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[第215回] EU官僚の実像を描く

Photo: Nishida Hiroki

 

『Die Hauptstadt(首都)』は欧州連合(EU)がテーマの小説だ。欧州連合の政府に相当する「欧州委員会」はブリュッセルにあり、その職員はEU官僚と呼ばれる。彼らのことを「ネオ・リベラルのエリートで、非多国籍企業のロビー団体と密接な関係を持ち、非現実的な規制を作っている連中」として、反感を持つ欧州人も多い。

著者のローベルト・メナッセはオーストリアの有名な作家で、イメージばかりが先行するEUの実態を知るために、ブリュッセルで数年間暮らしたという。

小説の冒頭、大きな豚がブリュッセルの町の中を走りまわる。人々は驚き、自動車は急ブレーキをかける。豚は、ブレグジットやギリシャ危機など、制御不能なEUの混乱を象徴するかのようだ。

欧州の人々が抱くEU官僚のイメージに近いのは、英国での留学経験があるエコノミストのギリシャ人女性だ。彼女は欧州委員会の創立50周年式典を企画するよう、上司から命じられる。

オーストリア人の部下は、アウシュビッツ生還者を式典の中心に据えることを提案する。彼の考えでは、生還者は犠牲者だっただけではなく、国家の上に立ち、国家悪を阻止する組織を切望した人々でもあった。彼らこそ、加盟国のエゴを抑える超国家機構、すなわち欧州委員会の必要性を示す生き証人なのだ。欧州委員会も企画に賛成し、実現寸前にこぎ着けるが、EUの中でも個別加盟国の見解を強く反映する「欧州理事会」の反対で、つぶされてしまう。

欧州各国の選挙結果が示すように、EUに背を向ける人々が増えている。この小説が今年のドイツ書籍賞に輝いたのも、受賞理由にもあるように、反EUの流れを変えるのに役立つと期待されたからだ。

だが、「アウシュビッツの悲劇を思い起こして国家エゴを抑えろ」という本書の理念的主張だけでは、どうも心許ない。欧州では「EUは、難民問題や経済格差など現実の諸問題に対応しきれていない」という失望が強いからだ。ドイツでは、ともすればEUを「かつては激しく対立した欧州諸国が協調へと向かうための組織」という倫理主義的な心情で捉えがちだが、他国の人々がEUに求めるのは「リアリズムに基づく危機対応力」ではないだろうか。

1975年生まれの作家ダニエル・ケールマンは2005年、世界的なベストセラーとなった歴史小説『世界の測量』を発表し、すでにドイツ語圏の代表的な作家の地位を確立している。今回の『Tyll(ティル)』は久々の歴史小説で、17世紀前半のドイツを主な戦場とした「三十年戦争」がテーマだ。

題名の「ティル」は、登場人物の1人であるドイツの伝説的な道化師、ティル・オイレンシュピーゲルに由来する。彼は大道芸人として曲芸をみせたり、宮廷道化師として権力者を挑発したりする。小説は、読者が彼とつきあいながらこの戦争を見聞・体験し、歴史上の人物とも会う形で展開する。

例えば、ボエミア王になった後、戦に負けて権力を喪失したプファルツ選帝侯フリードリヒ5世。ティルは彼のお伴をする。落ちぶれた王様はティルに「クサイから体を洗うように」と言われ、従者も思わず笑ってしまう。王様は無礼者ティルを怒りたくなるが、道化が義務を果たしているだけのことに気がつき、思い直す。

従者はいなくなり、お伴はティルだけになる。ペストにかかった王様は衰弱し、道化の言葉づかいが辛辣でなく丁寧になったことに気がつき、今度は道化らしくないのに憤慨する。ドイツ人読者はこのような箇所にユーモアを感じるようだ。日本人には理解しづらいが。

三十年戦争の特徴は、戦場が限定されなかった点にある。この小説が「戦争はこれまで私たちの町に来なかった」という一節から始まるのも、そうした事情を示している。物語が始まってほどなく、この町にもやはり傭兵団が現れて略奪と狼藉の限りを尽くす。百軒ほどあった家屋は焼かれ、生き残ったのは近くの森で密会していた男女と、半身不随者の3人だけであった。

