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ドイツにもある「就活」

発行:2014/02/12

概要

日本では大学生が「就活」(就職活動)のために落ち着いて勉強できないことを嘆く大学関係者が少なくない。ドイツの大学生も就職活動をしているが、問題はどのような内容の「就活」をするかである。大学を出て就職しようとするドイツの若者は、転職組と競合関係にある。このため「就活」は経験不足という不利を克服することが目的であり、これが日本との根本的な違いである。

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日本の大学生の多くは、入学試験に合格するとまず羽を伸ばす。受験勉強の疲労から心身を癒やすためで、いつか本格的に勉強しようと思っているうちに、今度は「就活」で落ち着いて勉強できる雰囲気ではなくなるそうだ。こうして多くの大学生はあまり勉強しないまま卒業してしまう。

友人の大学関係者から、このような嘆きの声をよく聞く。彼らは学生を勉強に専心させない未来の雇用者に不満を向け、「就活」と呼ばれる習慣が日本固有のもので海外にはないと考えているようだ。ドイツの大卒者の失業率は完全雇用に近い2.5%である1。とはいえ、「棚からぼた餅」のような形で就職するのではない。「就活グッズ」という表現はないが、学生が就職活動をしなければいけない点は日本と変わらない。

「ジャガイモを袋ごと買う」
日本では「就活」は新卒一括採用という企業の採用慣行と結び付いている。新卒で採用されないと価値が低下するとされるために、薹が立つ前に就職しなければと焦ってくるのだと思われる。また日本では3月に卒業式があり、桜が咲く4月には卒業生が一斉に入社する。新卒一括採用も四季の移り変わりに根差した日本的風習として、グローバル企業が国内向けに日本企業としてのルーツをアピールしているだけのように見えないこともない。

米国の映画にはフードやガウンを身に付けた学生が登場する大学の卒業式の場面があるが、同じ欧米であるドイツの大学にも卒業式があると思っている人がいるかもしれない。しかしこれは誤解で、ドイツの大学には入学式も卒業式もない。入学とは大学事務所で学生として登録されること、卒業とは卒業証書をもらって学生登録から外されることであり、事務的手続きにすぎない。そのような事情も手伝って、日本で先輩・後輩の区別において重要な学生の年次に対して、ドイツでは大きな関心は払われていない。せいぜい就学して間もないという意味での低学年と、長年勉強したという意味での高学年が区別される程度だ(ちなみに就職後も「同期」や「年次」はあまり意識されない)。

ドイツの大学は夏と冬の2学期制で、最近は冬学期入学・夏学期卒業のパターンが増えているが、そうでない大学や学科もまだ多数残っている。また、夏学期もしくは冬学期がいつ終わるかは州によって異なり、試験の期日も学部や学科によって違う。学生がいつ大学から卒業するか分からない以上、企業は新卒一括採用を行うことなど思いもよらないのである。

昔、何かの集まりで新卒一括採用という日本の採用慣行について説明したことがある。ドイツとは文化的背景があまりに異なるためになかなか理解されず、最後に「ドイツではジャガイモを袋ごと買うような人の雇い方はしない」と反発する経営者もいた。当時は日本経済の全盛期であったため「袋ごと買う」資金力のない人々が日本をうらやんでいるのだと、私は軽卒にも判断した。

プリントメディアの衰退
それでは、ドイツの経営者はどのように求人活動を行うのだろうか。組織にはポストがあり、そのポストに就く人の仕事が決まっている。誰かが辞めてポストが空席になったり、事業拡大や新事業展開のためにポストを設ける必要があると、企業はこのポストに就く人の仕事内容を詳細に記した求人広告を出す。

【グラフ1】
M305-0028-1

上のグラフ12は、採用につながった求人広告にどの媒体(メディア)を利用したかについてのアンケート調査の結果である。対象はドイツ企業上位1,000社で、フランクフルト大学とバンベルク大学の研究者が2013年に実施した。グラフから分かるように、一番多いのは求人サイトで37%を占める。求人サイトの多くは求人広告だけでなくいろいろな求人・求職情報を掲載している。それに続くのは自社ウェブサイトの30%、新聞などのプリントメディアの11%、従業員の推薦の8%である。その後は連邦雇用機構(日本のハローワークに近い)の就職あっせん所経由の5%とソーシャルメディアの3%が続く。

【グラフ2】
M305-0028-2

上のグラフ2はドイツ企業上位1,000社の2012年度求人予算の内訳である。人材紹介事業は、よりプロらしく人材を探してくれる「ヘッドハンター」だけでなく、企業の人事部の業務のアウトソーシング機能を持つ。求人サイトに広告を出すと1,000人単位の応募があるため、自社内で対応しきれなくなるという話をよく聞く。

