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ドイツの派遣事業と労働市場の活性化

発行:2013/05/2

概要

ドイツ経済が好調な理由は「ハルツ改革」によって労働市場の活性化に成功したからである。特に派遣事業の規制緩和は、大きな役割を演じた。他の欧州諸国と比較して失業率も低く好調なドイツ経済を理解する上で重要な、派遣事業に関わる改革と労働市場の変化について述べる。

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ドイツというと、模範的な国というイメージを抱いている人が日本には少なくない。そのためか、この国でも非正規雇用が盛んだと聞いて意外に感じる人がいるかもしれない。下のグラフは2010年のドイツ連邦統計局のデータから作成されたもので「いろいろな就業形態」の割合を示す1。毎日定時刻に出勤し、無期限の雇用関係を標準と見なす就業形態を「正規雇用」と呼ぶ。ドイツではこの就業形態が現在も盛んで、就業人口全体の3分の2を占める。しかし、正規雇用は1996年には現在よりも159万人も多く、全体に占める割合も約75%であったことから、長期的に見ると減少傾向にある。

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次に非正規雇用であるが、2010年の就業人口全体に占める割合は22.4%、784万人に及ぶ。1996年には486万人で14.7%にすぎなかったので、景気などの影響で上がり下がりはあるかもしれないが、非正規雇用の数は長期的には増加していることになる。ちなみに2011年には就業人口全体の25%を占めている2

グラフ1の非正規雇用の内訳であるが、2010年には週20時間まで働くパート従業員が493万人、有期契約社員が276万人、パート従業員でも労働時間数が少ない(月収450ユーロ以下)人々が252万人、派遣社員が74万人いた3。この国でパート従業員を時間の長さで区別しているのは社会保険上の扱いが異なるからで、週20時間まで働く場合は正規雇用と同じ扱いであるのに対して、労働時間数が少ない(月収450ユーロ以下)場合、社会保険手続きが簡便化されている。週20時間まで働くパート従業員には、例えば育児や他の目的などからフルタイムではない形で就業する人々や、失業をなくすために一頃熱心に進められたジョブシェアリングもこのカテゴリーに含まれる。

ドイツの労働市場とその改革ならびに非正規雇用については愛知大学の保住敏彦名誉教授の鋭い分析4があるが、これを全体の参考にしながら以下、派遣事業に関わる改革と労働市場の変化を中心に記述する。というのは、このテーマこそ、失業率も低く好調なドイツ経済を理解する上で重要だと思われるからである。

派遣事業の成長
ドイツには1972年から労働者派遣法があり、労働者を別の企業に派遣するビジネスが可能であったが、派遣期間をはじめいろいろな制限があった。グラフ2が示しているように、派遣社員数は小幅の増減を繰り返しながらも着実に増加してきた5。その理由は、派遣の期間的制限は、1985年の第1次改正で3カ月から半年に、1994年の第2次改正で9カ月に、1997年の第3次改正では1年に、また2002年の第4次改正では2年にという具合に延長されてきたことにある。

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2003年の第5次改正は特に重要で、当時のシュレーダー政権の社会保障・労働市場改革の第一歩として実施され、改革推進者であるフォルクスワーゲンの人事担当取締役のペーター・ハルツ氏にちなんで「ハルツ改革」と呼ばれている。派遣社員に関連するのは「ハルツI」で、派遣期間制限や再雇用の禁止などの制限がほとんどなくなった。それまで派遣先の需要の有無にかかわらず派遣社員を雇っている常用型派遣しかビジネスモデルとして許されていなかったのが、派遣事業者は派遣先との契約が成立した時点で自社から派遣される社員との雇用契約を締結することができるようになった。これはコスト・リスクの軽減につながり、他の規制撤廃・緩和と同じように、派遣事業を行いやすくした。

このときの改革には、政治的に巧妙な布石が打たれている。ドイツでは、昔から業界ごとに労働組合と使用者団体が賃金などの労働条件について協定することになっている。改革者は、労働者派遣法の中に派遣社員と派遣先社員との「均等待遇条項」を設けると同時に、この労使協定の伝統に従って、派遣事業使用者団体と労働組合が交渉し「均等待遇条項」から逸脱することを合意できるようにした。

こうして派遣業界でも他の業界と同じように労使団体交渉が広まり、業界イメージも向上し社会的に認知されるようになった。同時に、ハルツ改革に反対していた労働組合や企業内の経営協議会(たいていは組合員)を改革に協力させ、実行の監視役を引き受けさせることに成功。改革直後30万人だった派遣社員数は、グラフ2から分かるようにその3倍の90万人に増加した。

