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「出自とは何か」を深く考える 

世界の書店から
田辺拓也撮影

Herkunft(出自)』の著者サーシャ・スタニシチは、旧ユーゴスラビアのドリナ川河畔の町ヴィシェグラードでボシュニャク人の母とセルビア人の父の間に生まれた。一家は1992年に勃発したボスニア紛争を逃れてドイツ南西部のハイデルベルクに移住。当時14歳の彼は、現地の学校へ通い、後にドイツ語で創作を始める。

 2006年の自伝的デビュー小説『兵士はどうやってグラモフォンを修理するか』は大ヒットし、約30の言語に翻訳された。本書は著者が実名で登場し、より自伝的である。舞台はドイツとボスニアを行ったり来たりするが、今回、特に重要なのは、著者のドイツでの体験だ。

 著者の一家はハイデルベルク郊外の殺風景な工業地区に暮らし始める。近くのガソリンスタンドの駐車場は、さまざまな国籍や民族的な背景を持つ難民の少年たちのたまり場だった。著者によると、少年たちの間では、どこから来ようが特別扱いされず、「出自は争いの種にしない」という暗黙のルールがあった。

 著者がこんなことを指摘するのは、故郷の学校で正反対のことを経験したからだ。ある日、セルビア人の生徒が、ボシュニャクとセルビア、クロアチアの欄のある紙を示し、生徒たちに自分が所属する「出自」の欄に名前を書き入れるよう求めた。とたんにボシュニャク人の生徒が反発して小競り合いが起き、教室内は大騒ぎになる。

 ほどなくして、ボシュニャク人に対して腕に白い布を巻くよう強制する町が出てきた。そのうちに「出自は紛争に値する」ようになり、出自の異なる人々を殺したり、レイプしたりして追い出す「民族浄化」につながった。

 今またドイツを含め欧州で排外感情と自国の利益優先のポピュリズムが強まっている。著者は「出自」の意味を考え直したくなり、本書を執筆したという。

 彼にとって出自とは、「ドイツ人か、外国人か」といった二者択一でなく、今の自分を成り立たせるいろいろな要素の集合体だという。そこには血縁も、地縁も、言語も、文化も、居住する国も、個人的な体験も含まれる。ハイデルベルクのガソリンスタンドのたまり場も、紛争もまた、著者にとって自身を構成する重要な要素で、みずからの「出自」なのである。  (ここまで書いていて思い浮かんだこと)

■『GRM』 AIと民営化、突き進んだ先の近未来

本の題名『GRM』の意味が分からず書店の店員に尋ねると、「グライム(Grime)」の略だそうだ。グライムとは、ヒップホップなどから派生した英国発祥の音楽ジャンルで、若者に人気があるという。本書の紹介動画をウェブサイトで見るよう勧められ、さっそく実行した

ビートの利いた音楽が流れ、廃虚となったビルを背景に、フードを目深にかぶった少年が登場。《やつらは他人から何かを奪うチャンスを逃さない》《やつらは邪魔するものは何もかもぶっつぶす》と語り、最後に《戦争をお望みなら、相手になるぜ》というセリフが聞こえ、廃虚の中にいた少年が仲間たちとグライムに乗せて体を揺らす。

この瞬間、私には世界有数の資産家でもある米投資家ウォーレン・バフェットの発言が思い出された。リーマン・ショックの前で10年以上前だが、彼は米紙で、「富裕な人が貧乏な人と戦争をしていて、自分が属する金持ちの陣営が勝つ」という趣旨の発言をして物議を醸した。その後も貧富の格差は拡大するばかりで、市場の自由競争を重んじて格差を容認する新自由主義の話になると、今でも当時の彼の発言が持ち出される。

『GRM』のテーマは、民営化と人工知能(AI)の普及だ。著者は東ドイツ生まれの作家でスイスに在住。彼女はドイツの将来がどうなるか知りたいと思い、民営化が進み、その結果、AI導入に抵抗が少ない英国で、1年あまりかけて人々の話を聴き、本書が生まれたという。

