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ミヒャエル・エンデと欧州中央銀行

発行:2016/05/31

 

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新聞の経済欄で欧州中欧銀行(ECB)について読んでいると、ドイツの児童文学作家ミヒャエル・エンデさんのことが思い出されて妙な気持ちになる。「モモ」や「はてしない物語」の作者とマリオ・ドラギECB総裁はあり得ない組み合わせと思われるかもしれないが、必ずしもそうとはいえない。というのは「ゼロ金利」や「マイナス金利」といった中央銀行の金融政策は、エンデさんをはじめとする「利子のない世界」を求めていた人々の理想の実現といえるからだ。

理想の貨幣とは
私がエンデさんに会ったのは、チェルノブイリ原発事故の年(1986年)だったので30年も前になる。彼は、ミュンヘンのボーゲンハウゼン地区の殺風景な新興団地に住んでいた。通された居間には白いふわふわとしたじゅうたんが敷いてあり、座布団が高くなったような台座と低いテーブルがあった。日本では畳の上で暮らしていた私は、くつろいだ気分になれた。

インタビュー終了後、雑談に移る。エンデさんは、おいしい焼酎を出してくれた。私の小さなグラスが空っぽになると、すぐに注いでくれる。私はすっかり気持ちが良くなってきた。そのうち、インタビューの中での彼の貨幣体制に対する批判が気になってきた。エンデさんは、お金を「体の中を循環する血液」に例えて「血液は1カ所に停滞してはいけない。お金についても同じことで、経済の隅々にまで流れていかなければならない。ところが現状は、利子があるために少数の富む人々のところに集まってしまい循環していない」と難じた。

エンデさんは「1マルクを2000年前に複利5%で預金したとすると、現在、その価値は太陽と同じ大きさの巨大な金塊に相当するほど増大している。反対に2000年間労働しても、金の延べ棒1本分の価値にしかならない」と言い、利子が存在するからこそ、人間の仕事や物品の価値が現在の貨幣経済に反映しないのだと批判が続いた。

何度も焼酎のお代わりをしているうちに、昔からあまのじゃくな私には、エンデさんの利子に対する批判は、彼が児童文学作家で商売とは直接関係のない立場にあるために出てくるように思われてきた。そのうちに、何か一言言いたい気持ちがしてくる。
商売人の間では、請求金額を直ちに支払ったら数%値引きしてもらえる慣習があり、これも利子という考え方がある。そこで私はこの点を指摘し、利子は時計のようなもので、もしなくなったら、いつ支払いをしてもよいことになり、かえって貨幣が循環しなくなると言った。それに対してエンデさんは、笑いながら親切に答えてくれた。でも私は納得できず、少しやりとりがあった後で彼から読むように勧められたのが、シルビオ・ゲゼル氏の著作である。それは初めて聞く名前だった。

M304-0019-1当時ゲゼル氏の本は書店では入手できず、懇意にしている古書店に連絡するとすぐに送ってくれた(上の写真)。タイトルは「貨幣と利子についての新しい学説」で、250ページ余りでそれほど分厚くなく好感を覚えた。しかし1911年に出版された本で、古くてバラバラになりそうなので気を付けながら読んだ。

私はその後、折に触れてゲゼル氏と関係することになる。彼はケインズ(John Maynard Keynes)をはじめ多くの著名な経済学者から評価されただけでなく、彼についてのシンポジウムが開催されることもよくあり、出版物も世界的に増える傾向にある。私はドイツのいろいろな町で地域通貨に関わる組織の人々に接した1が、彼らの多くはゲゼル氏の熱烈なファンであった。私はエンデさんの利子に対する批判には今でも納得していないが、彼のおかげでそれまで考えもしなかった世界を知るようになったことに感謝している。

例えば私の住む町でも、定年を迎えた人々が要介護の高齢者に自動車で食事を宅配するなど支援活動をしている。このような活動には報酬として点数が与えられ、将来は自分も貯めた点数で世話を受けることができる。これも貨幣システムへの第一歩で、今流行の「シェアリング・エコノミー」も似たような例である。国家が作ったお金にばかり固執していると、貨幣が人々の取り決めにすぎないことを忘れてしまう危険がある。

現在、世界中で雇用は減りつつあり、この傾向は「インダストリー4.0」の影響で拍車が掛かるとの見方もある。これはきちんとした給料が支払われる仕事が少なくなるだけのことで、仕事そのものが減るわけでない。貨幣について柔軟な考え方をしないと、このような事情に対処できないとよくいわれる。

「自由貨幣」
ゲゼル氏は1862年にドイツで生まれ、家庭環境の事情から大学へ行かずに働き始め、1887年にアルゼンチンに移住。そこで商売をした。彼の貨幣論の強みは、実業家として経験したことを出発点にして、貨幣がどうであったら経済がうまく機能して参加者全員にとって望ましい状態になるかを考えた点にある。

19世紀後半、欧州に羊毛を輸出するなどして長年好調だったアルゼンチン経済も、金本位制や金銀両本位制になったり、また元に戻ったり、外貨と連動する貨幣体制と、国内だけで通用する紙幣の通貨体制が併存しているうちにだんだん活力を失った。
ゲゼル氏が滞在していた頃はちょうどデフレ進行中で、貨幣供給量の減少や賃金の下落、消費の落ち込み、人々が貨幣を使わないで貯め込んでしまう貨幣退蔵などの結果、商品が売れなくなった。物価も下がり、企業の売り上げも利益も下がり、投資を控えたり倒産したりした。その影響により失業者が増え、さらに物価が下がり、景気はすっかり沈滞した。これはデフレスパイラルで、経済はここからなかなか脱出することができない。

