タイムマネジメント-ドイツ人のメンタリティー(3)

  • 発行:2017/04/11

概要

仕事と時間に関する異文化研究では、仕事を一つずつ順番に済ませるのを好むモノクロニックな文化と複数の仕事を同時にできる文化が区別される。ドイツ国民は前者の代表といえる。苦手なマルチタスクをしないで済ませ、強い秩序志向から予想外の事態をなくそうとしているうちに、予定表をいっぱいにする独特の時間管理の文化を生み出した。

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前回の「秩序とルールの尊重-ドイツ人のメンタリティー(2)」(2017年4月5日付掲載)で、ドイツ人の秩序尊重について述べたときにうっかり忘れたことがある。それは彼らの整頓好きである。ドイツの工場を訪れて整理されているのを見て感心する外国人は少なくない。また、ドイツ人主婦の台所も見ただけで分かるといわれる。というのは、整然としていて料理をした痕跡がないように見えるからである。昔、ドイツの女性は料理が嫌いで台所をろくろく使わないからだ、と真顔で説明する中国人の女性がいたほどである。

もうかなり前のことだが、私はドイツ人の同僚の整然とした机を見て、自分の机の上が雑然としていることに驚いた。また子どもの頃、部屋の中を散らかったままにしてよく叱られたことが思い出された。そしてずっと後になってから、ドイツに長年暮らすあるハンガリー人から、ドイツ人の机が整頓されている理由を聞いて少し気が楽になった。というのは、個人の資質だけでなく文化的要因も重要な役割を演じるからである。

「ながら族」が苦手な人々
そのハンガリー人の説明は、米国の文化人類学者エドワード・T・ホールが時間と仕事について指摘した二つのタイプの文化と関係がある。それは「モノクロニック(単一時的)文化」と「ポリクロニック(多元時的)文化」である。分かりやすくいうと、前者はドイツをはじめ北欧、北米、西欧の国民で「ながら族」が苦手である。反対に後者は南欧、東欧、アジア、南米、アラブ、アフリカなどの国民で「ながら族」が平気な、いわばマルチタスクができる人々の文化だ。

前者のモノクロニック・タイプは、Aの仕事を始めたらそれに集中し、それが終わったらBの仕事に移り、それを終了させたら初めてCの仕事に着手するといった具合に、順番に仕事を済ませていく。ということは、同僚のドイツ人はいつも一つのことしかしていない以上、机の上は散らかりようがないと、上記のハンガリー人は笑う。

反対に、後者の「ながら族」が平気なポリクロニック・タイプの方は、例えばAの仕事を始め、それが終わっていないのにBの仕事を始める。そうなったのは、緊急の電話がありBの仕事が必要になったからだ。Bの仕事はそう簡単に済ませられないので、いったん本来のAの仕事に戻る。その後また別件が発生し、今度はCの仕事に着手する。そして、それが終わっていないというのに催促があってBの仕事を再開し終了させる。
ポリクロニック文化圏のそのハンガリー人は、自分がしていたのは、この例に近いという。そして(ドイツ人の同僚と異なり)自分が同一の時間帯にいろいろなことをしている以上、机の上が散らかってしまうのも当然だとする。

そしてこのハンガリー人は、予想外のことが発生し、臨機応変な対応が必要になる状況に直面していることになる。これは、前回の「秩序とルールの尊重-ドイツ人のメンタリティー(2)」(2017年4月5日付掲載)で述べたように、不測の事態を避けるために完璧な準備をするべきとするドイツ人が尊重する秩序に反し、本来あってはならない状況である。ということは、A、B、Cと仕事を順番に片付けているのは、完璧な計画を立案し、計画通りに仕事が進んでいるという話にならないか。

