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Der Apfelbaum(林檎の木)

Bestsellers 世界の書店から
西岡臣撮影
西岡臣撮影
『Der Apfelbaum(林檎の木)』の著者クリスチャン・ベルケルは、子どもの頃に庭の林檎の木の下で母から「あなたは100%のドイツ人でも100%のユダヤ人でもない」と告げられる。ベルケルは、自らが半端者扱いされたと感じて怒り、その後も自分の出自について考えることを避けた。しかし、年を重ねるにつれて考えが変わり、61歳の著名な俳優が自らのルーツを探る処女作が誕生した。著者の母ザラは、ドイツ人男性とユダヤ人女性との間に生まれた。著者の父オットーは家が貧しく、17歳のときに仲間と共にザラの家に泥棒に入る。家の図書室で、オットーがザラの父の膨大な蔵書に見惚れていると、当時13歳のザラが来た。仲間たちは警官に逮捕されるが、オットーだけはザラがかくまった。二人は相思相愛になるが、直ぐにヒトラーと戦争の時代が幕を開ける。

ユダヤ人迫害から逃れるため、ザラは、父と離婚しマドリッドで暮らす母を訪れるが、うまくいかずパリの叔母のもとへ移る。しかし、ドイツ軍がフランスに侵攻し、彼女は収容所に入れられる。ザラは、東欧にある死の収容所への移送から逃れ、ドイツ行きの汽車に乗る。その後もドイツ人に助けられ、ライプチヒで終戦を迎えた。一方、オットーは医学を勉強し、軍医として従軍。ソ連軍の捕虜になるが、戦後無事に帰国。ザラと再会し、1955年に結婚する。

この小説の魅力は、ユダヤ人とドイツ人についていろいろ考えさせてくれる点だ。ザラは「ユダヤ人」と言われるとぎょっとするが、かつてナチスが人種法に定めた「ハーフ・ユダヤ人」という蔑称で呼ばれても気にかけない。反ナチズムに性急な著者は、母の態度に怒るが、後になって、戦時下ではこの表現のほうが、母には死の危険がハーフ(半分)になるように感じられていたことに気づき、自分の無神経さを恥じる。オットーも戦後、ソ連軍の捕虜収容所で、同胞のドイツ人たちが、他のどの国の捕虜よりも団結心がなく、仲間を頻繁に密告することに失望する。

著者は父母の体験を通じて、自らがナチスを生んだドイツ人であると同時に、ナチスに迫害されたユダヤ人でもあることに向き合おうとする。その真摯な姿勢が、多くの読者の共感を得たのだろう。

■ニセ患者になり息子を捜す父

『治療島』『前世療法』など邦訳も多いドイツの人気ミステリー作家、セバスチャン・フィツェックの小説『 Der Insasse(入院患者)』の主人公ティルは消防署員である。彼の6歳の息子マックスは1年ほど前、「近くの友達のところへ行く」といって家を出たきり帰って来ない。息子は友達の家にも到着していないことがわかり、警察の懸命な捜索にもかかわらず消息がまったくわからず、捜索が打ち切られる。

この間、父親のティルも母親も絶望に陥り、夫婦関係は破綻する。

警察が捜索を継続しなかったのには、ある事情があった。子供を次から次へ誘拐しては殺すトラムニッツという男性が捕まったのだ。トラムニッツは自白していないが、警察はマックスも彼の犠牲者でないかと推定している。そのうちにトラムニッツは病気で手術が必要となり、司法精神科病院の警戒厳重な閉鎖病棟に移される。

このことを知ったマックスの父親ティルはこの「入院患者」から、直接息子の運命について聞こうと思う。警察で働く親族の支援でティルは精神病患者になりすまし、トラムニッツと同じ集中治療室に入れてもらうことに成功するが、思い通りに事態は進まない……。

この小説は読者を寝不足にすることが確実なサイコサスペンスで、最後にドンデン返しが待っている。作者は47歳で、2006年以来毎年のようにこのタイプの小説を書いており、その度にベストセラーになっている。

推理小説、探偵小説、スリラー、ホラーを問わず、犯罪に関係のあるものはドイツでは「犯罪小説」とよばれ、今では出版される本の4点に1点を占める。そのため、優秀な作家が続々とこのジャンルに参入し、質も向上したと、本屋のベテラン店員から聞いたことがある。

いろいろな国で、フィツェックをはじめドイツの犯罪小説が翻訳されるようになったのもそのためだ。

■世界的人気の刑事シリーズ新作

『Muttertag(母の日)』のネレ・ノイハウスも世界的に人気があり、日本も含めて23カ国で翻訳が出ている。ちなみに、この小説は06年にはじまった「刑事オリヴァー&ピア・シリーズ」の9冊目である。

元工場所有者のテオ・ライフェンラートの屋敷に来た新聞配達の女性は、郵便受けがいっぱいであるのを不審に思う。彼女が窓越しに家の中をのぞくと、ライフェンラートが倒れて死んでいる。

犬の檻や庭で見つかったり、掘り起こされたりして出てきた古い人間の骨を警察が調べると、それらはこの地域で過去に行方不明になった女性たちのものであることが判明した。

殺人の手口はいつも同じで、女性をビニールに包み、溺死させてから庭に埋めていた。その後、母の日に行方不明者届が出されている点も同じだ。

長年にわたってテオ・ライフェンラートと妻のリタは全部で30人以上の子どもを施設から引き取って養い、世話をした。2人は外に対しては人道的態度を装っていたが、施設に戻りたくない子どもの弱みにつけ込み、虐待し、暴力的でもあった。その一方で、リタは毎年母の日に、大人になった養い子たちを自宅に招待したという。

