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EUという死角-ドイツのTTIP議論

発行:2015/06/04

概要

米国と欧州連合(EU)は2013年から環大西洋貿易投資パートナーシップ(TTIP)の交渉中である。しかしドイツでは反対する人が過半数を超えつつある。TTIP推進派は経済成長や雇用創出など経済的利点を強調する。反対派は投資保護に関して、国際的な仲裁廷による紛争解決に反対するなど政治的論拠を挙げる。経済的論拠は以前ほど説得力を発揮しない。

2015年4月13日、ハノーバー・メッセ(国際産業技術見本市)の初日のことだ。ドイツ産業連盟(BDI)のウルリッヒ・グリロ会長は記者会見1で原油価格低下、ユーロ安、民需の増大という三つの有利な条件を指摘し、2015年度の成長率を1.5%から2%に上方修正した。彼はこの好景気の追い風に乗って、工業立国ドイツの将来のために投資をしなければいけないと述べた。そのためにも現在交渉中の環大西洋貿易投資パートナーシップ(TTIP)が重要だとした。このTTIPであるが、環太平洋連携協定(TPP)の欧米版といった方が日本人にはぴんとくるかもしれない。

グリロ会長は「これ以上時間を無駄にしてはいけない」「議論を事実に近づけるために情報活動に力を入れる」と言って「ハノーバー宣言」というキャンペーンの開始を発表。この標語が「明確なルールこそ真のチャンス-ドイツのために強いTTIP」である。

TTIP推進派のジレンマ
BDIがキャンペーンに踏み切ったのは、このままでいくとTTIP反対の声がどんどん強まる恐れがあるからだ。

【図表1:TTIPに関するアンケート(良い/悪い)】 (単位:%)
M304-0013-1
出典:https://yougov.de/news/2015/03/31/viele-deutsche-sind-gegen-ttip/

図表1は世論調査機関YouGovが2015年3月18~25日に上記7カ国で総数2,015人を対象に実施したアンケート結果である。

ドイツだけの調査としては世論調査機関TNSエムニドのアンケート調査2がある。同機関によると、2014年4月の調査では「TTIPを良いことと肯定した」人が55%であったが、10月には48%まで下がった。これはTTIP反対者の増大を示しているといえる。

2014年の秋に欧州連合(EU)の委託で、上記7カ国だけでなく、多数の欧州諸国で実施された調査3がある。これによると親米的なバルト3国や東欧圏はTTIP賛成者の割合が高い。例えば、エストニア72%、ラトビア66%、リトアニア79%、ポーランド73%、ルーマニア75%といった具合である。ギリシャやスペインなどの南欧諸国も賛成者が多い。

一方、TTIP賛成者の割合が半分以下であるのは同割合39%のドイツ、同じく39%のオーストリア、40%のルクセンブルク、50%のフランスの4カ国だけである。これらのいろいろな調査から分かるようにドイツは欧州の中でTTIPに対する反対が一番強い国である。

ここで図表1に戻ると、YouGovの調査結果は、他の調査と比べてTTIPを「良いと思う」人と「悪いと思う」人の割合が小さく、反対に「分からない」人々の割合が大きい。ドイツを見ると、賛成と反対は26%と43%、「分からない」が30%であるが、この結果は、これまでドイツで暮らし、いろいろな人と話をした筆者の実感にかなり合致している。

M304-0013-2ドイツでは、TTIPは1年前、また半年前には今ほど知られていなかった。賛成者も反対者も今よりずっと少なかった。2015年4月18日にドイツ国内230カ所でTTIP抗議集会とデモが開催された。左の写真はミュンヘンで行われた集会で、主催者によると2万人が集まったというから、大きな動員力である。似たような集会は以前もあったが、これほど人は集まらなかった。

とすると、TTIPは知られれば知られるほど、反対が強まるようだ。この点こそ、BDIをはじめとする推進派にとってのジレンマである。下手にTTIP推進のキャンペーンを行うと、反対の結果を招く可能性が高いかもしれないのだ。

