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ドイツのエリート養成教育?

発行:2015/04/09

概要

米国、フランス、英国などにはエリートを養成する機関や名門大学があるが、ドイツにはそれに匹敵するものがなかった。1990年代ごろから米国を模範としてエリートを養成する試みがなされたが、ドイツでは独自の構想力を養う教育が主流となっている。

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フランスにはエコール・ポリテクニーク(Ecole polytechnique)やフランス国立行政学院(ENA)など、ドイツ人が畏敬の念からフランス語で「エリート」と発音する有能な人材の養成機関がある。英国にはオックスフォード大学やケンブリッジ大学など、米国にはアイビー・リーグと呼ばれる世界屈指の名門私立大学群がある。また経営の奥義を伝授するビジネススクールとなると、昔はハーバード・ビジネス・スクールが知られていたが、いつのまにか雨後のたけのこのように増えて今では数え切れないほどたくさんある。

では、ドイツではどこでエリート教育がされているのだろうか。将来わが子をエリートにさせたい親は、どこで学ばせればいいかがはっきりしていた方が便利かもしれない。

ここでも分散型
社会学者のミヒャエル・ハルトマン氏が2014年ドイツの大企業上位100社のボードメンバー529人を対象にアンケート調査を実施し、その結果が報道されていた1。メディアが特に注目した点は、ドイツ経済を動かしている人々がどこの大学を卒業したかであった。以下に上位5大学を紹介する。

M304-0012-1

この結果を見た人があらためて思ったのは、ドイツには将来のエリートが約束される教育機関がないことである。上位4位までの5大学が84人もの役員を出しているものの、残りの445人はいろいろな大学に散らばっていて、この5大学で勉強したからといって、(隣国のフランスのように)未来の競争相手に圧倒的に大きな差をつけることができない。

カールスルーエ工科大学は伝統があり、世界最初のガソリン自動車を設計したカール・ベンツ氏もここで勉強した。
また現在のダイムラーのディーター・ツェッチェ最高経営責任者(CEO)もカールスルーエ工科大学を卒業した。だがこれは偶然で、彼がこの大学を卒業したからトップになったのではないだろう。今までもエンジニアでない人や、知名度の低い大学の卒業生もこの企業のトップになっている。
一方で、ケルン大学やルードヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘン(ミュンヘン大学)の卒業生に重役が多いが、ドイツのメディアによると、その理由はこれらの大学の規模が大きく卒業生の数が多いからである。

次にメディアで注目されたのは、経営管理学修士号取得者(MBA)が5%しかいない点と、
ドイツの私立大学卒業生のうち2人しか大企業の役員になっていない点だ。MBAについては一頃メディアでその必要性が盛んに強調され、私立大学についても、米国型のエリート教育を模範として1990年代ごろから多数設立された。

米国という模範
ドイツでは教育主権は州にあり、公立学校は市立や州立で、公立大学も州立である。そのために授業料は無料か、かなり低額である。入学試験はないが、進級試験や卒業試験は厳しく、卒業できない学生の割合は高い。学科によって異なるが、工学系では学士号を取得できない学生が48%もいる2

こうして授業料は不要だが、その代わり簡単には単位を取得させないことが、卒業生の水準を保つことにつながるのだろう。ドイツには、上記のカールスルーエ工科大学やアーヘン工科大学を含めて全部で九つの主要工科大学があるが、その卒業生の学力に大きな違いはないといわれる。

私立学校はあまり盛んでなく、子女を通わせている人を何人も知っているが、必ずしも満足していないような印象を私は受ける。今やドイツでも半分以上が高等教育を受ける。そのために競争が強調され、いわゆる「点取り虫」が多くなった。大卒者が増えたことにより「資格インフレ」となり、ライバルに差をつけるためには外国へ留学したり、その他の形で外国の体験を積んだりすることが必要とされ、多くの学生が行動に移すようになった。