とすると、殺人者はそのような昔の養い子の一人で、自分を捨てた実母にも変死したリタにも仕返しできず、誰か別の女性を見つけては、代理として殺し、復讐したのだろうか。

一見、小説は読者の犯人さがしという推理小説の大きな枠の中にとどまっているように思える。

だが、話の筋の流れが何本もあり、捜査する刑事の過去の私生活も取り込まれている。読者は多くの登場人物の視点から事件に接することができる上に、それぞれの登場人物も丹念に描かれていて、読み応えがある。ミュンヘンの書店員の言葉があらためて思い出された。

ドイツのベストセラー(フィクション部門)

1月12日付Der Spiegel紙より

1 Muttertag

Nele Neuhaus  ネレ・ノイハウス

母の日が来ると殺人が。親族関係はどこの国でも厄介。

2 Mittagsstunde             

DÖRTE HANSEN デルテ・ハンゼン

北ドイツのライ麦畑が広がる村落を舞台に、時代の変化を示す人間模様。

3 Der Insasse

Sebastian Fitzek セバスチャン・フィツェック  

真実を知るためには手段を選ばない父親。サイコサスペンス。

4 Weißer Tod

Robert Galbraith ロバート・ガルブレイス

ハリー・ポッターの作者が別名で書いたミステリー。

5 Die Mondschwester

Lucinda Riley ルシンダ・ライリー

「セブン・シスターズ」の第5巻。動物に人生を捧げる主人公。

6 Neujahr

Juli Zeh ユーリ・ツェー

良き夫、良き父親であろうとする男性の苦悩。

7 Die Suche

Charlotte Link シャルロッテ・リンク

湿原で行方不明の少女の死体を発見。また少女が行方不明になる。

8 Mädelsabend

Anne Gesthuysen アンネ・ゲストヒューゼン

ライン河の流れは緩やかになる地域なのに女性は強くなるばかり。

9 Der Apfelbaum

Christian Berkel  クリスチャン・ベルケル

61歳の著名な性格俳優の処女作。玄人顔負けの出来に皆が感嘆。

10 Zeitenwende

Carmen Korn カルメン・コルン

4人の女性の友情の絆を通して眺めたドイツ半世紀の時代の変転。

Bestsellers 世界の書店から 2018.12.02

自我と自我がぶつかり合う、共働きの緊張関係 ドイツのベストセラー

Bestsellers 世界の書店から
外山俊樹撮影
外山俊樹撮影
アフリカ沖の大西洋に浮かぶカナリア諸島は常春で、シーズンオフなしの人気の休暇地だ。その一つランサローテ島で、ユーリ・ツェーの『Neujahr(正月)』の主人公ヘニングは家族連れでクリスマスと正月を過ごす。

ヘニングも妻のテレーザも共働きで、2歳と4歳の子どもがいる。夫婦は家事と育児を公平に分担するようにし、そのためにどちらも職場と交渉したが、妻が働く税理士事務所は協力的であったのに、彼のほうの出版社はそうでなく、仕事の一部を自宅に持ち帰ることで了解を得た。次は収入で、妻のほうが多いためにヘニングは妻より家事・育児を余計に引き受けるべきだと考えて実行している。

子どもたちは健康で夫婦仲もよく、仕事もうまくいき、彼は幸せだと思っているが、下の子が生まれた頃から、心臓の拍動が突然速くなったり乱れたり、窒息しかかったりするパニック発作を患うようになる。休暇中は治まっていたが、大晦日の深夜に発作に襲われる。

翌朝、ヘニングはひとりで近くの丘の上の村を目指してサイクリングに出かける。彼は、急坂や逆風で脚の筋肉に痛みを感じる度に、坂道や風を憎悪し罵るようになる。そのうちに、彼は、自分が何もかも、仕事も、また愛しているはずの妻や2人の子どもまでも、ペダルを踏みながら罵っていることに気づき、愕然とする。

丘の村へ行く途中で、ヘニングは、この島にはじめて訪れたはずなのに、以前来たことがあるような感覚を覚える。

本書は失われていた幼年時代の記憶が蘇る話で、推理小説を読むのに似ている。また、この国の大学卒同士の、緊張した夫婦関係が巧みに描かれている。それは自我と自我の押し合いっこで、押されて痛みを感じた方が愛情を根拠に均衡を保とうとする関係である。だから主人公が自転車を漕ぎながら体験したように、愛と憎しみは同義語に近い。

著者のツェーは毎年のように問題作・力作を発表。政治的発言も多く、ギュンター・グラスなど西独の政治参加の伝統を継ぐ、数少ない作家の一人とされる。彼女は、憲法・国際法を専攻した法律家で、EUのデジタル基本権憲章の熱心な発起者の一人でもある。

カナリア諸島、もう一つの物語

インガ・マリア・マールケ『Archipel(群島)』は今年度ドイツ書籍賞を受賞した。この賞は長編小説を対象にし、フランクフルト書籍見本市と連動しているためにメディアでよく取り上げられる。

面白いことに、マールケの小説もカナリア諸島を、それもテネリフェ島を舞台にする。でもツェーの小説と異なり、登場人物はドイツ人の休暇客でなく、この島の住民であり、彼らの過去100年間の変転が語られる。