エドワード・T・ホールはモノクロニック文化の国民について「一度に一つのことをする彼らは、多くのことを一度にしなければならなくなると途方に暮れる」1と述べた。ドイツ国民には、このマルチタスクは特に大変なようである。
ドイツ労働総同盟は2015年に4,900人を対象に、どのようなときに時間的ストレスを感じるかというアンケート調査2を実施した。この調査によると、時間的ストレスを感じる理由として「同時に複数の仕事をさせられること」を挙げた人が最も多く65%もいた。こう回答した人の半分以上は「マルチタスクのために、仕事から頭を切り替えて落ち着いて余暇を過ごすことができない」と嘆くほどである。

次に「人員があまりに少な過ぎる」という回答は63%で2番目に多い。これはリストラに対する反応で「昔は5人でやっていたのが、今では3人しかいない」という話はよく語られる。
3番目に多い回答は「計画になかった仕事がさらに出てくること」で61%もいる。A、B、Cという順番に仕事を片付けることができなくなり、A´とかB´といった仕事が生じることになったようである。これもモノクロニック文化の仕事の仕方に合致しないことで、こう考える人々が「仕事のために予定された時間が短か過ぎる」(54%)、「顧客の過剰期待」(41%)、「上司からの圧力」(35%)よりも多いのも注目に値する。

以下に挙げるのも、ドイツ人がマルチタスクが苦手であることを示す例である。

例1:売り損なった時計
ある日本人は時計を買おうと思っている。ところが、1人しかいない店員は先客にいろいろ助言を与えている。その日本人は買う時計をすでに決めており、乗らなければいけない列車の時刻も迫っている。彼はその旨を言いかけるのだが、そのたびに店員から「お待ちください」と言われて、自分が「割り込み」をしようとして叱られたような気持ちになる。彼はこれ以上待っていると列車に乗り損なうので店を出た。

例2:電話中で知らん顔
ある韓国人はドイツ人の同僚に用事があって彼の部屋に行く。同僚のドイツ人は電話をしていて、その韓国人が来たことを無視する。韓国人の方は同僚が電話を中断してあいさつすることなど期待していなかったが、それでも表情や態度、しぐさ、視線などによって彼の訪問を拒否していないことを表現できたはずだと思い、この同僚の態度にいら立ちを覚えた。

例3:仕事の邪魔をする気はないのに
ブラジルの工場で生産工程の管理を担当するあるブラジル人が本社に滞在する。彼は本社の生産ラインで知らない機械を見ると、ドイツ人の作業員に「この機械は何か?」と尋ねる。一言か二言で答えられることなのに、その作業員は仕事を中断してブラジル人に説明し始める。そのようなことが繰り返された結果、現場の責任者から正式にそのブラジル人に作業をこれ以上邪魔しないようにという警告が出された。

例1であるが「商売気がない」店員は、顧客をA、B、Cと順番に対応するように教育されたからその通りにしているだけである。この日本人が厚かましく「自分は代金を支払うだけだ」とか「列車に間に合わなくなる」とか言っていたら、事情は変わっていた可能性もある。「そんなことなら」と、店員は先客に「すぐ終わりますので」などと言って了承を得て、時計を売ることができたかもしれない。

例2であるが、電話をしているドイツ人は本当に電話に集中している。そうであるのは、モノクロニックな文化で一度に幾つものことができないからだ。ポリクロニック文化圏から来た人なら、電話中の彼らに話しかけない方がよいことを早い時期に学習するはずだ。というのは、うっかり話しかけると不快な顔をされるからである。例2の韓国人は同僚に知らん顔をされて気を悪くしているが、文化圏による違いであると理解すれば、不快な顔をされなかっただけマシだと考えることができるのではないだろうか。

例1でも例2でも誤解からドイツ人を傲慢(ごうまん)だと言う人がいるかもしれないが、決してドイツ人にそのような悪意があるわけではない。モノクロニック文化圏で育った人々はマルチタスクの能力があまり発達していないだけのことである。その点では例3も似たようなケースであるが、同時に工場の作業員がスタッフの外国人から質問されて、緊張したという側面もあるかもしれない。これらの例から、文化的相違について知っていた方が感情の行き違いを避けるためには望ましいといえるだろう。

