秩序とルールの尊重-ドイツ人のメンタリティー(2)

  • 発行:2017/04/05

概要

ドイツ国民の秩序志向とルールを尊重する傾向は世界的に有名である。これは、不確定な未来に対する不安が強いことや、国民の歴史的体験と関係する。この国民性はドイツ独特の完璧主義といわれるものになり、ドイツに成功をもたらした。ただし、秩序志向とルールを尊重する傾向もそれが自己目的になると、組織の硬直化につながる危険もある。

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前回の「人間関係は二の次-ドイツ人のメンタリティー(1)」(2017年3月2日付掲載)では、職場でのドイツ人の性格に関連して、彼らにとって同僚、上司、部下との人間関係は二の次で優先するのは仕事に関連した用件であると述べた。これに関して誤解されないように強調しなければいけないことがある。それは、彼らが仕事と私生活を峻別(しゅんべつ)し、人間関係を軽視するのは前者の仕事の領域で、私生活では人間関係が重要であるということである。

今回のテーマは、欧州だけでなく世界中で多数の人が昔からドイツ人について抱くイメージである。それは彼らが秩序やルールを尊重するといわれる性格で、これは仕事の領域にとどまらず、生活全般に見られる。

決まっていないと不安
例1:駐車場
ある外国人の話である。彼が住むマンションは駐車場付きで、外部の人は使ってはいけないが、区画されていて居住者は自分のクルマを好きな場所に止めることができる。ところが、ドイツ人居住者のほとんどはいつも自分の場所を決めてそこに自分のクルマを止める。たまたま心ない居住者によって自分の「置き場」が奪われると、今度は自分も「加害者」になり、他の居住者の「置き場」に駐車する。翌日、この「加害者」が「置き場」を奪った「被害者」に出会うと言い訳をする。その外国人は、駐車場が広く、本来どこに止めてもいいと思っていたので、こうして謝られてすっかり面食らったそうだ。

駐車用の区画に居住者の名札が付いていれば本当は一番良いのだが、管理人は面倒くさがり屋らしくそうなっていない。この例から分かるように、ドイツの人々は決まりがなくて、またその必要がなくても自分の方からルールらしきものを作って自分1人で順守して秩序を保とうとしていることになる。彼らにはルールが自分の自由を制約するという考えはあまり強くない。少なくともこの外国人の目にはそう見えるという。

とにかくドイツには多数の法律や手続きがある。この国で暮らし始めた外国人は、住居が見つかったからといって喜んではいけない。というのは、居住登録から始まって、銀行口座開設、自動車免許、疾病保険、公共放送受信料支払いなど煩雑な手続きが待ち構えているからだ。「「美談」の行き先-難民の経済学」(2015年12月17日付掲載)で、この国の多くの人々が自国の首相を非難した最大の理由は何十万に及ぶ多数の外国人を手続きなしで入国させたことにある。

ドイツで生活するとは、多数のルールを守ることである。例えば、日曜/祭日は芝刈り機を使ってはいけないし、平日も午後1~3時は芝刈りをしないことになっている。また多数の客を招待してパーティーをしていると、夜中、入り口のブザーが鳴る。開けると警官が立っている。というのは、午後10時以降部屋の外に聞こえるような音量の音を出してはいけないのである。その必要があるなら、論拠を挙げて居住する町の役場に例外を認めるように申請しなければいけない。

また、子どもが学校に行かないで町の中をうろうろしていると、警官に捕まえられて学校に連行される。崩壊する家庭の増大で今や朝パトカーが迎えに来るケースも増大している。「スクールパトカー」と言ってからかう人はいない。ドイツの人々は、義務教育である以上、子どもも国家に対する義務を果たすのが当然だと考えているようだ。
ルールの尊重は、この国の人々がもめ事を恐れることと無関係でない。子どもが遊ぶサッカーボールが隣の庭に入ったといったささいな理由から裁判沙汰になり、ノイローゼ気味になった日本人の母親がいた。