グラフを見ると、プリントメディアの衰退は覆うべくもない。昔は、ドイツの主要新聞の求人欄は有名企業に利用されていた。新聞・雑誌は2003年には35%を占めていたが、グラフ1が示すように10年後の2013年には11%にまで低下した。また、求人広告を見て応募する求職者は履歴書などの書類を送ることになるが、2002年には69.8%がペーパーであった。ところが10年後の2012年にはその割合は22.5%まで下がってしまった3

「勤勉で優秀なドイツの学生」
こうして求人側と求職者のコミュニケーションが紙媒体から電子媒体になってしまったからといって、内容に大きな変化があったわけではない。ポストが空席になるか、新たに設けられるかして、そのポストに就く能力を持つ人を見つけることが求人の目的であることは、今も昔も変わらない。

このような求人は、確かに「ジャガイモを袋ごと買う」のではなく、商品に対する期待がはっきりしていて、慎重に吟味しながら購入することになる。新しい環境に慣れるまでの時間は考慮されるかもしれないが、前任者がしていた仕事をこなすことを期待されている以上、求人とは、ドイツでは即戦力のある人材を探すことを意味する。ということは、大学を出て就職しようとするドイツの若者は、日本のように新卒一括採用という枠で特別扱いされず、転職組と競合関係にある。これがドイツの「新卒」が置かれている状況であり、ドイツの学生の「就活」の目的は経験不足という不利を克服することにある。これが日本との根本的な違いである。

ドイツのトラック大手MANの研修センターのヴォルフガング・シュトラウベ所長が「今どき見も知らない新卒応募者を採用する大企業など想像できない」と筆者に語ったが、今や学生が未来の就職先で在学中に実習を経験するなどして関係を持っていることが採用の必要条件になっている。

M305-0028-3左の写真4は、学生と企業が近づくための催し物で「ジョブ見本市」と呼ばれ、低学年の学生が訪れるべきものとされている。主催者は地域の商工会議所や、この種のイベントに特化した民間事業所、大学などである。

大学生と企業の「お見合い」を可能にしてくれるのは、このような見本市だけではない。グラフ1と2で触れた求人サイトには、企業の求人広告だけでなく実習生の募集要項が掲載されている。一般にドイツの学生の実習であるが、企業でのアルバイトに始まりいろいろなレベルがある。

このような求人サイト5で、北ドイツの鉄鋼メーカーが2014年1月28日付でさまざまな実習生を募集している。どれも「あなたは理論と実践を組み合わせたくないですか? それを一番うまく可能にするのは、企業の現場で実習し、それを勉強に生かし論文を書き、最終的には卒業論文につなげることです」という文句から始まる。

例えば、教育学、心理学を専攻する学生は、社員や顧客のための講習会の教材を個々の参加者グループの水準と性格に適応させるだけでなく教授法について考え直し、模範的授業計画を作成したり、講習会後のアフターケアのコンセプトについて思案したりする仕事に参加できるとある。二つのグループがあり、一方は週に19時間、他方は週に35時間で、実習は6カ月間続く。大学では新しいことが研究されており、企業側もこのような実習生の受け入れを通じて刺激を得たいことが分かる。

卒論とは直接関係のない実習もある。自動車メーカーのアウディが2014年1月30日付で上記の求人サイトで社内報の編集ための実習生を募集した。実習期間は6カ月で、場所はインゴルシュタットの本社である6。ここまでは文科系の学生の例ばかりであるが、理工学部や経済学部の学生の方が実習の機会がはるかに多いだけでなく、大学と企業の連携が密接だ。

実習の多くはおざなりなものではなく、そのためひところは、企業は実習と称して学生を安くこきつかうと批判された。グラフ1では従業員の推薦で採用につながったのが8%とされているが、これは実習を経験した学生が推薦されたケースである。たとえ複数の応募があっても、MANの研修センターのシュトラウベ所長が強調したように、実績が重要視される以上、学生の実習が採用につながる例はこの数字よりはるかに多い。

現在のドイツの大学生は、東西ドイツ統一前後に生まれて子どものときに失業の不安に駆られる大人たちを間近に見てきた体験もあって、労働市場で競争力を高めようとする意欲が特別に強いとされている。10年前には全体の3分の1程度であったドイツにおける大学進学率が2011年には55.6%に増大したのも、失業に対する恐れと無関係ではない。以前は国内にとどまる傾向が強かった学生も、現在は30%が海外での留学・実習経験を持つ。また、大学で勉強を始める前に海外で働いたり留学したりする人も少なくない。これも、海外滞在経験や外国語能力、異文化コミュニケーション能力を経済界から求められているからである。