小説の舞台は、英中部マンチェスターの近くの町ロッチデールと首都ロンドンである。設定はあまり遠くない未来で、英国のEU離脱は成就し、経済で中国企業の影響が強まっている。警察と軍隊は民営化され、福祉予算のカットも力強く進行中。

物語の中心人物は思春期にある子どもたちだ。物語の中で、少女は7歳になると化粧をし、セックスの初体験は平均10歳と低年齢化。インターネット上でのポルノ閲覧も常習化している。

主人公はドン、ハンナ、カレン、ピーターの4人の仲間で、ドンは母親が黒人である。この少女には注意欠陥・多動性障害があり、父親には愛人がいて帰宅しない。母親にも愛人がおり、この男はドンと性的関係を持とうとする。ハンナはアジア系の家庭で育ったひとりっ子で、優しかった母親は銃撃事件に遭遇して死亡し、父親も後を追って自殺。カレンは母子家庭で育ち、好きになったパキスタン系の少年から薬を飲まされて意思を奪われ、ロンドンから来る複数の男相手に売春を強要される。仲間で唯一の男の子のピーターは最近ポーランドから来たばかりで、母子家庭のひとりっ子。自閉症で、ハンナに手を握ってもらわないと不安で仕方がない。

子どもたちの目には、周囲の大人は「負け組の落後者」と映る。それは失業しているせいだ。それまでは肉体労働が機械に代わるだけだったのが、今度は頭脳労働が合理化される。仕事の手順がアルゴリズムで定式化できるとAIの出番になる。この結果、本書の中では、職を得ることはぜいたくである。プログラマーになって勝ち組に入ろうとしても、その種の仕事ほど定式化されやすい。もはや本人の努力の問題でなくなりつつある。

私たちのモラルは、仕事をし、それが金銭で報われるシステムのなかで機能してきた。今や仕事を失い、作品に登場する人物は大人も子どもも、貧富を問わずほとんど話さない。その人間関係は、セックスと暴力に支配されていて、不気味である。

医療サービスなどの社会保障がどんどん削減される一方、住民は精神に作用して元気にしてくれる薬剤を安価に入手できる。またスマホなどの情報端末は国家から支給され、オンラインサービスを使った暇つぶしにはこと欠かない。

本書で4人の少年少女が抵抗に踏み切るきっかけになったのは、最低限の生活費が国家から支給される「ベーシックインカム」の導入である。受給の条件として、国民は個人情報だけでなく、皮下チップを埋め込んで健康データを提供することに同意しなければならなくなった。また、個人の支払い能力などをもとに国民を格付けする制度に似た「ソーシャルスコア」が導入され、素行が良い人には支給額が増える完璧な監視社会に移行する。

本書の読者の中には、物語が英国の未来でなく、現在のドイツ社会もこの方向に向かって歩みはじめていると感じる人も少なくないようだ。

■『Kaffee und Zigaretten 』 憎悪の感情は人間の愚かさゆえか

本書には、小説でなく、思い出、人物論、軽妙なエピソードなど48点が集められている。半ページにも満たないものから9ページのものまであり、内容も多岐にわたる。

題名の『Kaffee und Zigaretten(コーヒーとたばこ)』は、著者が執筆する時に欠かせない品である。そのために題名に関連するエピソードも出てくる。その一つは、ヘビースモーカーで知られた故ヘルムート・シュミット元西独首相(1918~2015)のもので、メンソール味のたばこをひっきりなしに吸う。彼にとって味などはどうでもよく、自分もいつか死ぬ存在であることを絶えず意識するために喫煙していたという著者の指摘は面白い。

ドイツ人読者が関心を抱くのは、著者の自伝的側面である。その理由はフォン・シーラッハ家が貴族としてドイツでは特別な名家であるからだが、それだけでない。フェルディナントの祖父バルドゥールはヒトラーを崇拝し、第三帝国で青少年教育を担当していた。当時から、御曹司と成り上がり者集団ナチとの結びつきは奇妙とされた。