次に秩序の反対とは、ルールがないか、あるいは守られなくなる場合である。秩序とは、決まりが守られている状態で、上記の駐車場の例で言えば同一の場所にいつも同じクルマが止まっていることになる。ということは、無秩序はどこに誰のクルマが止まるかがはっきりしていないことでもある。ドイツの人々は、不確実な未来に対して強い不安を覚えているために秩序を尊重することになる。このような現象はドイツ国民の歴史にその根を持つが、それについては後で述べる。

このような秩序意識は前もって不確定要因を避けようとすることであるために、欧州内ではドイツ人のすることは予想ができて面白味がないとか、創造性が欠如しているとか、保守的だとか悪口を言われることもある。欧州では昔からドイツ人の男性というと「眼鏡をかけた真面目なエンジニア」というイメージがあり、結婚相手として重宝がられるといわれた。

ドイツ的完璧主義
この秩序尊重とルール厳守から生まれるのは完璧主義である。ただし、この完璧主義は、何が起こるか分からない未来に対する不安と、できるだけ驚かされないで済ませたいという願望からでき上がったものである。なるべくリスクを最小限にし、そのための組織作りと仕事の段取りを想定して計画する。予測できないことが起こり、それを臨機応変に処理したとしてもあまり賞賛されない。準備を怠っていた結果、不測の事態を招いてしまったからで、これを回避することの方が本来重要だからである。

例2:職業の数
東アジアの政治家がドイツで職業教育関連機関を訪れた。それは、職業の現場での実習と学校での理論教育を並行にして進めるデュアル教育のレクチャーを受けるためである。彼は話を聞いているうちにこのシステムの利点について納得するが、ドイツには学校へ行って習得できる職業の数が300以上もあると聞き耳を疑う。その様子を見たドイツ側の担当者は、直ちに彼にこれらの職業が記載されているリストを渡す。政治家はページを繰りながらその数の多さにあぜんとする。

不測の事態を回避しようとするためには、発生する問題をできるだけ想定して、どんな機能(仕事)が必要になるかを前もって予想しておかなければいけない。こうして予想された仕事をする能力を持つ人材を前もって教育しておくことこそ、不測の事態に対処していることになる。

前回の「人間関係は二の次-ドイツ人のメンタリティー(1)」(2017年3月2日付掲載)の中で、ドイツの職場で上司には「部下の課題と分担を明確にすることが期待される」と述べたが、管轄は責任の所在をはっきりさせることである。下の例3もこのような事情を示す。

例3:電気は管轄外
ドイツで組み立ての仕事をするようになった英国人の話である。彼はドイツ人の同僚と一緒に現場に派遣されて、金属製電動ドアを取り付ける。取り付け終了後、そのドイツ人の同僚は帰ろうと言う。その英国人はドアを電気で動くようにしようと思っていたので驚く。するとドイツ人の同僚は「それは電気担当の同僚がする」と言って譲らない。

この英国人は、ケーブルを引いて電気でドアを動かすようにすることぐらいは組立工の自分たちにもできると思ったのかもしれない。とはいっても、この点はドイツ的秩序の根幹に関わってくる。というのは、試験によって資格を授与されていない人がやってもいいことになったら、職業教育の意味も空洞化しかねないからだ。

電気についての専門的知識を持つ人が最後の仕事をしなければいけないというのは、ドイツの人々にとって車検を受けた自動車しか町の中を走ってはいけないという話とあまり違わないかもしれない。というのは、不安を引き起こす不確定領域は専門家の管轄下に組み込まれることによって縮小していくとドイツでは考えられているからである。こうして、法律、ルール、規格、契約、約束を順守することが秩序であり、また実績のある方式であると信じられている。