このような傭兵の略奪や隣国の介入、飢餓や疫病も手伝ってこの国の人口は大幅に減少。南ドイツでは人口が戦争の前の三割にへったといわれる。

当時のドイツは、「神聖ローマ帝国」という超国家機構の下で三百以上の領邦国家に分かれていたが、多くは名ばかりの国家で、領民の安全を守れなかった。

三十年戦争はドイツの国民意識の底でトラウマとして残っているといわれる。秩序や規則を尊重する国民性も、当時の不安や無力感の集団体験から説明されることがある。

著者のケールマンは新聞インタビューで「私たちは現状が安定して変わらないと過信している。確かにドイツが三十年戦争の頃のように直ぐなるなどとは絶対いわないが、それでも」と述べて、独裁国家とはいえ安定した近代国家と思われていたシリアが、簡単に「三十戦争」と同じ状態になったことを指摘した。

この小説は、読者が今という時代を考える上でヒントになるのかもしれない。

あなたはネット通販で、子供の頃見た米映画DVDを注文する。しばらくすると通販会社から、似たような懐かしい映画のオファーが来る。そんなものが見られるなんて知らなかった、痒いところに手を届くなあ、と感心し、また注文。そんなことが繰り返されるうちに、少し薄気味悪くなってくる・・・。だけど、あなたが「QualityLand(クオリティー・ラント)」で暮らしていれば、そんな思いは体験せずに済んだだろう。

1982年生まれの多芸多才な作家マルク=ウヴェ・クリングによる「クオリティー・ラント」は、メルケル首相も大好きな社会のデジタル化が、行き着くところまで行ってしまった社会を描いた風刺小説だ。

クオリティー・ラントでは、あなたの嗜好をシュミレートするコンピューターのアルゴリズムは完璧。あなたのことは何もかも、あなた自身も知らないことさえインプットされているようだ。その証拠に「ショップ」に登録されていると、注文さえしなくてもあなたの気持ちを察して欲しいものを配達してくれる。同じような傾向の商品ばかりを配達して、あなたをうんざりさせることなどあり得ない。あなたの移り気さえも、完璧にシュミレートできるからだ。

寂しく思っていると「クオリティー・パートナー」があなたに最適な相手とデートまでさせてくれる。自動運転車に乗ると、何もいわなくてもあなたが楽しめる場所へと運んでくれる。本当に便利だと思いませんか。

素直になること。自分が、自分が、と自分に固執するのをやめて、何かもアルゴリズムにお任せするほうが、コストもかからずいいのかも。

 


ドイツのベストセラー(フィクション部門)

11月4日付Der Spiegel紙より


1. Flugangst 7A

Sebastian Fitzek  セバスチャン・フィツェック

武器を飛行機に持ち込み、死の願望に駆られる乗客を阻止できるか

2. Origin

Dan Brown ダン・ブラウン

「ダヴィンチコード」の作者の新作。主要舞台はバルセロナ

3. Die Hauptstadt  

Robert Menasse ローベルト・メナッセ

欧州連合の本部・ブリュッセルで働く人々が登場する小説

4. Tyll

Daniel Kehlmann ダニエル・ケールマン

ドイツでよく知られた道化師と共に「三十年戦争」を見物・体験する

5. Die Perlenschwester

Lucinda Riley ルシアンダ・ライリー

「セブン・シスターズ」の第4巻

6. Das Fundament der Ewigkeit

Ken Follett ケン・フォレット

「キングスブリッジ」第3冊目。読みはじめたらやめられない本

7. Wolkenschloss

Kerstin Gier ケルスティン・ギーア

スイスの山奥のホテルでの美しい女性の冒険物語。男性も登場

8. Die Geschichte der Bienen

Maja Lunde マヤ・ルンデ

おいしいハチミツをくれるだけでないミツバチの歴史

9. QualityLand

Marc-Uwe Kling マルク=ウヴェ・クリング

自分がしたいことの判断まで機械にゆだねた世界に対する風刺

10. Durst

Jo Nesbø ジョー・ネスボ

デート相手を見つけるスマホアプリを利用した連続殺人犯の追跡