ドイツでは多くの人がどこの大学を卒業したかなど、職場であまり気にしない。卒業式もないところが多いし、母校という考えも弱く、知り合いになったからといってコネをつくっている意識はないように思われる。とはいえ米国を模範にする考え方は強く、ドイツの大学も「アルムニ」と称して卒業生の同窓会というべき組織を盛んにしようと努力しているが、なかなか進んでいないようだ。

ドイツの役員像
ここまで大企業のトップの出身大学について話題にしてきた。では彼らは大学で、どんな分野を専攻したのだろうか。おそらく今でも、大企業で昇進して重役になるような人は法科出身者や、経済・経営学を専攻した人だと漠然と思われている。また法律家が上層部の大半を占める会社は硬直化するとよく批判されたものだ。この批判は、法科というとルールの運用ばかりしていて、企業に重要なイノベーションから遠いというイメージがあるからだろう。

これに関連して経営・戦略コンサルティング会社ローランド・ベルガーのスタディー「ドイツの隠れた強み-企業トップの座に就く高学歴者」3こそ、ドイツ社会にある漠然とした思い込みを訂正してくれる(グラフ参照)。調査はドイツ株価指数(DAX)構成銘柄30社のボードメンバー181人を対象にしている。2012年のデータなので数字は古いが、全体の傾向を見る分には参考になるだろう。

【DAX構成銘柄30社のボードメンバー181人の出身専攻学科】
M304-0012-2
出所:http://www.rolandberger.de/media/pdf/Roland_Berger_Akademiker_im_Chefsessel_20120618.pdf p.9

グラフから分かるように、確かに経済・経営学出身者がボードメンバーの半分近くを占めているが、法科出身者は10分の1余りで、多くの人々の抱くイメージとは違うだろう。多いのは工学系で、ほぼ4人に1人の割合で役員を出している。また自然科学や人文系も意外に多い。

このスタディーでは、自国企業の役員が受けた教育に対して肯定的である。専門化された狭い分野での問題解決を学習するだけでなく、ドイツの大学では、理科系であろうが、また文科系であろうが、問題解決の前提条件を問い、そのために絶えず原理に戻って考え直す能力が要求される。このような教育で養われた構想力こそ、ケーススタディーに軸足を置いたMBA教育に対抗できる「ドイツの隠れた強み」であるとされる。

同スタディーで面白いのは、調査に基づいて描かれたDAX企業の平均的役員像である。年齢は55歳、ドイツ国籍。育った家庭環境は良く、(デュアルシステムによる教育などは受けずに)大学入学まで一直線。専攻は経済学。学生時代はアルバイトなどせず勉強に専心して速やかにディプロム(修士号に相当する)を取得後、大学に残って研究活動を続け、30歳で博士号を取得した。なお、4人のうち3人は勤め先を変えているそうだ4

ドイツの大企業の役員は10年以上も大学にいて、30歳以上になってから実社会を経験したことになる。でもこのような話を聞くと私は少し妙な気持ちになる。というのは、ドイツは外国と比べて大学の在学期間が長過ぎることがいつも批判されてきたからである。例えば、1990年代終わりごろ、ローマン・ヘルツォーク大統領(当時)は「ドイツでは大学卒業後実社会で数年働いているとミッドライフ・クライシス(中年の危機)を迎える」と冗談を言った。

どうやら、かつては長過ぎる在学期間と批判されていたものが、経済状態が良く国としての自信が付いてくると「構想力を養う」期間として見えてくるようだ。

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1 http://www.spiegel.de/unispiegel/studium/unis-und-fhs-wo-deutschlands-top-manager-studiert-haben-a-1017751.html
2 http://www.dzhw.eu/pdf/pub_fh/fh-201203.pdf p.16
3 http://www.rolandberger.de/media/pdf/Roland_Berger_Akademiker_im_Chefsessel_20120618.pdf
4 同上 p.7

M304-0012
(2015年3月24日作成)