バルドゥールは、第2次大戦中はウィーン大管区の指導者で、ユダヤ人連行の責任者であった。彼はこの罪のために戦後、戦争指導者を裁くニュルンベルク裁判で20年の禁固刑に処される。孫のフェルディナントが子どもの頃、石造りの壁に囲まれた公園のような大きな庭のある家に住んでいたことや、15歳のときに自殺をしようとしたことが読者に明かされる。

本書の面白いエピソードの一つは、ウクライナ人女性弁護士が、著者とベルリンのポツダム広場にある喫茶店で話す下りだ。彼女は、東部ウクライナで人々が監禁されて拷問されたり殺されたりしていると憤慨する。そのうちに、話が彼女の家族に移る。祖父母はウィーンに住んでいたユダヤ人で東欧へ連行されたが、子供だった彼女の母親は途中で逃げ、ホロコーストの運命を免れた。ということは、ウィーン大管区指導者だった著者の祖父バルドゥールが彼女の祖父母を死に追いやったことになる。

著者は、祖父が反ユダヤ主義者だったことを示す「欧州で活動するユダヤ人は誰もがヨーロッパ文化に危険をもたらす」とか、「(彼らを)連行することこそ欧州文化に対する大きな貢献」とかいった発言を紹介。その上で「祖父の、このような発言や行動に対する怒りと恥ずかしさから、自分は今の私になった」と告白する。

著者は、ドイツで反ユダヤ主義が再び強まることを心配している。そのために、彼はウクライナ人女性に「どうして非人道的な罪が繰り返されるのだろうか」と尋ねる。彼女は、ホロコーストとウクライナでの犯罪は同一視できないとしながらも、「どちらも憎悪から始まる」と語る。彼女の見解では、人間は、愚かであるために憎悪を抱くようになるという。

このような見解はときどき耳にするが、本当だろうか。実情は、愚か者扱いされるから憎悪が生まれるのではないのだろうか。

前述したシビレ・ベルクの『GRM』を例にすると、ウォーレン・バフェットの「戦争」に負け続けている人々がいる。ここで富の偏在を是正しないで、彼らを監視体制に組み込もうとするなら、これは負け組を愚か者として軽視することであり、憎悪を植え付けるのに等しいのではないか。

ドイツには、未来に漠然と破滅的なことが起こることを心配する人が少なくないが、このような事情と無関係ではないだろう。

ドイツのベストセラー(フィクション部門)

 5月4日付Der Spiegel誌より

1 Menu surprise

Martin Walker マーティン・ウォーカー

「警察署長ブルーノ」シリーズ。今回はグルメと著者の本職の国際関係。

2 Kaffee und Zigaretten

Ferdinand von Schirach フェルディナント・フォン・シーラッハ  

ドイツを代表する作家の随想、人物論、批評など48の小品集。

3 Die ewigen Toten

Simon Beckett サイモン・ベケット 

閉鎖された病院の解体中、設計図にない密室と死体が見つかる。

4 GRM

Sibylle Berg シビレ・ベルク

貧富の格差と人工知能による監視社会に反逆する4人の少年少女。

5 Der Bücherdrache

Walter Moers  ヴァルター・メース  

本からできた「書物の竜」は経営不振の書店を助けない。

6 Mittagsstunde    

Dörte Hansen デルテ・ハンゼン

北ドイツのライ麦畑が広がる村落を舞台に時代の変化を映す人間模様。

7 Herkunft

Saša Stanišić サーシャ・スタニシチ 

戦乱のユーゴからドイツに逃れて来た著者の自伝的要素の強い作品。

8 Das Verschwinden der Stephanie Mailer

Joël Dicker  ジョエル・ディケール  

20年前に解決したはずの事件が蒸し返される。

9 Die Splitter der Macht

Brandon Sanderson ブランドン・サンダースン

幻想小説「嵐光録」第6巻。秘密の教団をさぐりに山奥に行く女性。

10 Die Liebe im Ernstfall

Daniela Krien ダニエラ・クリーン  

旧東独で若くして東西統一の「苦い自由」を経験する5人の女性。