の1956年にドイル連邦情報局が誕生するが、これは上記のゲーレンが初代の局長におさまる。

1945年以前の対ソ戦の時も、その後の冷戦下も、東欧・ソ連圏の対独協力者は、言うまでもないことだが、極端な反共主義者であり、ファシストであった。ユーゴの場合も、比較的よく知られているクロアチアに限れば、第二次大戦下もまた1945年以降も対独協力者は反セルビアで、クロアチア独立や大クロアチア主義を掲げる組織・ウスタシャに関係する人々であった。

冷戦が終了する前の80年代のはじめから、また冷戦終了後もドイツの諜報機関がこのような長年の協力者の意図に従って動いていたとよくいわれるが、これもどこか当然なことである。ユーゴ紛争勃発後、いつも米国や英国の意向を気にするドイツが当時独断でクロアチアの独立宣言を認めたのも、(私には当時異様に思われたが、)このような長年に渡る諜報活動レベルでのウスタシャとのコネクションを考えるとよく理解できる。

次に重要なのは、ドイツのメディアの流れが当時急速に「セルビア悪玉」対「クロアチア善玉」になってしまい、最終的には西側全体のユーゴ紛争解決案に影響した。

私もはじめのうちはドイツのメディアに影響されて、このようなドイツ式勧善懲悪のメガネでバルカン問題を眺めていたが、そのうちにだんだん懐疑的になる。当時諜報活動的側面はメディアでは報道されず、全然といっていいほど知らなかったが、それでもだんだん胡散臭いものが感じられたからである。

第二次大戦下、ヒットラーはバルカン作戦を実行する。ドイツ軍はウスタシャと組んで、抵抗するセルビア人組織のチェトニックと戦った。90年代メディアでセルビア人の残酷さに憤慨するドイツ人を見ていて、1941年ナチの党機関紙『フェルキッシャー・ベオバハター』のバルカン報道を読んで怒っている「銃後の民」を連想した。

もちろんナチ時代とは異なり、戦後西ドイツでは旗印は変わってしまい、反共であり民主主義や自由を防衛するためになったが、それでもそのようなイデオロギー以前のより根源的な漠然とした地理的な認識パターンが昔から存在していて、人々の意識を規定しているように思えて仕方がない。

こう考えていくと、独社民党が始めて、最後には冷戦終了と東西ドイツ統一として結実した「東方外交」は例外的なものであったことになる。ところが、周知のように冷戦が再開してしまい、「欧州共通の家」のことも夢もまた夢になったが、これも漠然とした地理的認識パターンがいかにこの国の人々の意識の中で強いかをしめす。最近ではウクライナ問題でのドイツの反応や対応を見ていて私にはそう感じられた。そのうちにウクライナとドイツの過去に築き上げられた諜報コネクションの噂も耳にする。

3.6.2019