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独自動車メーカーの夢 - プレミアムカー戦略

発行:2015/11/11

概要

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ドイツの大手自動車メーカーが排ガス規制を逃れるため違法なソフトウエアを搭載したディーゼル車を販売した問題が発覚するまで、ドイツの自動車メーカーは日の出の勢いであった。それは、彼らのプレミアムカー戦略が成功しているからである。しかし、欧州以外ではディーゼル車があまり普及していないため、影響は限定的となりそうだ。また同じ理由から、ドイツのプレミアムカー戦略に大きな被害が及ぶ可能性も低いと思われる。

ドイツの大手自動車メーカーによる排出ガス試験をめぐる不正問題については、全く弁解の余地がないといわれている。ドイツを代表する企業に罰金が科せられたり、賠償金が請求されたり、またリコールや修理などで膨大なコストが発生することによって、存亡の危機に陥ることを恐れる人もいる。今回の問題は、ドイツの自動車業界全体に影響するといわれた。というのは、プレミアムカー戦略とディーゼル車志向こそ、ドイツの自動車業界の成功を支える二本柱であり、その二本柱が再考を迫られる可能性があるためである。では、実際はどうなのだろうか。

1990年代以降展開したプレミアムカー戦略の成功
1990年代以降、ドイツの自動車メーカーは精力的にプレミアムカー戦略を展開し、2000年に入り大成功を収める。アウディもBMWもメルセデス・ベンツもポルシェも、昔から有名なブランドだと思っている人がいるかもしれないが、そうではない。例えば1980年代前半まで、アウディは「学校の先生が乗るクルマ」というようなイメージがあり、現在のようにメルセデス・ベンツやBMWと肩を並べてはいなかった。アウディのプレミアムカーが誕生したのは、後に親会社の最高経営責任者(CEO)になったフェルディナンド・ピエヒ氏が1980年代にアウディの経営陣に加わり、辣腕(らつわん)を振るって技術的イノベーションをもたらしたからである。

また、欧米には映画や小説の中に登場する有名ブランド車が多数あった。その多くは忘れられてしまったか、そうでなければオールドタイマーとして懐かしがられているだけである。こう考えると、プレミアムカーとは、先端技術を駆使して、競合する量産車より多くの対価を支払う顧客を満足させるクルマで、過去から現在・未来へと継続する企業努力の成果であるといえる。図表1は、デュースブルク・エッセン大学の自動車研究所所長、フェルディナント・ドゥーデンヘッファー氏が、このようなプレミアムカーの定義に従って作成したものである。この図表から、ドイツの自動車メーカーが戦略的な努力で成功してきたことが分かる。

【図表1:プレミアムカー市場の推移】 (単位:1,000台)
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出所:https://www.uni-due.de/~hk0378/publikationen/2014/201404_GAK_page_200-202.pdf を基に筆者作成

2013年には世界市場で約7,120万台の乗用車が購入され、そのうちプレミアムカーは735万台で10.3%を占めている。ところが、2000年には世界の乗用車市場全体は約4,891万台で、そのうちプレミアムカーは約429万台、シェアは8.8%であった。2000~2013年の間、世界の乗用車市場全体が毎年2.9%成長したのに対して、世界のプレミアムカー市場は毎年4.2%と世界全体を上回る伸びを示しており、大きな成長市場といえる。

あまり大きくならないパイを目の前にして価格競争に明け暮れる自動車メーカーを尻目に、プレミアムカーを生産するドイツの自動車メーカーは2000~2013年の間、一番おいしいところを食べて、毎年平均約5%も太って、世界のプレミアムカー市場におけるシェアを60.3%から66.2%に増大させた。また、プレミアムカー・ブームは今後も継続し、2030年までにドイツの自動車メーカーは毎年6%増加させ、そのシェアも70.6%まで増大する。これがドイツの自動車メーカーの夢である