「人間関係は二の次-ドイツ人のメンタリティー(1)」(2017年3月2日付掲載)で触れたように、ドイツの職場ではあまり遠慮しないで議論する習慣がある。これも組織の中で秩序とルールを尊重することと関連してコンセンサスを得るための重要な手続きである。ドイツ企業同士では問題にならないが、文化の異なる外国企業との共同プロジェクトでは面倒なことになるかもしれない。それは議論のテンポが速いドイツ側のペースで進み、すでに個々の反対意見についても説得できて、交渉も最終段階に近づいたとドイツ側に思われている頃に、突然のように外国側から疑問や心配が表明されることが時々あるからである。これは、外国側がそれまで総論に賛成し、各論についての論拠を深刻に受け止めていなかったからである。言うまでもないが、ドイツ側の失望は大きい。

組織の硬直化
ドイツ人の秩序とルールの尊重は、隣国の国民の反応と関連して触れたように保守的で、時には官僚的硬直性をもたらす。また、システムの中で専門家に重要な役割が与えられているために権威主義になり、その点がネックになったり、システムの不透明の原因になったりすることがある。

例4:契約通りでない部品
コンピューター関係のドイツ企業はアジアのメーカーから特定の形状の部品を仕入れることで購入契約を締結。ところが、納期が近づくとこのアジア企業は契約通りの形状の部品を納入できないと伝える。ただしその差異は小さく、搭載するドイツ側の機械は同じように機能することを強調する。ドイツ側もその点は認めるが、購入は拒絶する。それに対してアジア企業側は値引きを申し出るなどドイツ側の歩み寄りを期待したが、その態度には変化が見られなかった。このようなとき、アジア企業側はドイツ人を形式主義で官僚的だと感じることがある。

例5:いろいろな問題
あるドイツ企業で車軸の開発に責任を持つ英国人エンジニアの経験である。技術的問題の解決も難しく、期日を守るのも厄介で、彼の部署は超過勤務を数週間余儀なくされた。ところが、幸いこれらの問題を克服することができた。彼の上司はでき上がった車軸を点検し、印字の字体が納入先の仕様通りでないことを発見した。この英国人エンジニアによると、これも大きなミスであり訂正されなければいけないが、彼が不満を覚えたのは、数週間も彼が苦労した技術的問題と、この字体のミスが上司の頭の中で同列に並んでいるような印象を受けた点だという。

ルールや規格の尊重も時には、これらの例4と例5が示すように、自己目的になり、何のためだったかが見失われる。そうなるとルールを盾に取る既得権益維持になり、組織は硬直化してしまう。現在、ドイツ経済の評判は良い。でも、そのために忘れられてしまうことがある。それは、2000年代初頭、ドイツ経済が欧州の中で「お荷物」扱いされていた点だ。ドイツ人というとバカンスばかり取っているイメージがあった。
だからこそ、当時のシュレーダー改革が実行された。現在多くの点が改善されたが、それでも、何か必要があってドイツの会社に電話をしても誰も出ないことがある。このようなことは、組織の硬直化もあるかもしれないが「人間関係は二の次」で同僚同士の助け合いがうまくいっていないこともある。

自己責任方式
秩序やルールを尊重する社会は欧州にもアジアにもあり、ドイツだけでない。とはいっても、ドイツ国民はこの点でかなり特別である。というのは、彼らは秩序やルールに自己同一化し、それらを自分の心の中の尺度に昇格させて、自身の行動に責任を持つといわれるからだ。この責任感は職場での人間関係でなく、引き受けた課題と自分にルールを適用することから生まれる。

例6:「改札口のない駅」
ドイツの電車の駅には改札口がない。乗客はホームへ行き、そこに来た電車に乗り、目的の駅に到着して降りる。ただし抜き打ち的に検札が入り、有効な乗車券を持っていないと無賃乗車と見なされ罰金を払わなければいけない。しかし、市内や近距離の場合は乗車時間が短く検札を受けることはあまりない。ということは、無賃乗車をしようと思えばいくらでもできることになる。ところが、大多数の乗客はこの自己責任方式を支持し、自主的に切符を購入する。だからこそこの方式が機能するとされている。