多くの学生が実習と大学での勉強を両立させているのを見て、また統一前の西ドイツの学生と比べて、これほど勤勉で優秀で、積極的で自信に満ちた若者が自国に登場したことに感嘆する人は多い7。このような肯定的な評価は、日本社会での学生に対する評価とは正反対である。とはいっても、競争で負ける不安から優等生になった人々が活躍する未来のドイツ社会に不安を覚える人も少なくない。

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1 IAB:Qualifikationsspezifische Arbeitslosenquoten
http://doku.iab.de/arbeitsmarktdaten/qualo_2012.pdfの6ページ。
2 Recruting Trends 2013. Eine empirische Untersuchung mit den Top-1.000-Unternehmen aus Deutschland sowie den Top-300-Unternehmen aus den Branchen Automotive, Finanzdienstleistung und ITの7ページ。
3 同上。8ページ。
4 筆者撮影。
5 http://www.berufsstart.de/jobs-abschlussarbeit/personalwesen/index.html
6 http://www.berufsstart.de/jobs-praktikum/geisteswissenschaften/index.html
7 例えば、何事にも辛口なシュピーゲル誌がそうである。Uni SPIEGEL Das Studenten-Magazin. Heft 6, Dezember 2013. Absolute Spitze.12~17ページ(特に15ページ)。

M305-0028
(2014年2月2日作成)

ドイツの職場から

発行:2012/04/25

概要

人事関係のコンサルタントが、ドイツの職場におけるさまざまな問題や働く人々の悩みをテーマとして執筆した本が、ドイツでベストセラーになっている。シニカルな表現も多いが、職場の問題とその解決方法について考えさせられる、真面目な本である。

「自国の企業について、私たちは、真面目で、何事も徹底的に実行し、出来上がった仕事は正確で設計図通り、納期順守などと思っていないだろうか。でも、ドイツ企業の評判について気になることが一つある。それは、ドイツから遠くなればなるほどドイツ企業の評判が良くなる点だ。例えば、東アジアで誰かと話していて世界的に活躍しているドイツ企業の名前が出てくると、話し相手の目が輝きだす。ところが、ドイツ国内で同じ企業の名前を聞いた人々はうんざりした顔をするだけである」

こう書くのは、経営コンサルタントのマーティン・ヴェーアレさんで、上記の引用箇所は2011年に出版された彼の著書の冒頭である。この本では、働く者にとってドイツの職場が不合理で仕事にならず、フラストレーションがたまるばかりであると説明している。
この本はすでに10カ月近くもベストセラーリストの5、6位を占めて健闘している。ドイツ国民が自国企業の業績が好調であるというニュースに連日のように接する一方で、このような本が売れているのは面白い。

ヴェーアレさんは人事関係のコンサルタントで、当事者からいろいろな悩みを聞かされた。そのため、内部から見たドイツの職場をテーマとしたこの本を書いたという。読者の多くは読みながら自分の職場を思い出し、著者の表現がシニカルであるために留飲が下がるのかもしれない。全284ページに及び、内容的にも多岐にわたる本について紹介するのは簡単でないが、あえてそれを試みる。

働いていてストレスがたまる理由の一つは、企業の「官僚化」というべき現象で、手続きがやたら煩雑になってしまった点にある。例えば、ある自動車工場の購入担当者の話である。長年、近くの業者から部品を仕入れていた。そして今度もこれまでと同じ業者から部品を納入してもらうつもりでいたところ、本社で作成された納入認定業者リストにこの業者が入っていないことが判明した。

工場の購入担当者は、この業者の部品の品質、価格に関しても、また納期についても満足していたため、別の業者からは仕入れたくなかった。そこで本社と交渉したが、複数のリスト作成責任者がいて、その誰もが他人を盾にとって(本当は実績のある)この業者をリストに入れることを承諾してくれない。
いつまでたってもらちが明かないため、最後にはリストにある他のメーカーをダミーにして、そのメーカーを経由してその業者から部品を納品してもらうことになった。これでは当然、コスト高になる。しかし著者によると、このような手続き優先主義の企業にとって、発生するコストは二次的な問題である。彼らにとって重要なのは「コスト削減の手続きを踏んでいること」で、500ユーロのコスト削減手続きを実施するために600ユーロ出ていっても気にならないそうだ。