労働市場改革による変化
グラフ2から、2008年に80万人近くまで増大した派遣社員数が2009年に60万人まで減ったのが分かる。その原因は世界金融危機の影響でドイツの国内総生産(GDP)が5%のマイナスに転じたためで、非正規雇用に人員カットのしわ寄せが行き、20万件近い派遣契約が解除されたからだ。

ドイツには、経営者が操業短縮を実施して従業員を解雇しない場合、ドイツ連邦雇用庁の助成を得て給与のかなりの部分を支払うことができる制度がある。戦後最大の景気後退に直面した際、企業はこの制度を利用して正社員の雇用を守ることができた。だからこそ、2010年からの経済回復時に直ちに対応でき、それによって雇用全体を増大させ、また派遣社員数も金融危機前より増やし90万人台にすることができたといわれる。
当時の事情は、グラフ3にも反映されている6。このグラフは正規雇用者と派遣社員の失職リスクの比較である。派遣社員のリスクは正社員の5倍前後で推移しているが、金融危機後には7倍以上に跳ね上がった。

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(注)グラフ上部の線=派遣社員、グラフ下部の線=正規雇用者

グラフ4は、2002年と2012年の上半期に終了した24万9800件と54万7100件の派遣契約について、その契約期間の長さの内訳を示す7。2002年の半分以上が、2012年では半分近くが派遣契約を3カ月以内に終了している。企業はもっぱら雇用の短期的変動に対応するために派遣事業者のサービスを利用していることになるが、派遣先で3カ月以上仕事をするケースは2012年までの10年間で10%増加した。

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ハルツ改革が始まる前のドイツの労働市場は硬直していた。失業すると失業保険金だけでなく、何年にもわたって「失業扶助」を受給できた。ドイツは資格社会であるために、多くの労働者は自分が身に付けた技能を生かすことのできる職業以外は望まない。そのため、一度失業するとそこから抜け出すことがなかなかできなかった。また経営サイドから見ると、雇用者に対する法的保護が強いため、特に小規模企業にとって新たに正規の形で人を雇うことは勇気がいり、残業を増やして切り抜けようとしがちであった。また無届け雇用(闇労働)も横行していた。

ハルツ第4法による改革によって、失業保険金はそれ以前と同じように給付されたが「失業扶助」が廃止され、その代わりに「失業保険金II」が設けられた。これは働くことができる人がもらえる社会扶助(生活保護)で、資産がない社会的弱者であることを証明しないと給付されないため、失業扶助のようにあまり気にせずに受給できるものではない。
長期間、失業状態にあることが難しくなった事情はこれだけにとどまらない。失業後、直ちに求職活動を開始しなかったり、あっせんされた仕事を何度も断ったりすると、給付金を減らされるという話を当事者からよく耳にする。給付条件が厳格になったのである。

上述したように、2012年上半期に54万7100件の派遣契約が終了したが、同じ期間に約50万件の新たな派遣契約が成立した。グラフ5は、こうして派遣されることになった労働者の前歴の内訳を示す8。それまで正規雇用で働いていた人々が失業することなく派遣会社に来るケースが4分の1、失業して1年にもならない人たちが47%を占めている。この状況は、改革で「ゆっくりと失業」できなくなったと考えることもできるし、労働者の派遣会社に対する抵抗感が小さくなったからとも理解できる。雇用(就業)経験のない人は9%だが、これは学校を卒業したばかりの若者で、派遣事業が就業のための跳躍台になっていると評価されている。

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派遣による「接着効果」
こうして10年前のハルツ改革で労働市場を活性化し、2013年4月の失業率も7.1%と欧州の中では低い方9だ。近年、多くの先進国で「ワーキングプア」現象が問題視されている。ドイツも事情は同じで10、賃金水準が上昇しないことに対して非正規労働、特に派遣業界が責任を負わされることが多い11が、経営者の中にはコスト削減のために派遣社員を利用しているのではないことを強調し、数字を挙げて説明する人も少なくない。また正社員として働く者は、派遣社員の同僚の収入が自分より30%ぐらい低いと思っているようだ。同じ仕事をしながら給与が少ない同僚の存在は、意識の上で無視できないだろう。