理想の仕事
異文化研究者によると、マルチタスクが苦手なモノクロニック文化と、一度に幾つもの仕事をこなせるポリクロニック文化の相違点は、時間をどのように認識するかの違いである。モノクロニック文化では、時間は始まりと終わりがある直線として捉えられている。重要なのは、始まりと終わりがあるために時間が有限なリソースとして認識されることだ。そのため価値を持つようになり、無駄にしてはいけないもの、大切なものに「昇格」する。
時間を効率良く使おうとするなら、A、B、Cと順番に仕事を片付ける方が、A、B、Cの仕事の間を何度も行ったり来たりするより良いことになる。一つのことに集中できる方が仕事の質も向上する。

「ながら族」を厭わないポリクロニック文化では、時間は循環するものとして認識されるそうだ。例えば「春夏秋冬」は繰り返されるので時間が有限であるという発想にはなりにくく、モノクロニック文化のように慢性的な時間不足に悩むこともない。そのために、時間厳守という考え方になじみにくいともいわれる。

時間を厳守しながら効率性の高いシステムを築き、運営していくのには、西欧、北欧、北米などモノクロニックな文化の方が向いていて、資本主義の精神に近いとされる。とはいっても、日本をはじめ韓国、中国などといった東アジア圏の国民は典型的なモノクロニック文化でないが、柔軟性を持ち、効率性の高い生産体制を築き上げることに成功した。この点は特筆に値する。

時間を直線的に捉えてマルチタスクを厭うモノクロニック文化は西欧、北欧、北米の国々がその担い手であり、ドイツは本来そのような国の一つにすぎない。ところが、どこの国よりもモノクロニック文化がこの国の人々に染み込んでいる印象もあるように思われる。
例えば、ドイツのオフィス空間の主流は個室か準個室タイプである。ところが外国企業が、多数の人々が机を並べて働く大空間オフィスを導入しようとすると、ドイツではそれに対する抵抗が他の国より大きかったり、従業員が辞めたりすることもある3。確かに大空間オフィスになると、人間関係を二の次にして自分の課題に集中し、A、B、Cという具合に仕事を1人だけで順番に片付けるのは容易でないかもしれない。

このような傾向にあるドイツ人にとって、(すでに紹介したアンケート調査が示すように)マルチタスクこそ最大のストレスで、そうしないで済ませるために、a:しなければいけないことについて思いを巡らせて計画を練り、b:この計画を中断したり、邪魔されたりすることもなく実行して、c:目標を達成することこそ、最も望ましいことになる。これが可能なら、彼らは熱心に、それもコンスタントに脇目も振らず働く。例4のフランス人の証言も、仕事を順番に片付けていくことこそドイツ人の理想であることを示す一例といえよう。

例4:ドイツで長年働くあるフランス人の女性の話
ドイツで長年働くあるフランス人女性の話である。ドイツ人の仕事は丁寧であるだけではない。彼らは普通なら定刻に帰宅する。ただし、今日終了させることができるなら翌日に延ばすことはなく、少々時間がかかっても会社に残ってやってしまう。金曜日に仕事をやり残して、次の週に持ち越すことを彼らは好まない。計画を終えることができるなら、そのときは残業を厭わない。彼らにとって仕事を片付けることができたときが一番幸せに見えるそうだ。

時間管理の理屈
ドイツの人々のタイムマネジメントといわれても、彼らが時間当たりの生産性を高めるために励んでいるというより、自分たちにとって一番ストレスの少ない仕事の仕方を守るために努力しているように見えないでもない。もちろん彼らは、自分たちの仕事の仕方こそ生産性を高めるのに役立つと主張するかもしれない。

例5:会えるのは早くても3カ月先
将来、生産工程の責任者になるというあるメキシコ人は、ドイツの本社に1年間滞在することになった。彼に期待されていることは、このドイツの会社やシステムについて一般的な知識を身に付けることであるが、メキシコで製造予定の製品の潜在的な購入先であるドイツ企業とも接触しなければならない。彼はそれぞれの企業の担当者との面会を予約したが、どの人も忙しく、会ってもらえるのは最も早い場合でも3カ月先である。これを聞いたメキシコ人はすっかり面食らった。