ヴェーアレさんが例として挙げる別の企業では、社員が本当にきちんと仕事をしているかどうかをコントロールするために、社員に日々の活動を綿密に記録させるようになった。その結果、本来の仕事に割く時間が減ってしまった。似たような例としては、本来、外回りの営業をする人が受注計画や受注報告ばかりを書かされて閉口しているケースもある。こうして、だんだん本来の仕事ができなくなる職場が増えているという。
このような状況について著者は「サッカーで、ストライカーにゴールするだけでなく、どこを走ったか、どのシュート技術を駆使したか、ゴールの確率がどのくらいだったかを記録することを要求するのに似ている」と記す。

企業における手続きの煩雑化を批判するのは、この本だけでない。少し前のフィナンシャル・タイムズ(ドイツ版)に、ダイムラー社が1年ほど前にルールの数を減らす方向に転換し、1,800以上もあったルールを1,000以下に減らしたという記事があった。ルールの簡素化・方向転換は現在、多くのドイツ企業で着手されつつあるそうだ。確かに、ルールが多ければ多いほど決定までに時間がかかる。コンプライアンス部門に問い合わせているうちに競争相手に注文を取られてしまったら、元も子もない。

ルールが増え、手続きが煩雑化するのは、心配性の人が多いというドイツ人の国民性と無関係ではないかもしれない。神経質に心配するために、漠然とした「常識」とか「善意」といったものを信頼できないで、ルールを増やすことになる。
昔、ある法学者は「ドイツ人の心配性とルールは17世紀の30年戦争にまでさかのぼる」と私に教えてくれた。30年も戦争が続いて人口が3分の1に減ってしまった後、旧教徒と新教徒が共存するためには、たくさんルールを作って紛争が起こらないようにする必要があったというのがその説明である。昔からドイツの組織では、ルール運用に強い法科卒業生が上に立つことが多い。これも、このようなドイツの国民性と無関係ではないかもしれない。

ルールが増えないようにするためには、社員が話し合って認識を共有するようにしたり、上に立つ人が仲介機能を発揮すればよいと思われる。ところが、著者のヴェーアレさんから相談を受ける人々の見解では、どちらも簡単ではないようだ。
話し合いやミーティングは、初めから賛否二つしかないディベートになってしまう危険が多いという。その結果、参加者が自分の見解を通そうとするだけで、新たな認識を共有することなどあまり期待できない。このため、企業にとって良いと思われるアイデアを実現させようとミーティングを開いても、逆効果になるという。著者のシニカルな表現に従えば「ミーティングの前には問題が一つだったのが、ミーティングで前進して問題が二つ以上に増える」ことになる。

また著者は、ドイツ企業内で演出が重視されるようになったことを指摘する。社内プロジェクトもできるだけ派手に立ち上げて、人々の注目を集める。外部の機関、例えば大学と共同プロジェクトを組んだりすると、そのためにコストが発生しても社内で重要だという雰囲気を演出できる。しかし、このプロジェクトが本当に利益をもたらすかどうか、また予想利益が支出を正当化できるかといった疑問は、人々の頭の中から消えてしまう。著者は、このような事情を「企業の中の仕事も、大向こうをうならせる見せ物にしないと成功したことにならない」と嘆く。

さらに著者は、上司・上役のテーマについてもいろいろな例を挙げている。その一つは、新たに上役になった人が、前任者がしていたことを一切やめて何もかも新しくしようとする。その多くは個人プレーで、企業の利益もコストもあまり考慮されないことが多いそうだ。著者によると「俺が俺が」という自己中心的なタイプの人が上のポジションに就く可能性が大きいという。確かに、前述したようにミーティングで活躍する人や演出が上手な人ばかりが評価されて出世するとしたら、あまり多くのことは期待できないのかもしれない。

私はこの本を読みながら、ドイツの企業が昔どうだったかを時々考えた。雄弁な人が、それも法科出身者が上に立つことは多かったが、黙々と働く人々もそれなりに評価されていて、職場でも居心地は悪くなかったような気がする。
ヴェーアレさんはこの他にも、この本の中でドイツの職場のさまざまな悩みについて書いている。悩みが生じる理由は企業の官僚化、社員の自己顕示欲や保身、出世願望などいろいろあるかもしれないが、共通点は顧客、製品、価格、利益、コストといった企業に重要なことが職場でないがしろにされていく状況である。これは企業が市場を見失って内向きになることでもあり、このような職場を取り上げる本が売れていることは、それほど悪いことでないかもしれない。

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* http://www.ftd.de/unternehmen/industrie/:weniger-vorgaben-daimler-raeumt-mit-regelwust-auf/60165081.html

M305-0014
(2012年4月14日作成)