発行:2012/10/16
概要
オクトーバーフェストは毎年600万人以上が訪れる世界最大規模の祭りで、16日間の会期中に11億ユーロもの金が落とされ、地域活性化に役立っている。この祭りは200年以上の伝統を誇るが、実は昔は、今のようなビール祭りではなかった。
最近私は、日本から来た友人と一緒にオクトーバーフェストを訪れた。大入り満員の巨大テントの中にあるビアホールで、やっとこさ座席を確保。そこでは昔と同じく、楽団が1曲演奏を終えるたびに、みんなが「オァンツ、ツヴォア、クスッファー」と声を上げ、周囲の人たちとジョッキを合わせてはビールを飲んでいる(写真1左)。
「1、2の、3」という日本の掛け声で「3」の代わりに「飲めー」と叫ぶと「1、2の、飲めー」になる。これがドイツでのビールを飲むための掛け声の日本語訳だと友人に説明するが、やかましさと勢いに圧倒されている彼はあまり関心を示してくれない。
そのうち自分がオクトーバーフェストに初めて来たときのことが思い出された。この掛け声は南ドイツ・バイエルン地方の方言で、日本で「1」はドイツ語で「アインス」とばかり習っていた私には、最初の単語は「ワン」に、3番目は「クソー」と聞こえた。当時の私には、ドイツ人が酔っ払って、とうとう英語と日本語を混ぜて使っているかのように思われたものだ。
世界最大の祭り
オクトーバーフェストとは、ドイツのミュンヘンで9月中旬から10月上旬まで催されるビール祭りで、世界最大規模の祭りといわれる。16日間の会期中にほぼ毎年600万人以上が会場に押し寄せるためだ。ちなみに2011年は690万人が訪れ、790万リットルのビールと52万3000羽の焼き鶏(グリルド・チキン)、7万本の豚足、118頭の雄牛、92頭の子牛が消費された。
34ヘクタールの会場には、メリーゴーラウンドやお化け屋敷、ジェットコースターといった130の遊戯施設(写真2左下)、綿菓子やソーセージを売る小さな屋台から、14の巨大テントの仮設ビアホール(写真3右下)を含めて128の飲食店がある。その総座席数は10万4000席。このイベントは雇用にも寄与し、会場内での正規就業者数が8,000人、会期中だけアルバイトする者が4,000人に及ぶ4。
ミュンヘン市によると、この祭りには11億ユーロの価値があるという。その内訳はこうだ。1)690万人の訪問者はビールを飲んだりジェットコースターに乗ったりして会場内で4億3500万ユーロの支出をした。これは1人平均63ユーロに相当。2)会場の外で食事をしたり、電車やバス、タクシーに乗ったり、買い物をしたりして、2億7600万ユーロがミュンヘンの町に落とされた。3)会期中ホテルに宿泊する人々が払った金額が4億300万ユーロに上った5。
ミュンヘン市民 | バイエルン州 | ドイツの他の州 | 外国人 |
60% | 12% | 9% | 19% |
上表の数字から分かるように、これはミュンヘン市民の祭りである。690万人の60%は414万人になるが、ミュンヘン市の人口は138万人にすぎない。とすると、ビールを飲んで騒ぐのが好きで仕方がない人々が会期中に何度も訪れていることになる。
次に上記の19%、すなわち130万人余りの外国人訪問者の国別の割合は、イタリア(17%)、米国(14%)、英国(12%)、オーストラリア(11%)、オーストリア(9%)、スイス(7%)、フランス(4%)、カナダ(3%)、アイルランド(2%)、ニュージーランド(2%)といった具合。ビール醸造が盛んな国の人々に人気があることが分かる。ワインの国といわれるイタリアからの訪問客が多いのは、彼らの陽気な国民性と無関係ではないだろう。
全世界に2,000以上の「オクトーバーフェスト」という名称のついたビール祭りがあり、オリジナルの宣伝をしてくれている。ミュンヘン市内の六つの醸造会社は、共催者として普通より1%余りアルコール度数が高い特別なビールを醸造しており、会場で飲むことができる。どこの会社も、ミュンヘンの町中の昔ながらの手狭な醸造所で辛抱しているのは、引っ越しをして「オクトーバーフェスト」ブランドを失いたくないからだ。
サクセスストーリー
地域経済活性化を目的に多くのイベントが実施されるが、自治体や国の財政赤字を増大させる結果になることが多い。そのような例と比べて、オクトーバーフェストは大成功したメガイベントといえよう。
このイベントには長い伝統がある。1810年10月17日にバイエルン王家皇太子ルートヴィヒとザクセン・ヒルトブルクハウゼン王女テレーゼの結婚を祝うために町の外の原っぱで草競馬が催され、市民も見物できた。これがオクトーバーフェストの始まりで、その後もバイエルン王家と住民の絆の強化のために草競馬が繰り返され、ブランコなどの遊戯施設が置かれるようになり、次第に祭りとして発展していく。
このように1810年10月17日の王家の結婚祝いに起源があるため、1910年にオクトーバーフェスト誕生100年が、2010年にも誕生200年が祝われた。確かに伝統のある祭りだが、これまで発展したのは、この伝統に縛られなかった点にあるだろう。というのは、早い時期にミュンヘン市民が主催者となって民間主導力を発揮し、その結果、経済的実用主義が追求され、祭りの性格が変わったからである。