内政でも外交でもない
TTIPというと、その準備のために米国とEUの間で2012年1月から「雇用と成長のための上級作業部会」が定期的に開催された。オバマ米大統領やEU側のバローゾ委員長(当時)が本格的交渉の開始を発表したのが2013年2月で、それ以来9回も交渉の機会が持たれた。ということは、多くの人がTTIPについて事情を知るようになるまでにかなり時間がかかったことになる。

このような遅れは、米国と交渉しているのがドイツ政府ではなくEUだからであろう。昔からEUに関わることはドイツ国民にとって外交かそれとも内政かがはっきりしないので、死角に入ってしまうといわれた。また長年欧州統合には親睦会的なところがあり、おめでたいことで手締めをするといった儀式的な性格が強かったという面もある。ニュースものどかでぴんとこないものが多いために、欧州議会議員選挙の投票率は国政選挙よりいつも低かった。

欧州統合も1993年にEU発足で事情が変わったはずである。ところが人々の意識は変化についていけないようだ。欧州議会議員選挙の投票率も下がる一方である。1979年の同投票率は欧州全体で63%、ドイツでは65.7%であったが、2014年にはそれぞれ43.1%と47.9%まで下がっている。またドイツでは、欧州議会議員選挙の投票率は国政選挙の投票率と比べて低く、初めのころは約10%の差であったが、現在では30%までその差が開いている。

このようなEUという死角はロビー団体に好都合だといわれる。現在TTIPの交渉が世論を蚊帳の外にして進行するのもこの点と無関係ではない。交渉内容は極秘扱いで、欧州議会議員は交渉についての書類を特別に設けられた閲覧室で読むことはできても、ノートをとったり携帯電話などで撮影したりできないように厳重に警戒されている4

このような措置は、国民が交渉内容を知り、議論することが望まれていないからであろう。こうして加盟国の議会は交渉結果に同意するか反対するかだけになり、どこの国も自国が欧州全体のブレーキになりたくないことも手伝って、前述したようなEUに多く見られる「手締め」方式でTTIPが成立する可能性がある。

かみ合わない議論
TTIPが実現すると、米国とEUとの間で関税がなくなったり、規制や基準を同一にしたり、相互承認したりすることになり、商品も資本もその往来が円滑になる。これは経済成長や雇用創出につながる。推進者はこのような経済的利点を強調するが、反応は意外に小さい。

米国とEU間の商取引のシェアは世界全体の60%を占め、TTIPがなくても盛んである。現在の3%ばかりの関税を今後も払い続けて財政赤字削減に寄与するべきだと言い出す人も現れた。経済的論拠に以前ほど説得力がないのは、世界金融危機/ユーロ危機で人々の意識が変わったからである。

TTIPを実現させないと、米国はアジア諸国と組むので「欧州はバスに乗り遅れるな」とか、米欧の国民総生産が世界の半分近くを占めていてまだ力があるうちに「西欧的基準」を「世界基準」にしておくべきだという政治家や経済関係者もいるが、普通の人々はそうかもしれないと思うだけで、そうした経済的論拠にあまりインパクトはないようだ。

M304-0013-3TTIPに反対する人々が心配するのは経済的なことではないので、議論がかみ合っているとはいえない。写真のティロ・ボーデ著『Die Freihandelslüge(自由貿易のためといううそ)』を読むと、この点が分かる。これはTTIP交渉のストップを要求する本で、かれこれ7週間もベストセラーの上位に位置している。

著者のボーデ氏は消費者保護団体「フードウオッチ」の代表者である。ドイツではTTIPを多くの人々に分かりやすいように「米欧間自由貿易協定」と言い換えているが、これは誤解を招くと彼は言う。というのは「自由貿易」はカモフラージュにすぎず、TTIPの真の意図はグローバルに活動する投資家の利益を保護する点にあるからだという。本書のタイトルである「自由貿易のためといううそ」も、この考え方による表現である。