コロンブスはまずカナリア諸島で補給し、更に西に進み米大陸に到達したが、この例がしめすように、これらの島々は、特に一番大きいテネリフェ島はその後も中南米に対するスペインの略奪植民地主義の拠点になった。スペイン領であったが、大英帝国の海外進出の中継基地としての役割も演じた。この島で良い家系の出身者として権力を振るったのは植民地主義のおこぼれにあずかって富を蓄積した人々であり、本書のなかで登場するベルナドット家がその例である。

スペインの独裁者フランコは1936年、社会主義者連合というべき人民戦線政府によって参謀総長を解任されてカナリア諸島総督に左遷されていた。彼はここから軍の反乱が勃発したモロッコに移り、反乱軍を指揮し本土に侵攻、政府軍に勝ち、40年も続いたフランコ独裁体制を築く。

カナリア諸島では当時裕福な人々はフランコを支持し、反対に中産階級に属する人々は社会主義の人民戦線政府に味方する。本書のなかでは薬剤師の息子のフリオ・バウテがそうで、兄が反乱軍に殺害されただけでなく、自身も7年間も収容所に監禁された。

小説の冒頭は2015年7月で、フリオ・バウテの娘のアナは政治家で汚職が疑われている。彼女の夫はベルナドット家の御曹司の歴史家で、アルコール依存症。娘のロッサは大学をやめて帰ってきて、インスタグラムにかまけ、テレビのサバイバル・リアリティーショーばかりを眺めている。

本書は政治的対立がなくなった現在から始まって、フリオ・バウテが誕生した1919年に終わるように語られる。時間の流れに沿って物語が進行しないため、話の中に入っていけないと難じる読者もいる。でも、私たちが何かを理解するときには過去に遡って情報を集めるのではないのか。

本書に読みづらい点があるとすれば、あまりにもいろいろなことが出てきて、どこに注目していいのかがわからなくなり、「木を見て森を見ず」になりがちだからだと思われた。

 「不愉快で嫌なヤツ」が主人公の人気ミステリー

M・ヨート&H・ローセンフェルトの『Die Opfer, die man bringt(犠牲になってもらう)』は推理シリーズ「犯罪心理捜査官セバスチャン」の第6巻である。シリーズは2010年にはじまり、一度読者になると、次の巻の刊行を、首を長くして待つといわれる。出版されると直ちにベストセラーのトップになるのもそのためだといわれる。

著者のヨートは、著名なスウェーデンの推理小説家ヘニング・マンケルのために映画のシナリオを書いた。ローセンフェルトのほうは司会者兼脚本家で、国際的大ヒットのデンマークとスウェーデンの合作テレビドラマ『THE BRIDGE ブリッジ』の脚本家の一人である。

シリーズ第6巻の本書は連続レイプ事件を扱う。厄介な事件で、国家刑事警察機構の特別捜査班が担当することになり、仲間外れにされていたセバスチャン・ベリマン犯罪心理捜査官も起用されて、シリーズではお馴染みの捜査官が全員集合。それでも解決には手間取り、556ページになる。

推理小説はいつも犯罪事件が起こり、それが解明される。今や市場での競争がきびしく、差別化戦略が重要で、本シリーズの魅力は登場人物だとされる。筆者は愛読者の一人から、第6巻を読むだけでは駄目で、第1巻から読まないとシリーズの良さがわからないと警告された。確かに捜査にあたる人々も警察関係者で公務員であるが、あまりにも個性的で、ドイツの職場だったら仕事にならないような気がした。

一番おもしろいのはシリーズの主人公、セバスチャン犯罪心理捜査官だ。彼はエゴイスティックで協調性も欠けていて、不愉快でイヤな奴の典型である。インタビューの中で、作者はこのほうが人格者より自由にいろいろな行動をとらせることができて都合がいい、と発言した。ドイツでは、なるべく他人から好かれたいと思う結果、自分を束縛する人が多いといわれる。とすると、そのような人々にとって、この身勝手男のシリーズはストレス解消に役立っているのかもしれない。

作者は、中年男のセバスチャンに弱点があったほうがいいと思い、アルコール依存症は(特に北欧では)月並みで面白くないので、「セックス中毒」にしたという。だから主人公は女性と知りあうと、よくそのような関係になる。

この人物設定も、スウェーデンという、女性の人権が特別に尊重される国が舞台であることを考慮すると何か示唆的だ。ちなみに、#MeToo(ミートゥー)運動と関連して、今年スウェーデン刑法の関連条項も改正されてきびしくなった。

本巻ではセバスチャン犯罪心理捜査官は(一度の例外をのぞけば)品行方正である。これは、上司から禁じられていたからで、上記の法改正とは関係がないようである。

ドイツのベストセラー(フィクション部門)