例えばこの祭りの開催場所は、現在も当時と同じ原っぱであるが、開催期間の方は、オクトーバーフェスト=10月祭りという名前にこだわらない。1874年から、9月15日以降の最初の土曜日に開始し、10月の最初の日曜日に終了することになった。今年は9月22日の土曜日から10月7日の日曜日まで16日間開催されたが、その年の暦によっては10月3日辺りに終了する場合もある。開始期日を前倒ししたのは、9月後半は天気が良く暖かい日が多いからである。10月中旬ごろからは、冷え込んだり雨が降ったりして野外での祭りには適さない。
オクトーバーフェストは、始まったころからミュンヘン市民がビールばかり飲んでいた祭りだと思っている人は少なくない。左の写真6は、1810年10月17日にバイエルン王家の婚礼を祝う草競馬を描いた絵である。白いテントが見えるが、これは現在のオクトーバーフェストの巨大テントのビアホールではなく、王室関係者のみが出入りした。19世紀にオクトーバーフェストを描いた絵の中には、端の方にビールのたるが置かれているなどビールが飲まれていたことが想像されるものもある。しかし、ミュンヘン市が会場でのビール販売を正式に許可したのは1880年からである。
すでに1870年代にはカール・フォン・リンデにより冷凍技術が発明され、それまで冬場に限られていたビール醸造が常時可能になっていた7。こうして生産キャパを拡大しつつあったミュンヘンのビール業界にとって、オクトーバーフェストがビール祭りになることは大歓迎であった。この結果、ミュンヘン市主催のバイエルン王家の祭りが現在のビール祭りへと変貌を遂げたのである。
本来、ビール祭りなら夏が適する。事実ドイツ各地の小さな村では、テントが張られてそこで飲み食いができる夏祭りがあり、ビールが消費される。現在ではすっかり忘れられているが、冷凍技術がなかったころは冬場の醸造開始に備えてビール在庫を空っぽにするための販売キャンペーンが盛んであった。つまり当時は夏だけでなく秋にもビールを飲む風習があったこととなる。ビール業界がオクトーバーフェストに全力投球したのは、この古き美風が失われないようにするためであったといえるかもしれない。昔、あるビールメーカーの社長が「ビール文化とは、夏だけでなくいつでもビールを飲んでもらえるようにすることだ」と、笑いながら語ったことがある。
体験したい
この10年間にオクトーバーフェストが変わったとよくいわれる。例えば以前は、オクトーバーフェストは庶民には好まれたが、高等教育を受けて社会的に高い地位にある人々からは避けられてきた。ところがこの事情は現在変わりつつある。
この点はサッカーと似ているかもしれない。サッカーは、以前は労働者のスポーツとされ、高等教育を受けた人々はあまり関心を払わなかった。しかし現在では、サッカーは階層と無関係に人気がある。だからこそ大企業はサッカー場の桟敷席を接待に利用する。階層の違いは購入する入場券の値段にしか反映されなくなった。
このような変化と関連する要因の一つは、人々の現実との関わり方が変わったことであろう。サッカーのワールドカップのパブリックビューイングが示すように、自宅で1人でテレビ中継された試合を見るよりも、多数の人々と一緒に見ようとする。これはサッカー見物に参加することによって、その現実を濃厚に体験できるであろうと期待するためである。国旗などの小道具を持参するのも、そうすることで自己参加の意識が増し、その分だけ現実の体験度も強まると期待されているためだろう。
オクトーバーフェストへ行く人々も、パブリックビューイングでサッカー見物をする人々と似ているといわれる。だからこそ以前と異なり、今では大多数の人々が民族衣装を着て会場に出掛けるようになった。男性は皮のズボンをはき、女性は左の写真8にあるようなディアンドルを着る。そうするのは、民族衣装を着用することによってオクトーバーフェストへの参加意識が強まり、その分だけ現実を濃厚に体験でき、より強い満足感を得られると思っているからだろう。
19世紀、20世紀に描かれた絵画や撮られた写真を見ても、ほとんどの人々はこのような民族衣装ではなく、当時の普通の服装である。ということは、オクトーバーフェストの現実をできるだけ体験したいといっても、昔を模倣しているのではなく、一般に流布されたこの祭りのイメージに従っているだけである。飲食代や入場料の値段が高いことも、たくさんビールを飲むことも、この祭りのイメージであるが、多くの人がこうして後からつくられたイメージを受け入れて楽しみ、経済活性化につながってくれるなら歓迎すべきことである。
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1 筆者撮影
2 筆者撮影
3 Agathon Mediaservice 提供
4 München Referat für Arbeit und Wirtschaft,
Presseinformation 31.07.2012/Pa, W 06, Das Oktoberfest in Zahlen
5 München Referat für Arbeit und Wirtschaft,
Presseinformation 31.07.2012/Pa, W 13, Wiesn-Wirtschaft
6 筆者所有の1910年の絵はがき
7 Carl von Linde:Aus meinem Leben und von meiner Arbeit. Neudruck München 1998. P36
8 Agathon Mediaservice提供
M304-0002
(2012年10月3日作成)