このような危機的状況を観察したゲゼル氏は、労働、商品、貨幣の三つの要因に注目して、問題の原因を貨幣の在り方に求めた。彼の見解では、貨幣労働商品に対して強過ぎる。というのは、貨幣は時間を味方に付けているからだ。野菜や魚などの例で考えると分かりやすいが、店としては早く買ってもらわないと腐ってしまうので、どうしても早く売りたい。労働する人も時間がたつうちにお腹がすいてくる。こう考えると、商品を売る人も労働する人も初めから足元を見透かされていることになる。

一方、貨幣は腐ったりしないし、時間が経過したからといって価値が下がるどころか、利子まで付く。貯め込んで「持久戦」に持ち込んでも、商品労働に対して絶対的に優位だ。だからこそ、お金を使わないで退蔵しても困らないのである。しかしその結果、物が売れなくなったり、工場が閉鎖されたりして、経済危機に陥ることもある。

そこで、貨幣を循環させるために、ゲゼル氏は「自由貨幣」を提案した。これは時間が経過するとともに、利子が付くどころか、反対に価値が減っていくので「さびる貨幣」「消滅貨幣」などと呼ばれる。これは「貨幣」が従来は味方であった時間から見放されて「商品」「労働」と同列になることである。

「自由貨幣」についてはいろいろあるが、例えば地域通貨は、一定期間経過すると決まった金額のスタンプを買ってお札の裏に貼らなければ通用しない仕組みになっている。「自由貨幣」は、貯め込んでいると損をするので使わなければならない。ということは、エンデさんの比喩に戻れば、健康な体の中を血液が流れるように、貨幣もどこかで停滞することなく循環して経済が機能することになる。

マイナス金利
ユーロ圏では2014年からマイナス金利が導入され、民間銀行はECBにお金を預けると利息を払わなければならない。2016年3月にはマイナス幅が0.3%から0.4%に引き下げられた。マイナス金利は「罰金」とも呼ばれる。というのは、貨幣が循環するように、融資活動に努力しなかった銀行が支払わなければならないものとの見方からである。
このマイナス金利は、ゲゼル氏が考えた「自由貨幣」と同じ理屈である。日本でマイナス金利が導入されたときに「これでお金が『生もの』になったので、前代未聞」と言った経済評論家がいたそうであるが「生もの」は「さびる貨幣」に対応している。

面白いのは、異端視されていたゲゼル氏が100年前に提案したのと同じことを、主要国の中央銀行があまり意識せずに実行していることである。その目的は、どちらも貨幣がうまく循環して経済が機能することにあるが、状況は全く異なる。ユーロ圏の物価は2016年、マイナス0.1%になると予想されている2。この程度の物価下落をデフレだとすることに納得できない人は多い。デフレに関して重要なのは通貨供給量であるが、ゲゼル氏がいた当時のアルゼンチンでは、外貨と連結していた準正貨というべき貨幣が逼迫していた。現在のユーロ圏は正反対で、量的緩和(QE)で十分過ぎるといわれている。このような事情から、今さらマイナス金利にする必要性を理解できないという人も少なくない。

もうかなり前から、先進国では「経済危機」になっても、本当に危機的な状況になる前に超金融緩和政策と財政出動が始まるというパターンになっている。そのため、企業の倒産を回避でき、効率の悪い構造も残されたままのオーバーキャパシティー、財政赤字の増大、金融機関が不良債権を抱え込むといった結果をもたらす。このような状況では、お金を借りてまで何かに投資しようと思う人は少ないだろう。ということは、金利がゼロであろうがマイナスであろうが、あまり重要でないともいえる。

金利がゼロやマイナスであっても、ゲゼル氏が望んだように貨幣が循環せず、株式、不動産、貴金属、高価な絵画の購入などに充てられて停滞してしまう危険がある。また、それだけでなく資産バブルが発生し、銀行が抱えている不良債権を将来的に増やす可能性もある。最近よく話題にされるのは大都市の不動産の値上がりであるが、2014~2015年の1年間の上昇率はシュツットガルトで18.8%、ベルリンで14.4%、ミュンヘンで12.9%、ケルンで12.5%、フランクフルトで11.7%といった具合である3。それまでドイツでは不動産価格が安定していたことから、このような値上がりはセンセーショナルといえる。

超低金利政策は中小企業や地域住民に重要な貯蓄銀行や、老後の保障において重要な保険会社の経営を圧迫するといわれている。また、預金者の預金が目減りし、老後の生活保障に関わる保険も無意味なものになってしまい、高齢者の窮乏化につながると心配されている。

【経済的に見たECBの適切な政策金利4
(単位:%)
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ドイツ国民は、ドイツ連邦銀行の比較的高めの金利に合わせて老後の生活を設計し、また金融機関もそれに応じたビジネスモデルを展開してきた。上の表の数字はユーロ圏の各加盟国の経済力にふさわしい政策金利を示すが、これを見たら国によってどれほど違うかがはっきりし、多数の国が通貨を共有することは難しいということがあらためてよく分かる。

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1 朝日新聞電子版「欧州どまんなか」(2006年8月8日付)
http://www.geocities.jp/tanminoguchi/20060808.htm
2 http://ec.europa.eu/eurostat/documents/2995521/7224409/2-31032016-AP-DE.pdf/a4cb208c-a832-4cb3-8873-fdb313af0f4b
3 http://www.zia-deutschland.de/
4 http://www.welt.de/wirtschaft/article154368525/Der-deutsche-Aufstand-gegen-die-Nullzins-Juenger.html

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(2016年5月17日作成)