10月27日付Der Spiegel紙より

1 Mittagsstunde   

Dörthe Hansen デルテ・ハンゼン

北ドイツのライ麦畑が広がる村落を舞台に時代の変化を示す人間模様。

2 Archipel

Inger—Maria Mahlke インガ・マリア・マールケ

テネリフェ島の住民の百年の歴史を理解する試み。

3 Die Suche

Charlotte Link シャルロッテ・リンク

湿原で行方不明の少女の死体を発見。また少女が行方不明になる。

4 Die Opfer, die man bringt

M. Hjorth & H.Rosenfeldt M・ヨート&H・ローセンフェルト

犯罪心理捜査官セバスチャンシリーズの第6巻。連続レイプ事件を追う。

5 Zeitenwende

Carmen Korn カルメン・コルン

4人の女性の友情の絆を通して眺めたドイツ半世紀の時代の変転。

6 Wer Strafe verdient

Elizabeth George エリザベス・ジョージ

重罪の容疑者である教会の執事が監獄で死ぬ。自殺なのだろうか。

7 Neujahr    

Juli Zeh ユーリ・ツェー

良き夫、良き父親であろうとする男性の苦悩。

8 Der Hundertjährige, der zurückkam, um die Welt zu retten

Jonas Jonasson ヨナス・ヨナソン

100歳の老人が世界を救う。お元気なのはなによりです。

9 Eberhofer, Zefix!

Rita Falk リタ・ファルク

バイエルン方言の辞書付きズッコケ喜劇推理小説。

10 Fräulein Nettes kurzer Sommer

Karen Duve カーレン・ドゥーヴェ

19世紀の独女性作家ドロステ・ヒュルスホフが主人公の小説。

Die Handschrift des großen Bruders 

Die Handschrift des großen Bruders  Warum Asien den Kosovo-Krieg ganz anders interpretiert
Aus: Süddeutsche Zeitung(Feuilleton) 18.05.99, S. 17 (1999年5月18日南ドイツ新聞学芸欄)

18.05.99
Feuilleton

Die Handschrift des großen Bruders

Warum Asien den Kosovo-Krieg ganz anders interpretiert / Von Tan Minoguchi

Die Nato-Staaten führen einen “postnationalen Krieg”, eine “Fortsetzung der Moral mit anderen Mitteln” (Ulrich Beck). Bevor ein Krieg so patentiert wird, stellt sich die Frage, ob er wirklich so neu ist. Denn viele Menschen, in Asien und anderswo, nehmen eine deutliche amerikanische Handschrift des Bombardements wahr und schütteln den Kopf. Meint man mit “neuartig”, daß die EU-Staaten aus Überzeugung einen amerikanischen Krieg mitmachen, dann ist das tatsächlich etwas Neues. Eine amerikanische Limousine, in der hinter dem amerikanischen Fahrer Europäer sitzen, ist noch kein europäisches Auto.

Der postnationale Krieg, der mit dem Nato-Luftangriff begonnen hat, ist ein amerikanischer Krieg, nicht, weil die US-Soldaten die erste Geige spielen, sondern wegen des Weltbilds, das ihm zugrunde liegt. Die Interventionskriege, die die Amerikaner im 20. Jahrhundert geführt haben, waren immer moralisierende und moralisierte Kriege. So gesehen war ein amerikanischer Krieg immer eine Fortsetzung der Moral mit anderen Mitteln. Der Typus des amerikanischen Kriegs begann, als Präsident Wilson 1917 in den Ersten Weltkrieg gegen Deutschland eingriff, mit der Begründung: “Der gegenwärtige deutsche U-Boot-Krieg gegen Welthandel ist ein Krieg gegen die Menschheit.” Dieses Muster hat sich kurz vor der Jahrtausendwende wiederholt, da sich auch die Nato-Staaten auf einen höheren Begriff, auf Europa nämlich, berufen, um ihren Verzicht auf den vermittelnden neutralen Status und ihren humanitären Eingriff zu rechtfertigen.

Wenn die “Menschheit” auf die Kriegsfahne geschrieben wird, wandelt sich die Erdkugel in einen Weltstaat, in dem nationale Staatenkriege keinen Platz mehr haben, denn Frieden bedeutet nach dieser Logik des amerikanischen Krieges einen Zustand, in dem kein Unrecht begangen wird. Folglich ist der Interventionskrieg kein Krieg mehr, sondern ein Versuch, das Recht durchzusetzen und die Ordnung wieder herzustellen, eine polizeiliche Aktion.

Deshalb ist ein Pazifismus, der auf der klassischen Dichotomie Krieg vs. Frieden beruht, in Not geraten, indem aus einem Krieg die internationale Bekämpfung einer staatlich organisierten Kriminalität geworden ist. Die Nato-Staaten führen keinen Krieg. Die jugoslawische Republik hingegen führt einen Krieg. Dieses merkwürdige asymmetrische Verhältnis zwischen militärisch streitenden Parteien ist in der Struktur dieser kriminalistischen Kriegsanschauung angelegt. Auf dieses asymmetrische Verhältnis zwischen streitenden Parteien lassen sich die Diskussionen über den Kriegsbegriff zurückführen.

