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五輪の夢とリスク

発行:2016/01/06

概要

ハンブルクは2024年夏季五輪(オリンピック)招致の是非を問う住民投票の結果、招致を断念した。ここ数年、オリンピックにそっぽを向く都市が増えている。それは、オリンピックが開催地にとって借金の山を抱え込む財政的なリスクになるからだ。オリンピックを自国開催するよりも、自分の国の選手にメダルを取ってもらう方が国威発揚の経済効率は高いといえる。

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もしかしたらドイツ人は、五輪(オリンピック)に対して日本人ほどロマンチックな憧れを抱いていないのかもしれない。というのは、2015年11月末に北ドイツの港町・ハンブルクで行われた2024年夏季オリンピックの招致の是非を問う住民投票の結果が「反対51.6%、賛成48.4%」となり、招致を断念したからである。ドイツが住民投票でオリンピックを開催しないことを決めたのは、これが初めてではない。2013年にはミュンヘンをはじめ南ドイツの他の4地区で住民投票があり、2022年冬季オリンピックに立候補しないことを決めた。

ドイツではこれまで、三度オリンピックが開催された。1936年2月にガルミッシュ・パルテンキルヒェンで冬季オリンピックが、同年8月にベルリンで夏季オリンピックが開催された。最後は1972年のミュンヘンオリンピックだ。ドイツ国民の記憶の中では、戦前のオリンピック(1936年のベルリンオリンピック)はヒトラーと、また戦後に開催されたミュンヘンオリンピックはパレスチナの武装グループによるテロ事件と、しっかりと結び付いている。日本人はよく1964年の東京オリンピックを懐かしむが、ドイツ人が自国開催のオリンピックについて似たように語るのを私は聞いたことがない。

ハンブルク市民がオリンピック開催反対に傾いたのは、ドイツで今起こっていることと無関係ではない。2006年にドイツで開催されたサッカー・ワールドカップ(W杯)を招致するための買収疑惑や、100万人以上の難民の流入、パリでの同時多発テロといった事件も大きく影響したといわれる。ドイツがISIL(いわゆるイスラム国)に対する軍事作戦でフランスに加勢することで、テロへの懸念が多数の難民流入と結び付いて増幅している。

お金の出所
オリンピックにそっぽを向く人が増えているのはドイツだけではない。ハンブルクの有力な対抗馬とされた米国のボストン市も住民の反対が強く、開催立候補を取り下げた。2022年冬季オリンピックは、ミュンヘンだけでなくポーランドのクラクフも住民投票で立候補を取り消した。この他、オスロ、ストックホルムも財政的な理由からオリンピック招致を諦めた。今回、ハンブルクでも住民投票の前に議論されたのは、もっぱら財政問題である。

ハンブルクの港はエルベ河畔にあり、港の中に(本来中州だった)クライナー・グラースブロークという小さな島があり、そこには昔から海運業者の建物がある。この島をオリンピック会場にするというのが、推進派の構想であった。町の真ん中で走ったり跳んだりすれば、選手も国際オリンピック委員会(IOC)のお偉方も移動に時間がかからないというのが売りであった。オリンピック開催のために発生する費用に関しては、推進派から以下のような簡単な数字が挙げられ、この内容について議論された(図表1参照)。

【図表1:ハンブルクの2022年冬季オリンピック招致予算】
(単位:10億ユーロ)
M304-0018-1
出所:各種資料を基に筆者作成

総支出は100億ユーロ程度で、2014年のソチオリンピックや2012年のロンドンオリンピックと比べて地味であることが強調された。図表1は、どのようにこの支出を賄うかを示している。収入はIOCから運営費として支給されるものや、入場料などを合わせて38億ユーロとされている。その他、連邦政府、国からの助成金が62億ユーロ、ハンブルク市の支出はわずか12億ユーロにすぎない。

ハンブルクでオリンピックを開催し国際的な声望を獲得すると、外国企業の投資も増大し新たな雇用も生まれる。次は競技場と選手村として使用が予定されていた島だ。コンテナターミナルはエルベ川下流に下った場所にあり、この一等地をバナナの貯蔵や港湾業務に利用するのはもったいない。利用者に出て行ってもらい島の開発を進めることこそ、市の未来にとって重要である。このプロジェクトをオリンピックで実現できれば、住居不足に悩むハンブルク市には願ったり叶ったりの話だ。このようにオリンピック招致派は、都市開発のために国から財政的支援を受ける絶好のチャンスを逃してはならないと、市民の説得に努めた。

ところが、多くのハンブルク市民はこのようなうまい話に乗る気分になれず、また、オリンピック反対派によるポスターの警告(下の写真)もあり「一本釣り」されることなく「反対」に投票した。ユーロ危機もいつ再燃するか分からないし、大量の難民流入をはじめ難しい問題を抱えている。彼らから見れば、そんなドイツ国家が財布のひもを緩めてくれそうな気がしなかったといわれる。