このシステムは「奇跡の経済復興」に成功し豊かになり、慢性的な人手不足に悩んでいた戦後西ドイツの1960年代に始まった。昔から欧州の隣国の人々は、この方式は真面目なドイツ人だからこそうまくいくのだと感心する。現在は時代も変わり、比較的失業者が多い町では無賃乗車数が増大しているそうだが、それでもドイツ全体では無賃乗車数の割合は3%ぐらいにとどまり、乗客はこのシステムに納得していることになる。

例7:高いモチベーション
ソフトウエアを共同開発するドイツ企業とインド企業の間でコーディネーターを務めるインド人の経験である。彼の下でドイツ人とインド人が働いていることになるが、ドイツ人グループに対する彼の評価は高い。彼らに何か新しい課題を出すと、熱心に仕事に取り組んできちんと間に合わせる。また、必要があれば彼らは仲間の間で助け合う。プロジェクトを円滑に進めることが彼らに重要であることを、インド人のコーディネーターは感じたという。うまくいったからといって、彼らが何か物質的に得をするわけでもない。このインド人には、ドイツ人が仕事をうまく組織して実行することそのものに価値を見いだしているように思われた。

プロジェクトの意味を理解し、その中で規定された規格やルールを真面目に受け取り、期待通りのでき映えの仕事をやり遂げて、何かトラブルが発生したときにはお互いに助け合って処理に当たる。さらに、きちんと仕事の進行状況を報告してもらえる。このようにモチベーションも高く、自己責任の原理で仕事を次から次へと片付ける。このような仕事ぶりは特別なことでなく自明とされ、褒められると困った顔をする人もいる。

不確実性回避度
オランダの異文化研究者、ヘールト・ホフステードによると、国民の未来に対する不安の度合いは国によって異なり、この度合いが高い国民は秩序志向が強いそうだ1。彼はこの要因を「不確実性回避指数(Uncertainty avoidance index)」として数量化した。

それによると、1位はギリシャの112点、次はポルトガルの104点で、ドイツは37位で65点でそれほど「不確実性回避度」が高いわけでない2。ベルギー、フランス、スペイン、イタリアといった欧州隣国がドイツより上位に位置している。ドイツ人は、例えばギリシャ人やイタリア人の秩序の尊重が強いなどとは考えない。おそらくこのようにメンタリティーを数量化して説明するのは無理があるのかもしれない。

ドイツでは、自国民の秩序志向はよく戦乱に明け暮れて安全や秩序からほど遠かった自国の歴史と関連付けられる。近世に入ってから欧州の隣国では統一国家が成立しているのにドイツは分裂状態にあり、隣国からの軍事介入を招いた。これに関連して、欧州全土から傭兵が集まり、ドイツの人口が(一説によると)半分以下に減ってしまった30年戦争が挙げられる。そのような経験を通じてドイツ国民は秩序やルールのありがたさを学んだのだと説明される。

ドイツ国民のこのような秩序志向とルールを尊重する姿勢こそ自国に成功をもたらしたもので、そのために自国のシステムを最善と見なす傾向がある。この国の人々は成功を繰り返す優等生タイプで、それだけに、何かうまくいかないと挫折感が強いともいわれる。

また、自信過剰から自国がどれほど隣国から傲慢(ごうまん)だと思われているかにあまり気付かないともいわれる。ユーロ危機勃発以来「緊縮財政のすすめ」でこの国の政治家は隣国の人々をイライラさせている。自国の処方が隣国に適用できるかどうかをあまり疑わないのは、「人間関係は二の次-ドイツ人のメンタリティー(1)」(2017年3月2日付掲載)で述べたように「人間関係が二の次」である結果、人の気持ちをくむことが苦手だからでもある。

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1 http://itim.jp/interview_hofstede_jetrosensor201604/
2 http://www.clearlycultural.com/geert-hofstede-cultural-dimensions/uncertainty-avoidance-index/