Asoziales Verhalten

Daß die Diplomatie ein ähnliches Schicksal wie das Wort “Krieg” nimmt, versteht sich. Die Polizei läßt sich auf keine Verhandlung mit einem Kriminellen ein, sondern verlangt von ihm, keinen unnötigen Widerstand zu leisten. Deswegen ist eine diplomatische Kriegsbeendigung erschwert, nicht nur, weil eine völlige Unterwerfung angestrebt wird, sondern auch, weil dem kriminalistischen Konstrukt des Krieges entsprechend ein Resozialisierungsprogramm (Besetzung des Landes und Umerziehung) gefordert wird wie neulich von Daniel Goldhagen. In dem Weltbild, das dem amerikanischen Krieg zugrunde liegt, hat der Gedanke der Neutralität keine Existenzberechtigung. Nach der Logik des Weltpolizisten bedeutet die Neutralität ein asoziales Verhalten, weil alle anderen Staaten bei einer Verbrechensbekämpfung mitmachen, während der neutrale Staat nichts tut. Was für einen Krieg führen dann die Amerikaner? Sie führen einen postnationalen Krieg, bekämpfen also internationale Kriminalität. Gleichzeitig führen sie einen normalen Staatenkrieg. Nach europäischem Verständnis hat man mit dem Bombardement auf Jugoslawien angefangen, um bei einer Verhandlung seiner Forderung Gewicht zu verleihen, so, als haute man auf den Tisch. Nun sitzen Europäer in einem amerikanischen Taxi und stellen fest, daß der Fahrer gar nicht ihre Sprache versteht.

Für viele Asiaten hat es leider Tradition, reflexartig alles zu kritisieren, was die Amerikaner (beziehungsweise der Westen) tun. Trotzdem kann ich ihre Kritik am Nato-Bombardement speziell und an der Balkan-Politik des Westens generell nicht ignorieren. Der Westen hat bisher nur Sezessionisten unterstützt und eine historisch gewachsene staatliche Struktur geschwächt oder zerstört. Das wiederholt sich wahrscheinlich ein weiteres Mal. Der Traum von einem multikulturellen Kosovo rückt in immer weitere Ferne. Das Ergebnis ist bedrohlich, weil immer mehr Staaten entstehen. Manche befürchten sogar, daß das Bombardement zum Fanal für weltweite Sezessionsbewegungen wird.

Es ist keine beneidenswerte Aufgabe, zwischen extrem national denkenden Streitparteien wie denen auf dem Balkan zu vermitteln. Dabei könnte es für postnationale EU-Staaten nützlicher sein, sich in die Lage national oder nationalistisch denkender Menschen zu versetzen, als nach dem postnationalen Prinzip einer internationalen Verbrechensbekämpfung vorzugehen. Warum hätte der Westen die zwei Rollen nicht spielen können: als Wahrer der staatlichen Struktur und als Schützer der Menschenrechte? Warum hätte man fast bis zum Ende nicht neutral bleiben können, statt für eine schwächere ethnische Gruppe Partei zu ergreifen? Wahrscheinlich aus dem einfachen Grund, daß eine stärkere Gruppe mehr verbricht als eine schwächere. (Als Vater zweier Kinder gehe ich, wenn meine Kinder miteinander streiten und ich keine Zeit habe, so vor: Ich schimpfe den älteren Sohn.)

Der Balkan-Code

Hier hat sich eine moralisierende, emotionalisierende Tendenz im politischen Denken zuerst langsam, dann mit beschleunigtem Tempo durchgesetzt. Sie mündet in die Logik des Weltpolizisten, die aus einem Krieg eine internationale Verbrechensbekämpfung macht. Im postmodernen Europa hat man, wenn auf dem Balkan Blut fließt, nur noch einige Begriffe zur Verfügung: “ethnische Säuberung”, “Völkermord” und so weiter, die sich unter dem Oberbegriff “Verbrechen” subsumieren lassen. Reicht dieser begrenzte Wortschatz aus, um die Realität wahrzunehmen?

In den Augen der Menschen, für die verschiedene Kriege etwas bedeuten, herrschte und herrscht im Kosovo ein Sezessionskrieg, der ein Guerillakrieg war und ist. Das waren grausame Übergriffe auf Zivilisten und Flucht dieser Zivilisten vor Übergriffen. Das Massaker in Racak im vergangenen Januar war zwar ein trauriges Ereignis, ist aber im Rahmen solcher Guerillakriege noch verstehbar, weil diesem Fall und anderen ähnlichen immer heftige Guerilla-Kämpfe vorausgegangen waren. Kann man ein Ereignis einfach aus seinem Umfeld herausreißen, als passierte es in einer westeuropäischen Großstadt? Meines Wissens sträubt sich die europäische, der Vielfalt verpflichtete Denktradition gegen solche Simplifizierungen.

Vielleicht kann man mit Umberto Eco von einem Wahrnehmungscode sprechen. Häufig kann ich mich des Eindrucks nicht erwehren, daß sich im Bewußtsein vieler Menschen ein merkwürdiger Balkan-Code etabliert hat, nach dem alle Informationen so selektiert, verdrängt und verarbeitet werden, daß am Ende nur noch die zwei Zustände unterschieden werden: Auf dem Balkan wird etwas verbrochen oder nicht verbrochen. Wenn wir einen solchen Balkan-Wahrnehmungscode unterstellen, wird es verständlich, warum Politiker Photos zeigen, in denen tote albanische Dorfbewohner neben toten UCK-Soldaten liegen; dies in dem festen Glauben, bewiesen zu haben, daß der Völkermord von den Serben lange vor dem Luftangriff kaltblütig praktiziert worden sei. Solche Photos zeigen aber nur, daß es sich um normale Szenen aus einem Guerillakrieg handelt. Nach dem Balkan-Code wird der im letzten Herbst erzielte Waffenstillstand als ein Zustand entziffert, in dem nur weniger Verbrechen begangen wurden. Daraus folgt, daß dieser Zustand als nicht erhaltenswert betrachtet wird.