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「この話には幾つも釣り針がついていて厄介になるぞ」(上)、「エサに引っ掛からないように」(下) 写真提供:NOlympia Hamburg

借金を抱えてしまうリスク
多くの国で見られる「オリンピック離れ」には、いろいろな理由がある。オリンピックが終了した途端、使われなくなった競技場やアウトバーンに困っている国が欧州にもある。また、環境保護の観点からオリンピック開催を問題視する人もいる。ここでは、財政的側面に限って考えてみたい。

ハンブルクより一足先に立候補を取り下げたボストンのマーティ・ウォルシュ市長は「納税者に対して財政的リスクの責任を持つことができない」と述べたが、彼の心配はもっともである。というのは、オリンピックを開催した都市には借金が山のように残ってしまうからだ。評判の良かった1992年のバルセロナオリンピックの借金返済が終了したのは、ごく最近のことであった。オリンピックを開催するとなると、実際の支出金額が開催地として立候補したときの予算をはるかに超えてしまうケースが多い。

【図表2:オリンピックの予算超過の割合(1968~2014年)】
M304-0018-3
注:上段は都市名、下段は開催国
※ 現ボスニア・ヘルツェゴビナ
出所:B.Flyvbjerg/A.Stewart:Olympic Proportions http://eureka.sbs.ox.ac.uk/4943/1/SSRN-id2382612_%282%29.pdf を基に筆者作成
M.Müller:The Mega-Event Syndrome http://papers.ssrn.com/sol3/papers.cfm?abstract_id=2363958 を基に筆者作成

図表2は、1968~2014年に開催されたオリンピックについて、立候補時に見積もられた金額を超えた支出(予算超過)の割合を示す。英国のオックスフォード大学・サイード・ビジネススクールの教員が、1960年から2012年までに開催された27回のオリンピックのうち17回のオリンピック関連データを基に計算した。2014年のソチオリンピックは、ビッグプロジェクト研究者のマーティン・ミュラー・チューリヒ大学教授が算出した数字を踏襲している。

オックスフォード大学・サイード・ビジネススクールの教員の分析によると、予算超過の割合は平均179%にも及び、ブレーキがなかなか効かないことを示すという。「オリンピックこそ、開催都市/国に最も高い財政リスクをもたらす巨大プロジェクトで、自治体も国もその危険を体験して思い知るようになる」(B.Flyvbjerg/A.Stewart:Olympic Proportions 、3ページ)。

今回、ハンブルク市民が心配したのも、国の助成が少なくなり、その結果、市が借金を抱えることである。地方分権が進んでいるドイツでは、ハンブルクは州扱いで、教育や保健や交通など市が担当しており、これらの公的サービスが低下することを多くの市民は心配する。オリンピック招致は超党派で進められ、メディアも賛同した。政治家・メディアが市民から遊離しているといわれたが、2024年夏季オリンピックの招致の是非を問う住民投票の結果はいま一度、代議制民主主義の機能不全について問題提起したとも思われる。

国威発揚
どの研究者も、オリンピックで実際に掛かった費用を調べるのが難しいという。その理由は、オリンピック開催地として立候補する段階でコストを低く見積もる傾向がある上、実際の費用に関する会計処理が不透明な部分も少なくないだめだ。

チューリヒ大学のミュラー教授によると、2014年のソチオリンピックは、2006年の時点では見積もられたコストの38%は入場料収入やIOCの支援などの民間レベルでカバーし、残りの62%を税金で賄うはずだった。ところが、実際には全体のコストが増大し、民間レベルでカバーする割合は最終的には全体の10分の1以下の3.5%にまで減ってしまったという。とすると、為政者が少なくとも最初だけでも納税者に負担をかけないような顔をしたともいえる。

図表2の予算超過に関する数字の背後からは、開催国の固有の事情や歴史的条件があると想像される。1988年のソウルオリンピックに選手として参加したあるドイツ人が、当時の開催国の感動を私に語ってくれたことがある。オリンピックは国民や国家が一度はかかる「はしか」のように思われている。世界には国民国家として発展する機会さえも与えられない人々がおり、また一方では「はしか」にかかることもなく幸せに暮らしている国民もたくさんいる。

オリンピックの自国開催は国威発揚と関係があるために、どうしてもお金を使い過ぎてしまう傾向があるが、それでも軍事的行動に利用されるよりいいことには違いない。また、自分の国の選手に頑張ってメダルを取ってもらう方が、オリンピックを開催するより経済的に効率のよい国威発揚といえる。

M304-0018
(2015年12月21日作成)