ドイツが1990年代にこのようなプレミアムカー戦略に踏み切ったのは、その前の1970年代、1980年代の状況が重要である。当時、ドイツの経済界には量産による競争では、高度の生産技術を持ち、厳密な工程管理を実施する日本には到底対抗できないという認識が浸透していた。自動車業界も例外ではなく、このプレミアムカー戦略が成功し始めたころから、筆者も「昔と違う。すっかり元気になった」とよく感じた。

ドゥーデンヘッファー氏のスタディーには、2013年のプレミアムカーの世界市場における各自動車メーカーのシェアが示されている。参考のために記すと、1位がBMW(22.5%)、2位がアウディ(21.5%)、3位がメルセデス・ベンツ(20%)、4位がトヨタ自動車(7%)、5位がボルボ・カーズ(5.8%)と続く。

ディーゼルエンジン開発は「欧州共同プロジェクト」
それでは、今回の排出ガス不正問題がプレミアムカー戦略に及ぼす影響について考えてみる。図表2に示したのは、2014年のドイツ市場において販売台数に占めるディーゼル車の割合が高かった自動車メーカー10社である。ドイツの乗用車・新車登録台数のうち、ティーゼル車は半分近くを占める。この表からも分かるように、ディーゼル車の割合が高いのはBMW(74%)、アウディ(67%)、メルセデス・ベンツ(59%)などプレミアムカーを製造する高級車メーカーである。このような状況から考えると、今回の問題によるイメージダウンがディーゼル車一般にまで及ぶと、これらの企業も安穏としていられない。

【図表2:ディーゼル車の割合】 (単位:%)
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出所:http://www.faz.net/aktuell/wirtschaft/wirtschaft-in-zahlen/grafik-des-tages-arbeitslose-die-anders-einsortiert-werden-13382774/jedes-zweite-auto-ist-ein-13371656.html

また、ディーゼル車には昔から「敵」が多い。今回の問題をきっかけに、反ディーゼル派が「それ見たことか」とキャンペーンを開始した。一方、ドイツ自動車工業会のマティアス・ヴィスマン会長をはじめ、ディーゼル擁護派が「ディーゼル車には大きな未来がある」と論陣を張ったが、昔からある議論の繰り返しである。

ドイツの自動車メーカーは、燃費を向上させるためには原理的に熱効率の高いディーゼルエンジンこそ一番本筋に沿った技術だとして改良に励み、プレミアムカーに搭載した。また、購入者の方も地球温暖化阻止のために役立っていると思いながら、プレミアムカーを運転してきた。ということは、仮にディーゼルエンジンがすっかり「過去の技術」に転落してしまうと、少なくとも2030年まで継続するはずだったプレミアムカー戦略の夢も、見続けることが難しくなる。

ディーゼルエンジンはドイツで発明されたが、フランスやイタリアの自動車メーカーも、20世紀にディーゼルエンジンの技術改良に重要な貢献をした。そのため、この技術は自然発生的な「欧州共同プロジェクト」ともいえる。欧州でディーゼルエンジンを搭載したディーゼル乗用車が占める割合が半数に上るのも、このような背景があるためである。今回の問題でリコールの対象となる違法なソフトウエアを搭載したディーゼル車は最大1,100万台とみられ、このうち850万台は欧州(欧州連合(EU)加盟国)にある。ちなみに、ディーゼル乗用車の割合は米国で3%、日本で2%、中国では1%以下だ。ということは、今回のディーゼル乗用車をめぐる問題は「欧州の問題」ということになるともいえる。

そうであるとすると、今回の問題は、当事者である企業のイメージダウンをもたらすかもしれないが、欧州以外の地域ではもともとディーゼル車があまり普及していないため、その影響は限定的となりそうだ。また同じ理由から、ドイツのプレミアムカー戦略に大きな被害が及ぶ可能性も低いと思われる。反対に、欧州内では当該企業のイメージダウンの度合いは大きいかもしれないが、欧州の自動車業界全体がディーゼル車という「欧州共同プロジェクト」を守ろうとしてロビー活動の力を発揮しているうちは、大事には至らないような気がする。こう考えると、当該企業にとって最もダメージが大きいのは、米国当局による制裁や賠償金などの問題ということになりそうである。