Für diejenigen, die diesen Balkan-Wahrnehmungscode nicht verinnerlicht haben, sieht die Bewertung desselben Zustandes im Kosovo anders aus. Der Waffenstillstand war zwar brüchig, weil Guerilla-Kämpfe stattfanden, die häufig von UCK-Freischärlern ausgelöst wurden und mit einem Vergeltungsschlag der Serben endeten. Aber die Kämpfe waren sporadisch. Manchmal war in den Agenturen von einer Rückkehr der damaligen Flüchtlinge in ihre Heimatdörfer die Rede. So antwortete auf die Frage eines japanischen Journalisten, ob die Massenvertreibung der Kosovo-Albaner durch das Bombardement ausgelöst oder von der jugoslawischen Seite lange geplant worden sei, die UNHCR-Hochkommissarin Sadko Ogata: “Ich glaube, daß eher der Rückzug der OSZE-Beobachter als das Bombardement ein großer Wirkungsfaktor war”. Aus dieser diplomatischen Antwort läßt sich folgern, daß diese unbewaffneten Beobachter zur Beruhigung der Lage ihren bescheidenen Beitrag geleistet haben. Dafür sprechen auch frühere Aussagen seitens der OSZE. Wer den Balkan-Code nicht teilt, für den war der Zustand im Kosovo vor dem Nato-Luftangriff verbesserungsbedürftig, ein bescheidenes, aber positives Ergebnis.

Aus dieser Sicht liegt die Entscheidung, mitten in Europa einen amerikanischen Krieg zu beginnen, statt aus diesem kleinen Erfolg etwas zu machen, jenseits jeglicher Rationalität. Der Nato-Luftangriff war in den Augen der national denkenden Serben die einseitige Parteinahme für die Kosovarer, die sie immer verdächtigt und gefürchtet haben. Das schürt ihren Haß gegen die Albaner. Deshalb führen sie ihren totalen Krieg gegen die Albaner und die Nato, die nach ihrer Meinung Verbündete sind. Es ist wirklich nicht nachvollziehbar, daß der Westen ausgerechnet zusammen mit “falschen Helden” (Rugova über die UCK) den selbst mühsam verhandelten Waffenstillstand gebrochen hat. Auf diese Weise schwächt man schon wieder eine staatliche Struktur (die Jugoslawiens) und wendet sich von dem selbst gesetzten Ziel (einem multinationalen Kosovo) ab.

Eine Erinnerung wird geweckt

Ist diese Kritik antiwestlich? Meiner Meinung nach geht es darum, ob man den Balkan-Code besitzt oder nicht. Dann stellt sich die Frage, was für einen Code Asiaten überhaupt haben, durch den die Realität auf dem Balkan wahrgenommen wird. Es fällt mir, offen gestanden, nicht leicht, darauf eine Antwort zu geben. Soweit ich sehe, steht in der japanischen Berichterstattung das Schicksal apolitischer kleiner Leute im Mittelpunkt. Ihre kleinen Leute sind Kosovo-Albaner, die zwar mit der politischen Unterdrückung nicht einverstanden waren, aber Angst hatten, bis zum Beginn des Luftangriffs in den Guerilla-Krieg verwickelt zu werden, und dann tatsächlich in einen Krieg neuer Qualität verwickelt worden sind. Von diesem Standpunkt aus ist der humanitäre Eingriff der Nato nicht nur “eine Verlogenheit, sondern grenzt auch an Fahrlässigkeit” (so schrieb mir ein japanischer Philosoph).

In diesem Punkt reißt bestimmt bei vielen Asiaten die alte Wunde auf. Dann erwacht ihre Erinnerung an die amerikanische Theorie, nach der asiatische Völker sogenannte Domino-Steine sind, aus denen durch das jahrelange Bombardement auf Vietnam eine antikommunistische Maurer errichtet werden sollte. So erinnere ich mich an meinen japanischen Freund, der in den 70er Jahren in Berlin neben mir vor der Mauer stand und sagte: “Verglichen mit dem Bollwerk aus Menschen ist diese Mauer aus Beton noch human.”

ドイツ総選挙とユーロ圏の今後(2)

概要

ユーロ危機はまだ終わっていない。南欧を中心とした経済は低迷したままで、欧州統合に背を向ける人々が増加している。このため、フランスのマクロン大統領は欧州連合(EU)改革を提案したが、ドイツ側から見て役立つようには見えない。一方、ドイツの総選挙で欧州統合への批判的勢力が強くなったことは、メルケル首相が周辺国からの要求を断るのに役立つかもしれない。

              ……………………………..

ユーロ危機の構造
ユーロ危機には二つの側面がある。その一つ目は過剰債務の問題で、多くの国で見られることである。二つ目は、共通通貨ユーロを持つことから生まれた加盟国間の不均衡問題である。この結果、経常収支がアンバランスになるだけでなく、競争力の格差が生まれた。ユーロ導入以前なら、自国の競争力が低くなったら自国通貨を切り下げることで対応できたが、それが不可能になった。よく出される例は、ギリシャがオランダで栽培されたトマトを輸入するようになったことで、自国のトマトの販売競争力が失われたという話である。言うまでもないが、現実には、過剰債務と競争力格差の問題は複雑に絡み合っている。