著者は、長年裁判官を勤め、社会法の分野で権威のあるユルゲン・ボルヒャエルト氏がジグマー・ガブリエル副首相兼経済相に宛ててTTIPの違憲性を説明した手紙を援用してこの見解を説明する5。それによると「TTIPの投資保護条項は、普通の自由貿易協定とは異なり、投資家の所有権を保護するのでなく、投資家が期待する利潤を保証することになる」。ということは、投資家がもうけようと思って投資をしたがその通りにならない場合、納税者が負担することになる。これは市場経済原理の空洞化であり社会主義への第一歩であるといえよう。

例えば、(投資事業やその製品などの)安全性に関連して今まで知られていなかった事実が判明したとする。投資を受け入れていた国は住民の安全のために行政もしくは立法措置を取る。TTIPでは、このために利潤を得ることができなくなったと思う外国人投資家は、国内の裁判所でなく、国際的な仲裁廷に解決を求めることができる。

ちなみに同じ立場にある国内企業は国内の裁判所に訴えなければいけないので、外国と国内の企業が法的に別々に扱われることになる。「不平等条約」として憤慨する人もいるかもしれないが、最近になってドイツ中小企業連盟のマリオ・オーホーフン会長もこの投資保護条項に反対すると述べた6

現在米国とEUは、いろいろな規制や基準、検査方法などを同じものにできるか、それとも相互承認するかどうかについて交渉中である。TTIPが成立後、問題が発生して合意された基準をドイツ側が変えようとしたときには、米国と交渉し了承を得なければいけない。これは自国の立法権の制限を意味する。

認可に関しては、欧州は検査が厳しく、その結果時間がかかる。それはメーカー側が安全性を証明しなければいけないからである。反対に米国は市場化されるまでの規制が煩雑ではない。流通する商品について消費者側にその問題性の証明義務がある。メーカーが欠陥を証明され、集団訴訟によって巨額の賠償金を支払うことが米国ではよくある。欧州から見ると、これは消費者の安全性を軽んじているとされる。このような米国と欧州の法文化の違いを重視して、TTIPに懐疑的な人々も少なくない。

次はTTIPで設置される米欧の「規制協力会議」である。ここには米欧の業界の代表者が参加し、立法についてその初期の段階から調整する。現在でも議会で立法に携わる政治家は専門的知識が不十分であるためにロビー団体の活動に対して受け太刀であるが、ボーデ氏をはじめ多くの反対者が心配するのは、ロビー団体を招待するのに等しいこの仕組みによって、議会民主主義の空洞化に拍車が掛かることである。

メルケル首相やユンケル欧州委員会委員長は、2015年内にTTIP交渉を終了させたいそうだ7。1995年から1998年まで、TTIPに似た内容の多国間投資協定(MAI)構想が経済協力開発機構(OECD)加盟国の間で交渉されたが、交渉内容が漏れ、フランスが国内の反対によって参加しないことになり、立ち消えになった。今回もEU主要国で反対運動が高まると、同じ結果になるかもしれない。

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1 http://www.bdi.eu/163_20453.htm
2 http://www.spiegel.de/wirtschaft/soziales/ttip-haelfte-der-deutschen-findet-freihandelsabkommen-mit-usa-gut-a-1000224.html
3 http://www.faz.net/aktuell/politik/europaeische-union/eu-umfrage-deutsche-lehnen-mehrheitlich-ttip-ab-13399065.html
4 http://www.eldiario.es/economia/eurodiputado-espanol-TTIP-despojan-boligrafos_0_372713416.html
http://www.zeit.de/wirtschaft/2014-10/ttip-fehlende-transparenz-eu-parlament
5 Thilo Bode:Die Freihandelslüge. 109p
6 http://www.handelsblatt.com/unternehmen/mittelstand/freihandel-mittelstand-hegt-vorbehalte-gegen-ttip/11655636.html
7 http://www.spiegel.de/wirtschaft/soziales/ttip-merkel-und-juncker-wollen-noch-2015-abschluss-a-1021800.html

M304-0013
(2015年4月27日作成)