ハイブリッド車・事始め
今回の排出ガス不正問題で、日本の自動車メーカーのハイブリッド車にチャンスが到来すると思う人がいるそうだ。確かにチャンスという一面もあるとみられるが、ドイツの車事情を見る限り、そう早急に事は進展していかないかもしれない。まず、ドイツでのハイブリッド車の位置付けである。この国で買われる乗用車の9割強は、ガソリン車かディーゼル車のどちらかである。そして、残りのわずかなシェアをハイブリッド車、電気自動車、水素自動車などの「前衛的なクルマ」が分け合っている。ということは、ハイブリッド車は、ドイツではまだ「事始め」である。

ドイツでは、技術関係者も環境団体もトヨタ自動車のハイブリッド車を賞賛する。また、ハイブリッド車を購入した人も満足している。だからといって、購入者の数が爆発的に増えるわけでない。その理由は、この国の自動車文化と関係がある。そして何よりも、人々からよく理解されていない。

日本のハイブリッド車は、日本の都市圏の交通渋滞と技術万能主義の産物である。地方分権が進んでおり、小さな都市が多数あるドイツでは、日本のような交通渋滞はあまりない。たとえ渋滞があっても、住民がクルマで出掛けないようになるか、多くの都市で自動車の乗り入れ制限などがあるため、技術で何もかも解決しようとする発想が乏しい。そのために、自分のクルマにガソリンエンジンと電気モーターと大きな電池を積まなければいけないことに納得しない。いわんや電気モーターが作動したり、勝手にガソリンエンジンになったりすることは素晴らしい技術だと思われはしても、その意味はあまり理解されない。

ドイツにおけるハイブリッド車の理解者は、大都市のタクシー運転手である。彼らには、道路が渋滞しているから地下鉄に乗るという選択肢がないからだ。乗客が日本人だと分かると、彼らは日本の自動車のハイブリッド技術を絶賛する。タクシー業界で日本のハイブリッド車が増加すれば、この技術の素晴らしさがより理解されるようになるかもしれない。ドイツのタクシー業者によると、この利点は日本の自動車メーカーが強く意識しているそうだ。

この他に、ドイツでハイブリッド車がまだあまり普及していない理由として、日本のハイブリッド車の多くがオートマチック(オートマ)であることが挙げられる。ドイツでは、以前はオートマというと高齢者や障がい者が運転するクルマというイメージがあった。現在でも、コンパクトカーなどの小型車は、90%以上がマニュアルである。ということは、この国の人々は今でも手動で運転し、走行を実感したいと思っているともいえる。

ドイツの環境保護派は、日本のハイブリッド車を賞賛する。しかし燃費だけを見ると、ディーゼル車も決して引けをとらない。ここで後者を選ぶドイツ人が圧倒的に多いと思われるが、それは手動でギアチェンジをして運転を体験したいからである。また、そのときにドイツ人が期待する走行感は、ハイブリッド車よりディーゼル車によって実現されるように思われる。

しかし、ドイツでもオートマ車の数がだんだん増えてきているところを見ると、ドイツ人の自動車に対する嗜好(しこう)や習慣が変わりつつあるようにも感じられる。もうかなり前になるが、トヨタのプリウスを運転するようになったドイツ人女性が、不必要な加速をしなくなり、自分の運転マナーが穏やかになり、日常生活でもイライラしなくなったと喜んでいた。そうであるとすると、運転中に期待される走行感も変わっていき、日本のハイブリッド車も、この技術に関して保守的な面もあるドイツ国民にも徐々に受け入れられていくのかもしれない。

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(2015年10月23日作成)