  • 発行:2015/04/09
  • 記事提供:美濃口 坦

概要

米国、フランス、英国などにはエリートを養成する機関や名門大学があるが、ドイツにはそれに匹敵するものがなかった。1990年代ごろから米国を模範としてエリートを養成する試みがなされたが、ドイツでは独自の構想力を養う教育が主流となっている。

フランスにはエコール・ポリテクニーク(Ecole polytechnique)やフランス国立行政学院(ENA)など、ドイツ人が畏敬の念からフランス語で「エリート」と発音する有能な人材の養成機関がある。英国にはオックスフォード大学やケンブリッジ大学など、米国にはアイビー・リーグと呼ばれる世界屈指の名門私立大学群がある。また経営の奥義を伝授するビジネススクールとなると、昔はハーバード・ビジネス・スクールが知られていたが、いつのまにか雨後のたけのこのように増えて今では数え切れないほどたくさんある。

では、ドイツではどこでエリート教育がされているのだろうか。将来わが子をエリートにさせたい親は、どこで学ばせればいいかがはっきりしていた方が便利かもしれない。

ここでも分散型
社会学者のミヒャエル・ハルトマン氏が2014年ドイツの大企業上位100社のボードメンバー529人を対象にアンケート調査を実施し、その結果が報道されていた1。メディアが特に注目した点は、ドイツ経済を動かしている人々がどこの大学を卒業したかであった。以下に上位5大学を紹介する。

M304-0012-1

この結果を見た人があらためて思ったのは、ドイツには将来のエリートが約束される教育機関がないことである。上位4位までの5大学が84人もの役員を出しているものの、残りの445人はいろいろな大学に散らばっていて、この5大学で勉強したからといって、(隣国のフランスのように)未来の競争相手に圧倒的に大きな差をつけることができない。

カールスルーエ工科大学は伝統があり、世界最初のガソリン自動車を設計したカール・ベンツ氏もここで勉強した。
また現在のダイムラーのディーター・ツェッチェ最高経営責任者(CEO)もカールスルーエ工科大学を卒業した。だがこれは偶然で、彼がこの大学を卒業したからトップになったのではないだろう。今までもエンジニアでない人や、知名度の低い大学の卒業生もこの企業のトップになっている。
一方で、ケルン大学やルードヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘン(ミュンヘン大学)の卒業生に重役が多いが、ドイツのメディアによると、その理由はこれらの大学の規模が大きく卒業生の数が多いからである。

次にメディアで注目されたのは、経営管理学修士号取得者(MBA)が5%しかいない点と、
ドイツの私立大学卒業生のうち2人しか大企業の役員になっていない点だ。MBAについては一頃メディアでその必要性が盛んに強調され、私立大学についても、米国型のエリート教育を模範として1990年代ごろから多数設立された。

米国という模範
ドイツでは教育主権は州にあり、公立学校は市立や州立で、公立大学も州立である。そのために授業料は無料か、かなり低額である。入学試験はないが、進級試験や卒業試験は厳しく、卒業できない学生の割合は高い。学科によって異なるが、工学系では学士号を取得できない学生が48%もいる2

こうして授業料は不要だが、その代わり簡単には単位を取得させないことが、卒業生の水準を保つことにつながるのだろう。ドイツには、上記のカールスルーエ工科大学やアーヘン工科大学を含めて全部で九つの主要工科大学があるが、その卒業生の学力に大きな違いはないといわれる。

私立学校はあまり盛んでなく、子女を通わせている人を何人も知っているが、必ずしも満足していないような印象を私は受ける。今やドイツでも半分以上が高等教育を受ける。そのために競争が強調され、いわゆる「点取り虫」が多くなった。大卒者が増えたことにより「資格インフレ」となり、ライバルに差をつけるためには外国へ留学したり、その他の形で外国の体験を積んだりすることが必要とされ、多くの学生が行動に移すようになった。