過剰債務については、リラ、エスクード、ドラクマ、ペセタといった南欧諸国の通貨は、ユーロ導入以前はインフレ気味で、そのリスク防止のために金利も高かった。1995年マドリード欧州理事会で、利子が低い上、何でも買えるハードカレンシー「ユーロ」の名称が決まる(ユーロの導入は1999年)。南欧諸国にとってこれは夢のような話で、財布のひもも緩むしかない。また、外部の投資家にとってこれらの国に対する投資リスクが低くなったのも同然で、これを機に投資ブームに沸き、北から南へ資金が流れた。

私事で恐縮であるが、筆者はユーロ導入後の2000年にバカンスでスペインのアリカンテへ行った。海岸の近くで、雨があまり降らずドイツ人が好みそうな場所であった。近くをドライブすると、丘に無数の住宅が途中まで建設されたままほったらかしになっていた。この丘ははげ山で、給水などのインフラ整備も高くなりそうであったため「バブル」という言葉が一瞬脳裏をかすめた。また当時レストランへ行くと、以前と比べて料金が高くなっているのも気になった。

その後、2007年の米国発金融危機を受け、南欧諸国に資金が流れ込まなくなる。人々が不安の連鎖反応でリスクに特に敏感になったからであるが、これはそれまでのバブルがはじけたことになる。ユーロ危機は最初の震源地がギリシャであったためにソブリン危機とも呼ばれるが、民間の債務過剰も深刻である。下の図表36はユーロ圏諸国のバランスシートに占める不良債権の割合を示す。2013年以降、アイルランド、スロベニア、スペインは不良債権を減らすことができたのに対して、キプロス、ギリシャ、ポルトガル、イタリアの4カ国では前進が見られないとされている。

【図表3:ユーロ圏諸国のバランスシートに占める不良債権の割合】
M0304-0020-21

上記の数字を見ていてもぴんとこないのは、フランスに次ぐ経済大国イタリアの深刻度のためかもしれない。欧州連合(EU)全体の3分の1に相当する3,600億ユーロに及ぶ焦げ付き債権を抱えているとされている7。これはイタリアの国内総生産(GDP)の20%に相当する。2017年夏も二つの銀行が再建不能とされて破綻処理されたが、これは氷山の一角にすぎないと心配する人も多い8。焦げ付き債権が多いと、中央銀行がゼロ金利にしても資金が実体経済に回らないので、経済的停滞の原因になる。

次は国家の過剰債務であるが、欧州中央銀行(ECB)の量的緩和政策(QE)が実施されている。これは、2015年3月から2017年末まで毎月800億ユーロもしくは600億ユーロの割合で総額2兆3000億ユーロに及ぶ債券を購入するプログラムである。このうち1兆8000億ユーロはユーロ加盟国の国債の購入に充てられている。ただし、加盟国の中央銀行がそれぞれ自国の国債の購入を担当する仕組みになっている。

こうして国債も自国の中央銀行が持っている限り、返せとか利子を払えとか面倒なことは言われないので、問題は消えてしまったことになるのも同然といえる。だからといって、問題が解決したかどうかについて疑い持つ人は多い。

競争力の欠如
2番目の不均衡問題は、実体経済と関連するので知らん顔では済まされない。すでに述べたように、1995年ごろから2007年までの間にユーロ加盟周辺国で投資ブームからバブルになり、物価も賃金も上昇してこれらの国は競争力を失ってしまった。

【図表4:ユーロ圏諸国の物価の変遷(2008年9月=100)】
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この事情を示すためによく引用されるのは、上の図表4の数字である9。資金の流入が始まった2008年9月のリーマンショック時を100にとして、1995年から2016年までのユーロ圏諸国の物価の変遷を表示したものである。バブルで上昇した物価がリーマンショック以降、それぞれマイナス7%、マイナス11%、マイナス1%といった具合に下がった。とはいっても、これらの加盟国が競争力を持つためには、米国のゴールドマン・サックスの計算によるともっと下がらなければいけない。その値がマイナス34%、マイナス30%、マイナス27%、マイナス11%である。

言うまでもなく、一度上がった収入を下げることなど選挙があって民意が尊重される国では実行困難である。共通通貨導入以前であれば、これらの国は自国通貨のレートを下げれば自国に競争力が生まれたし、外国からの製品もサービスも高くなって国民は買わなくなるので、自国経済も対抗できた。ところが、何でも買えることのできるハードカレンシーを手渡された以上、自国で抑制することなど本当に難しい。

欧州では古くから、共通通貨のレートの上げ下げのメカニズムの意味についてよく議論された。このメカニズムがなくなることは解決困難な問題らしく、1980年代後半の議論では「共通通貨は、政治や経済のいろいろな分野での統合が進展して、加盟国間の不均衡もなくなった統合過程の最後にその努力を報いるための冠とし実現される」ことになっていた。ということは、フランスのミッテラン首相とドイツのコール首相(いずれも当時)の共通通貨導入・合意は見切り発車だったことになる。そこでいろいろなルールをつくったが、守られなかった。

ドイツ・フランスの相違
最近のEU加盟国での選挙結果が示すように、英国だけでなくその他の国でも欧州統合に背を向ける人々が少なくない。このような潮流に直面して、EUならびにユーロ圏についていろいろな改革が提案されている。フランスのマクロン大統領のEU改革案もその一つである。彼が若くて、ドイツと並ぶ重要な加盟国の元首でスター的存在であるために、メディアからは「欧州に新たな息吹をもたらす」と注目される。

