工業立国ドイツの「ものづくり」

最近、英米のメディアではドイツ経済をうらやむ声が絶えないといわれる。2010年度の経済成長率の見通しが3.6%に上方修正されたことに加え、ブリューデレ独経済技術相も「GDPが2011年には金融危機前の水準を回復するだけでなく、今後4~5年は高い伸び率を維持する」と誇らしげに語ったからである。また失業者数も300万人を割り、失業率は6~7%までに下がった。ドイツ経済好調の主因は、ユーロ安の追い風を受けてアジアで好調な輸出がけん引役になっているからだ。

ドイツの経済関係者にとって、英米メディアに褒められることは驚きに値する。なぜなら、「柔軟性の欠如した労働市場と多数の失業者」「企業家の前にはだかる官僚的な規制」「過去の技術に固執して新製品を開発できなくなった企業」といった具合に、ドイツはこれまで冷笑されてばかりきたからである。もしかしたら、ドイツについて似たようなイメージを抱いている日本人も少なくないかもしれない。

 

 

 

上のグラフは、2007~2009年までの上位5カ国の輸出額を示す。ドイツは2009年に経済危機の影響で首位の座を中国に奪われたが、2007年と2008年、またグラフにはないが、2004~2006年まで、さらにその前の1985~1991年までは世界最大の輸出国であった。ドイツのメディアは、自国のことを誇らしげに「輸出世界チャンピオン」と呼ぶ。このようにドイツが輸出大国であることも、米国と中国に注意が向けられがちな日本では、あまり知られていないかもしれない。

ドイツの輸出の大部分を占める分野は、農産物や原材料、エネルギー資源などではなく、加工品である。これは、ドイツの工業が世界市場で競争力を持つことを意味する。多くの日本人は、ドイツ製品というとメルセデス・ベンツやフォルクスワーゲンなどの自動車を思い浮かべるかもしれないが、このイメージは「メード・イン・ジャーマニー」の特徴を誤解させるかもしれない。というのは、工業立国ドイツの強さは、自動車が走っている路上にではなく、一般の人々が普通に生活する上では見えにくい分野にあるからだ。

大量生産では負ける

ドイツ工業の重点分野の移行は、昨日や今日のことでなく、かなり前から始まった。このプロセスは、日本の輸出攻勢と無関係でない。

M305-0001-02この事情を説明するために、ミュンヘンに本社を置くリンデグループを例に挙げる。同社は、ドイツ主要30社で構成されるドイツ株価指数(DAX)の構成銘柄にも入っている大企業である。19世紀末に冷凍機やガス分離技術を開発した発明家のカール・フォン・リンデが創立した同社は現在、工業用ガス生産とプラント・エンジニアリングの分野で事業を展開している。

言うまでもないが、液化ガスはスーパーでは売られていないし、北極の一歩手前の町、ノルウェーのハンメルフェストに同社が建設した天然ガス・プラント(写真)も、観光名所ではない。当然ながら、この企業は、ドイツでも一般的な国民には縁遠い存在といえるだろう。
しかし、昔からそうだったわけではない。同社はもともと冷凍機メーカーとして出発したこともあって、第二次大戦後の家電ブーム時代には、家庭用小型冷蔵庫を製造していた。ところが、1960年代に入ると家電ブームが終了。価格競争が激しくなる中、外国から低価格の冷蔵庫が輸入されるようになり、この事業分野の収益がどんどん悪化したという。

このような状況下での選択肢として、洗濯機などほかの家電製品も販売し本格的に「白物家電」に参入するか、あるいは撤退するかのどちらかについて、議論を重ねた結果、1967年に白物家電からの撤退を決定。小型冷蔵庫の工場は、ドイツの代表的な総合家電メーカー・AEGに売却することができた。

1960年代のリンデ社のボード・メンバーで、1970年代には社長も務めたヘルマン・リンデ氏は、当時を振り返り、「決断の正しさが後に証明された」と胸をなでおろす。なぜなら、1980年代に入ってから、冷蔵庫などの白物家電だけでなく、テレビやステレオなどの映像・音響機器を含めた家電全体で、ドイツは日本勢に押しまくられたからだ。その結果、ドイツの家電メーカーは市場からの撤退や消滅を余儀なくされ、ドイツ各地で工場が次から次へと閉鎖された。リンデグループのような決断をしなかったメーカーにとっては、これは悪夢のような体験であっただろう。同じころ、冷蔵庫工場を引き取ってくれたAEGも解体されてしまう。

リンデ氏は、「工場で大量に生産する分野で、自分たちが優れた生産技術を持つ日本のメーカーと競争できないことも、また一般消費者の願望を速やかに製品化する日本の企業についていけないことも、当時よく分かったのだ」と語る。こう考えるのは彼だけでない。