例6:まず電話で面会の約束を
現在、ある企業のドイツ本社に滞在中のあるスペイン人は、帰国後に新しく出来上がる生産ラインの管理を担当することになっている。このプロジェクトに関係するドイツ人の同僚がリストアップされているので、滞在中に彼らに会っておこうと思った。1番目の同僚のところへ行くと、彼は驚きそのスペイン人の顔をしげしげと眺めた。そして今は時間がなく、質問に答えることなどできないとつっけんどんな態度を示した。彼はちょうど進行中の別のプロジェクトのことで誰かと議論の真っ最中で、そのスペイン人はそれ以上相手にされなかった。

その後、そのスペイン人はリストの2番目と3番目の同僚を訪れるが、事態は似たような話で、彼は失望して自分の部署に戻る。ドイツ人の同僚に相談すると、彼はまず電話をして面会の約束をしなければいけないと忠告される。彼はこの助言を実行し、2、3週間待つことになったがリストアップされた同僚と面談することができ、有用な情報を得る機会を持つことができた。しかし3カ月経過した現在でも、会っていない人がまだ残っている。

例7:トップが来るのに会ってくれない
日本のコンピューター関係の企業で働くある日本人は、ドイツに滞在し、ドイツ市場を担当している。ある日、彼は日本の本社からトップが来るという連絡を受ける。ドイツ企業と直々交渉するためである。ところが突然であったこともあり、ドイツ企業の対応者から、スケジュールが詰まっていて面談する時間がどうしても取れないと断られる。日本の本社のトップはドイツ企業側のこの態度を傲慢だと感じただけでなく、ドイツ市場を担当する自社の社員の交渉の仕方が悪かったと怒る。また担当者の方も、はるばる日本からトップが来るというのに、会う時間がないなどと言うドイツ企業側の態度をどうしても理解できないでいる。

上記の例5、例6、例7は、別の文化の出身者で外国人(メキシコ人、スペイン人、日本人)がドイツ人に会おうとするが、なかなか会えないか、全く会えないでいるケースである。外国人の方が驚いたり、気を悪くしたり怒ったりしているのは、自国であれば相手に会えるのにドイツではそうならないからである。
この三つの例に共通するのは、ドイツ人の予定がいっぱいになっていることだ。外国人たちはこの点に驚いている。ドイツでは昔と比べて予定表の空白の部分がはるかに少なくなったといわれる。これはドイツ労働総同盟のアンケート調査で触れたように、多くの組織で人員が減らされてしまったからだ。例5はこのような事情を裏付けるようにも見える。

ドイツでは、例6から分かるように、(同じ組織内でも)誰かに会おうと思うなら前もって電話し、面会を予約しなければならない。用件が簡単でないときには、電話だけでなくメールで説明するのが普通だし、これをしなければ要求されることが多い。ドイツ人が人と会うことには、例5、例6、例7に登場する外国人の出身国とは少し別の意味があるのではないのだろうか。
それまで知らない人に会うことによって、お近づきになるとか知り合うとかいう。また何度か会うことによって交流が深まり、顔なじみでなかったときよりもコミュニケーションがスムーズにでき、関係も良くなり、ビジネスの成功の可能性が高まることを期待できる。例6のスペイン人は、初めはそのような期待を持っていたように思われる。

ビジネスに関連したドイツ人の時間管理を見ていると、このような側面が全くないとはいえないが、かなり希薄であるように感じることがある。この点については「人間関係は二の次-ドイツ人のメンタリティー(1)」(2017年3月2日付掲載)で指摘したように「人間関係は二の次」で、用件の方が重要なのである。もちろん、ドイツでも面識を得ることは重要とされるが、そのためなら業界団体の催し物に出席するなどして、より適切な機会を探せばよいことになる。