ドイツでは多くの人がどこの大学を卒業したかなど、職場であまり気にしない。卒業式もないところが多いし、母校という考えも弱く、知り合いになったからといってコネをつくっている意識はないように思われる。とはいえ米国を模範にする考え方は強く、ドイツの大学も「アルムニ」と称して卒業生の同窓会というべき組織を盛んにしようと努力しているが、なかなか進んでいないようだ。

ドイツの役員像
ここまで大企業のトップの出身大学について話題にしてきた。では彼らは大学で、どんな分野を専攻したのだろうか。おそらく今でも、大企業で昇進して重役になるような人は法科出身者や、経済・経営学を専攻した人だと漠然と思われている。また法律家が上層部の大半を占める会社は硬直化するとよく批判されたものだ。この批判は、法科というとルールの運用ばかりしていて、企業に重要なイノベーションから遠いというイメージがあるからだろう。

これに関連して経営・戦略コンサルティング会社ローランド・ベルガーのスタディー「ドイツの隠れた強み-企業トップの座に就く高学歴者」3こそ、ドイツ社会にある漠然とした思い込みを訂正してくれる(グラフ参照)。調査はドイツ株価指数(DAX)構成銘柄30社のボードメンバー181人を対象にしている。2012年のデータなので数字は古いが、全体の傾向を見る分には参考になるだろう。

【DAX構成銘柄30社のボードメンバー181人の出身専攻学科】
M304-0012-2
出所:http://www.rolandberger.de/media/pdf/Roland_Berger_Akademiker_im_Chefsessel_20120618.pdf p.9

グラフから分かるように、確かに経済・経営学出身者がボードメンバーの半分近くを占めているが、法科出身者は10分の1余りで、多くの人々の抱くイメージとは違うだろう。多いのは工学系で、ほぼ4人に1人の割合で役員を出している。また自然科学や人文系も意外に多い。

このスタディーでは、自国企業の役員が受けた教育に対して肯定的である。専門化された狭い分野での問題解決を学習するだけでなく、ドイツの大学では、理科系であろうが、また文科系であろうが、問題解決の前提条件を問い、そのために絶えず原理に戻って考え直す能力が要求される。このような教育で養われた構想力こそ、ケーススタディーに軸足を置いたMBA教育に対抗できる「ドイツの隠れた強み」であるとされる。

同スタディーで面白いのは、調査に基づいて描かれたDAX企業の平均的役員像である。年齢は55歳、ドイツ国籍。育った家庭環境は良く、(デュアルシステムによる教育などは受けずに)大学入学まで一直線。専攻は経済学。学生時代はアルバイトなどせず勉強に専心して速やかにディプロム(修士号に相当する)を取得後、大学に残って研究活動を続け、30歳で博士号を取得した。なお、4人のうち3人は勤め先を変えているそうだ4

ドイツの大企業の役員は10年以上も大学にいて、30歳以上になってから実社会を経験したことになる。でもこのような話を聞くと私は少し妙な気持ちになる。というのは、ドイツは外国と比べて大学の在学期間が長過ぎることがいつも批判されてきたからである。例えば、1990年代終わりごろ、ローマン・ヘルツォーク大統領(当時)は「ドイツでは大学卒業後実社会で数年働いているとミッドライフ・クライシス(中年の危機)を迎える」と冗談を言った。

どうやら、かつては長過ぎる在学期間と批判されていたものが、経済状態が良く国としての自信が付いてくると「構想力を養う」期間として見えてくるようだ。

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1 http://www.spiegel.de/unispiegel/studium/unis-und-fhs-wo-deutschlands-top-manager-studiert-haben-a-1017751.html
2 http://www.dzhw.eu/pdf/pub_fh/fh-201203.pdf p.16
3 http://www.rolandberger.de/media/pdf/Roland_Berger_Akademiker_im_Chefsessel_20120618.pdf
4 同上 p.7

M304-0012
(2015年3月24日作成)