この認識は、ゆっくりとドイツの多くの企業経営者の意識に根を下ろし、無数の一般消費者でなく、限定した数の顧客、それも専門的知識を持つプロを相手にする商売にシフトさせることになる。リンデグループでいえば、工業用ガスとプラント・エンジニアリングという現在の事業分野である。似たような事業展開は、他の大企業でも見ることができる。

このように考えると、ドイツが今でも自動車を生産しているのは例外的なことかもしれない。しかしドイツの自動車関係者と話をすると、彼らがあまり得意でない分野で奮闘しており、だからこそ別の長所を持たなければいけないという意識を持っていることに気付く。以前、ドイツの有名な自動車会社が航空産業に参入したり、合併によるシェア拡張路線に走るなどして、自社の企業リソースを消耗したことがあったが、それらもこの「苦手意識」と無関係ではないだろう。

「隠れたチャンピオン」

では次に、より規模の小さな企業にも目を向けてみよう。

左の写真は映画の撮影風景で、移動撮影の際にカメラを支える台車装置が使われている。これは「ドリー」と呼ばれ、カメラマンはこの台車に乗って軌道を移動しながら被写体を追い掛けることができる。これを作ったパンサー社はミュンヘンの郊外にあり、ドリーだけでなく映画用カメラを取り付ける機材に特化し、そのレンタル業も兼ねた小さな企業である。

このような撮影用機材を使うのは、無数の一般消費者ではなく専門のカメラマンで、どこの国でもその数は限定されている。しかしパンサー社のドリーは、世界中の映画カメラマンが、予算が許せば使いたいと思うような機材である。以前、私財をなげうってドリーを買いに来た日本人カメラマンと話したことがある。通常、カメラマン個人がこのような機材を所有することは少ないが、彼は、これほど構造がシンプルでありながら、あらゆる目的が考慮されて設計された機械はないと絶賛し、この設計者がカメラマンであることを指摘した。

ミュンヘンには、映画界と関係が深い企業がもう1社ある。それは、アーノルド&リヒター社(通称「アリ」)で、設立されたのは1917年と歴史があるためパンサー社より知名度が高い。同社も映画撮影技術に特化しているが、特に映画用カメラが有名で、米・アカデミー賞の科学技術賞を10回以上受賞している。現在、映画用カメラ業界はデジタルへの移行期にあるが、2010年6月に発売されたデジタルカメラ「アレクサ」は評判が高く、予約注文が殺到している。

パンサー社もアリ社も映画技術者という専門家を相手にする商売であるため、一般消費者にはあまり知られていない。しかし、限定された小さな市場で高い競争力を持つだけでなく、国際的に業界をリードしている。ドイツでは、このようなタイプの企業がさまざまな分野で活躍している。

例えば、北ドイツのある企業は魚から骨や皮を取り除いて切り身にする加工機の製造で独占的地位を誇る。また、パイプオルガンの組み立てに特化し、世界中の教会に納入・設置する企業もある。さらに別の企業は、得意の高温技術を駆使して貴金属の素材、センサー、石英ガラスなどを供給している。ほかにも劇場用の幕を製造する企業、南ドイツの一地方にありながら世界中の遊園地のためにジェットコースターを開発する企業など、知る人ぞ知る企業が多くの分野にある。

かなり前から、ドイツの経営コンサルタント、ヘルマン・サイモン氏は、このように小さな市場に特化して国際的に強い競争力を発揮しているタイプの中小企業を「隠れたチャンピオン」と呼び、模範にすることを勧めている。彼の見解では、大企業も、その事業分野をいわば「中小企業」化して「隠れたチャンピオン」にすることが成功の条件となる(Hermann Simon : Hidden Champions des 21. Jahrhunderts : Die Erfolgsstrategien unbekannter Weltmarktführer. Frankfurt a. M. : Campus, 2007)。

また彼の調査では、このような「隠れたチャンピオン」というべき優良な中小企業が世界に2,000社以上あり、そのうち1,200社がドイツの企業であるという。言うまでもなくドイツの強い輸出力は、大企業以上に、これらの「隠れたチャンピオン」である中小企業によって支えられていることになる。

ではなぜ、ドイツにこのような優良な中小企業が多いのであろうか。少数のプロを相手に商売をする決意は、ドイツの「ものづくり」の伝統に回帰するように思われる。この伝統は、強いこだわりと誇りを持つ職人気質と共通している。顧客の顔を見ないで仕事をする職人などいなし、何かにこだわるからこそ工夫につながり、これが技術的解決案になる。

圧倒的大多数の「隠れたチャンピオン」は、ドイツでは地方に、それも重工業が未発達で近代化から取り残されてきたイメージのある南ドイツにある。その理由は、このような地域の方が住民も大企業志向になりにくく、かえって「ものづくり」の伝統を復活させやすかったからだと思われる。

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(2010年12月16日作成)