正社員と派遣社員の給与格差を示すグラフ6は、ドイツ連邦雇用庁から発表されたものだ12。全体の平均所得が2,702ユーロと1,419ユーロで格差が大きいが、これは派遣社員の中には(高給を得ることができる)大学教育を受けた人の割合が3%と低いためだと説明される。ちなみに全体ではこの大卒者で高給を得ている人の割合は11%に及ぶ13。このグラフは単純労働に近づくほど格差が小さくなることを示している。これは、経営者が単純作業のためにわざわざ人を雇う必要がないと考えているためだと思われる。派遣事業者も利益を上げなければならないが、どのあたりまでが適正であるかは、あまり議論されない。

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派遣されて仕事をしているうちに長期失業者が派遣先の企業から正式に雇われることこそ、10年前に改革者が夢見たことだ。これは「接着効果」と呼ばれて、今まで調査されたいろいろな数字が発表されている。2012年、ドイツ経済研究所がその前年の2011年に約30万人の派遣社員が派遣先から雇われたと発表した14。この年には、グラフ2にあるように90万人の派遣社員がいたので、接着効果は3人に1人ということになりそうである。しかし、長期失業者が再復帰する確率は7%とずっと低い。

最後に、筆者が日本の労働問題関係者と話して気になったことがあるので記す。日本で派遣社員というと女性の比率が高いとされるが、ドイツでは正反対で、男性が71%、女性が29%である。ちなみに、就業者全体の男女比率は男性54%、女性46%である。

数字や文献を眺めているだけではあまりぴんとこないが、ドイツでは日本より正社員と派遣社員の壁がはるかに低いように感じられる。その理由はドイツがもともと資格社会だったこともあるが、過去多くのドイツ企業で実施された凄まじいリストラと無関係ではない。

10年近く前だったと思うが、ドイツを代表する企業に長年勤務していた知人が「隣の部屋の同僚が同じ企業に属するかどうかは、もう考えないことにしている」と語ったことがある。大企業では、ある部門が別会社になり、そのうちに投資会社の傘下に入ることなど日常茶飯事であった。ということは、派遣社員の増大という現象と並行して、社内でも正社員が派遣社員と似たような不安定なステータスになる意識上の変化が進行していたことになる。
メディアでは派遣事業者がよくたたかれるが「正規雇用か失業か」の二者択一しかなかった世界が終わってしまったことを嘆いているだけのことが多いように感じられる。

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1 http://www.wirtschaftsdienst.eu/archiv/jahr/2012/3/2750/#footnote-30819-1-backlink
2 ドイツ連邦統計局の以下のページにある数字を基に計算。https://www.destatis.de/DE/ZahlenFakten/GesamtwirtschaftUmwelt/Arbeitsmarkt/Erwerbstaetigkeit/Arbeitskraefteerhebung/Tabellen/
AtypischeBeschaeftigung2011.html;jsessionid=F3C7CD698126B89EBC5238660F6A7281.cae2
3 http://www.wirtschaftsdienst.eu/archiv/jahr/2012/3/2750/#footnote-30819-1-backlink
4 保住敏彦:「ドイツの労働市場とハルツ改革」。愛知大学国際問題研究所紀要(2010年3月)、「ハルツ改革の背景、その影響および改革の評価」。愛知大学経済学会、経済論集(2011年3月)
5 Bundesagentur für Arbeit: Zeitarbeit in Deutschland Aktuelle Entwicklungen Januar 2013
http://statistik.arbeitsagentur.de/Statischer-Content/Arbeitsmarktberichte/Berichte-Broschueren/Arbeitsmarkt/Generische-Publikationen/Arbeitsmarkt-Deutschland-Zeitarbeit-Aktuelle-Entwicklung-1HJ2012.pdf の6ページ。
6 同上の19ページ。
7 同上の18ページ。
8 同上の16ページにある数字を基に筆者作成。
9 4月の数値は
http://statistik.arbeitsagentur.de/Navigation/Statistik/Statistik-nach-Themen/Arbeitsmarkt-im-Ueberblick/Arbeitsmarkt-im-Ueberblick-Nav.html
10 https://www.destatis.de/DE/PresseService/Presse/Pressemitteilungen/2012/09/PD12_308_62.html
11 http://www.welt.de/wirtschaft/article109132916/Immer-mehr-Deutsche-verdienen-immer-weniger.html
12 上記のBundesagentur für Arbeit: Zeitarbeit in Deutschland Aktuelle Entwicklungen Januar 2013の22ページ。
13 同上の15ページ。
14 例えば、http://www.faz.net/aktuell/wirtschaft/iw-studie-zeitarbeitsbranche-sieht-sich-als-sprungbrett-11688824.html

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(2013年5月8日作成)