フランスのマクロン大統領の提案は、難民対策、共通の介入軍の創設、テロ対策、デジタル化での協力強化といった具合に多岐にわたる。ユーロ圏については、彼は(EU全体とは別に)固有の予算を設けて、それを管理する財務大臣を置くことを、さらにその活動を民主的にコントロールするためにユーロ圏だけの議会の創設までも提案している。ドイツ側は多くの場合、このような話を聞くと、フランスの政治指導者層の発想と自分たちの考え方の間に横たわる大きな相違を感じるという。

加盟国の不良債権の問題だが、該当国に担当する役所があるし、問題が国境を越える場合にはECBの所轄下になる。加盟国に競争力が欠けていたり、経済活動が不活発であったりすることも現場に近い具体的な問題で、ユーロ圏に大臣のポストを設けたり、予算を設けたりすることによって解決できることなどはドイツ側には想像できないようだ(冷戦時代のことだが、西ドイツのある政治家が、筆者に欧州統合はフランスの政治家の天下り先を確保するためにあるのだと語ったことがある)。

欧州統合のパートナーとしてのフランスは、多くのドイツ人の目には、中央集権が強く、グランゼコール出身のエリート行政官が仕切る国であると認識されている。国家が主導するという発想が強く、だからこそ、よく指摘されるように対GDPに占める国家支出はフランスでは約57%にも及ぶ。ちなみに、ドイツは44.3%、日本は36.82%、米国は35.23%だ10。このような国家尊重主義のためか、EUに、特にユーロ圏に国家的性格を付与したいという願望が強いようにも見える。

ユーロ圏の在り方について、昔からフランスや南欧の周辺諸国が期待するのは一つの国家に似た連帯責任体制になることで、その結果は、経済的に強者が弱者を支援しなければいけないということになる。フランスのマクロン大統領は大統領選挙中のインタビューで「ドイツはユーロ圏の不均衡を利用して貿易収支の巨大な黒字を実現している。これはドイツ経済にとってもユーロ圏経済にとってもよくない。この点で埋め合わせがないといけない」と語っている11。「もうけた以上、少しは出せ」という考えで、だからこそ、ユーロ圏の予算とか財務大臣とかいった発想になるようだ。

似たような話だが、マクロン大統領は社会福祉に関して、加盟国が失業保険を共同で給付することを提案している。このような提案もドイツ側を驚かせたようだ。というのは、フランスもドイツに次ぐ経済大国であるので自国も費用を負担することになる。ところが、欧州統合となると(理想に燃えるせいか)自国の負担金のことを忘れてしまうように見えるからだ。

ドイツは、加盟国が独立国家で自己責任を前提として共通通貨導入に賛成した。だからこそ、ユーロ圏を連帯責任体制にすることを拒み続けている。そのためにユーロ圏共同債の発行にも反対である。これがドイツの公式の立場であるが、2010年にギリシャ支援を行ってから、裏口から連帯責任体制が入り込んでしまったといわれる。

その一つの例は、ECBが危機に陥った加盟国に便宜を図るようになったことだ。この結果、筆者が「欧州の「打ち出の小づち」、ターゲット2問題について(2)」(2013年1月28日付掲載)の中で記したように、加盟国の中央銀行はユーロを発行できるので「打ち出の小づち」を手にしているのと同じことになった。ということは、問題は資金が南欧の周辺国に回らないことでなく、そこに投下されないで、ドイツなど北の国々に戻ってきて不動産や株に投下されてバブルを引き起こすことである。ということは「不均衡の埋め合わせをする」ために予算を設けるのも奇妙な話である。

ユーロ圏には「ターゲット2」と呼ばれる決済システムがあるが、現在、南欧周辺国に対するドイツの債権残高は8,500億ユーロにも及ぶ。この巨大な額はドイツから潤沢な資金が流れ込んでいることを意味する。同時にターゲット2の債権残高は「欧州の「打ち出の小づち」、ターゲット2問題について(2)」(2013年1月28日付掲載)で記したように、ターゲット2の債務残高のある加盟国がユーロ圏から脱退したら戻ってこないことでもある。ということは、ドイツは南欧周辺国からの要求に対して譲歩しなければいけない立場にあることになる。

この事情を考慮すると、ドイツではユーロ圏における連帯責任方式の拡大に批判的な自由民主党(FDP)と連立を組み、ユーロ救済に懐疑的なドイツのための選択肢(AfD)が議会にいることは、メルケル首相にとって南欧周辺国からの要求を断りやすい状況が生まれたという意味で頼もしいかもしれない。

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6 Bankenunion:Wie stabil sind Europas Banken?
http://www.delorsinstitut.de/2015/wp-content/uploads/2017/06/170627_JDI_Bankenunion_Web_A4_einzeln.pdf 4ページ
7 http://derstandard.at/2000040798352/Banken-ziehen-Italien-in-die-Tiefe
8 https://jp.reuters.com/article/eurozone-banks-italy-idJPL4N1K33RF
9 ifo研究所・前所長Hans-Werner Sinn – Die Fiskalpolitik der EZB – Wie geht es weiter in Europa?(2017年10月12日にミュンヘンで行われた講演)
10 https://de.statista.com/statistik/daten/studie/329446/umfrage/staatsquoten-in-industrie-und-schwellenlaendern/
11 https://www.morgenpost.de/politik/article210281479/So-denkt-Emmanuel-Macron-ueber-Deutschland-die-EU-und-Trump.html

M0304-0020-2
(2017年11月1日作成)

欧州 美濃口坦氏