ということは、ドイツでは仕事時間中に誰かと会うことを合意する以上、何か成果を得る可能性がなくてはいけないと考えられているように思われる。そうでないと、自分も会う相手も大切な時間を無駄にしていることになる。同じ理由から、会ったときのあいさつやスモールトークなどのウオーミングアップはなるべく短くするよう助言される。お金は失われてもまた稼げばいいが、失われた時間の方は戻ってこない。

誰かと会う約束をしたことは、ドイツの人々の論理では2人の人間がお互いにこの大切な時間を捧げ合うことを決めたことになる。ということは、そうなっているものを、例7のように、遠い国のトップが来るからといって反故(ほご)にするのはドイツ人にはなじみにくいのかもしれない。また、彼らは自社の対応した相手が会えないと断ったことで日本企業側を怒らせたことに気が付いていない可能性が高い。

ドイツでは、いろいろな場面でよく予約をしなければいけない。そうするのは、お互いに相手と自分の時間が大切であることを承認し合っていることでもある。例えば医師の診察を受ける場合も予約するが、割り込みを可能にするためには病状が重いなど、特別な理由を挙げてその必要性を納得してもらわないといけない。
ドイツ人の時間管理の理屈では、会うことになった以上、準備の方も行き届き、時間も取ってもらえ、真面目な意見交換ができて充実した話し合いの機会になる可能性が十分期待できる。

「時間がない」
職業との関係でドイツ人の予定がどんどん詰まってしまう状況について述べたが、この傾向は仕事に限らない。

例8:本当に暇がないのだろうか
ドイツにある子会社で管理職を務めるある中国人は、仕事が終わった後に時々、ドイツ人の部下を食事に招待したいと思っている。ところが、そのドイツ人の部下は「残念なことに今日は別の約束があって駄目です。ここしばらく毎晩予定があるのですが、来週の後半だったら空いているかもしれません」と言う。その中国人は、毎日顔を見ている部下と一緒に食事をするくらいのことで、それほど前から約束しなければならないということに違和感を覚える。そして、ドイツ人の部下は暇がないとか言うけれど、本当のところは自分とあまり近い関係になりたくないからではないかと考えるようになった。

例9:いつも何か予定がある人々
ドイツの大学で学んでいる米国人男性の話である。ゼミの後、彼はバーバラさんという女子学生を喫茶店に誘う。すると彼女は、残念だが今から乗馬の予定があるから駄目だと言う。この米国人男性によると、どのドイツ人もすでに予定が埋まっていてすることが決まっているという。彼の恋人の女性も、スケジュール表を眺めてからデートの日付と時刻を指定する。

似たような例はたくさんある。要するに、彼らはいつも何かすることになっているのだ。帰宅してから子どもの宿題の面倒を見る男性もいる。育児や家事を夫婦共同で行うというところも多い。ドイツ人は男性・女性を問わず家の修理などの大工仕事もどんどんこなす。また週末や祭日の余暇や休暇の過ごし方も活発で、予定はかなり早い時期に決まってしまう。
例8の中国人の上司から避ける意図を疑われるドイツ人の部下も、例9の米国人男性の知人も「時間がない」と嘆くが、それは本当のことであろう。というのは、自分から進んで次から次へと立てる予定によってがんじがらめの状態にされてしまっているところがあるからだ。

「秩序とルールの尊重-ドイツ人のメンタリティー(2)」(2017年4月5日付掲載)で指摘したように、ドイツの人々は不確実な未来に対して強い不安を覚えているために秩序とルールを尊重する面もあると思われる。未来が決まっていないと不安であることから、予想外のことをなくそうと努めているうちに計画好きになってしまった。ということは、彼らのタイムマネジメントとは精神的安定のためであり「時間がない」という彼らのせりふを聞いても外国人は気を悪くする必要はないことになる。

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1 エドワード・T・ホール著「かくれた次元」(1970年、みすず書房、238ページ)
2 http://www.spiegel.de/wirtschaft/soziales/arbeitswelt-jeder-zweite-klagt-laut-dgb-umfrage-ueber-zeitdruck-a-1065866.html
3 「ドイツのオフィス」(2012年11月8日付掲載)