ドイツの鉄道事情(1)

ドイツの鉄道事情(1)          2011/03/01        美濃口 坦

概要

ドイツ鉄道は「線路オープンアクセス」で参入してきた内外の鉄道事業者との競争にさらされて国内シェアを失いつつある。民営化後も政府が株を保有し、事実上、国家の所有が続く同社は、顧客サービス重視の民間企業に押されている状況だ。

ドイツは昨年12月「ペトラ」という女性名が付けられた猛烈な寒波に襲われた。連日のように氷点下20度以下に冷え込み、ドイツ鉄道は列車が遅れたり運行を停止したりした。「シベリア並みの寒さになったのだから仕方がない」とあきらめないのが論理的と評されることの多いドイツ人らしいところで、それ以来、政治家もメディアも責任の追及に熱心である。

●鉄道の民営化
批判の矢面に立たされたのは1999年から2009年までドイツ鉄道の最高経営責任者であったハルトムート・メードルン前社長である。彼こそ利潤追求に走り、鉄道運営に必要なインフラ面での投資を怠り、顧客サービスを軽視した張本人だと非難された。

1994年、統一後も分かれていた東西ドイツの国営鉄道が合併し、現在のドイツ鉄道株式会社が誕生したが、全株政府保有であり、在任中のメードルン社長は株式の上場を目標としていた。そのためには利益を出して出資者に魅力的な企業にしなければいけない。しかし、この点が難しいところで、お客さんからそっぽを向かれる会社は投資家にも魅力的とはいえない。

2001年のことだが、私はハノーバーからベルリンまでの間、ドイツ鉄道・高速列車(ICE)のコンパートメントの中でメードルン社長(当時)から民営化について話を聞いたことがある。「テーマを挙げて誰かと中身のある話をしたい」と取材の申し込みの電話をしただけなのに、こんな機会が設けられたのは、私が欧米でも有名な「Shinkansen」の国の人間だからだと思われる。

1964年に開業した日本の新幹線は、モータリゼーションに押しまくられていた欧米の鉄道関係者の「希望の星」であった。また鉄道の民営化も日本では成功したが、英国では失敗、その後エストニアやニュージーランドなどの国でも失敗に終わり、政府は損をしても買い戻さなければならなかった。このような事情から、今でも鉄道民営化推進論者に思い浮かぶ成功例といえば日本なのである。

ハノーバー駅のホームで、ベルリン行きのICEに乗る前に、メードルン氏が駅員と気さくに立ち話をしているのが印象的であった。彼はドイツでは少数派のエンジニア出身の社長で、率直な話し方をした。

彼の見解では、鉄道の民営化とは、鉄道事業をビジネスとして成功させることである。そして、成功を左右する重要な要因は企業環境だ。道路事情がよく、高速道路が無料で、多くの人が通勤にも出張にも車を利用するドイツは鉄道事業に厳しい国である。

反対に日本は、メードルン氏から見ると、鉄道事業のしやすい国だ。彼によると、日本では鉄道利用度がドイツよりもはるかに高いからである。彼の話を聞いているうちに、私にも日本の満員電車がとても幸せなことに、反対に、がら空きのドイツの電車が殺風景に感じられて同情を覚えた。

彼は、日本のような条件にないドイツでICEがいくらがんばっても「Shinkansen」にはなれないと嘆いた。また、日本にはドイツにない文化があって、そのために鉄道利用者数が多いとうらやむ。説明を聞いているうちに、彼が「顔つなぎ」の習慣のことを言っているのがわかって笑ってしまった。日本では、メールや電話で済ませず直接人に会うことが重要で、そのために鉄道利用者が多いと、ドイツ人からは思われているようだ。

メードルン社長の望みどおりに、その後ドイツ鉄道は毎年黒字を出した。長い議論を経て線路や駅などのインフラ部分を政府保有のままにし、輸送サービス部門を切り離して、その株を上場することに決まったが、上場が予定されていた2008年秋にリーマン・ショックで株価が下がり、株式上場は無期延期になった。株価が回復しても、世論の風向きが変わったせいか、政治家も株式上場に積極的でない。

●「上下分離」による競争
ドイツ鉄道は、長年株式上場を目標にして企業努力をしてきたが、その見込みが立たなくなったからといって、努力を放棄するわけにはいかない。それは、下のグラフ「鉄道・民間のシェア」1が示すように、国内市場に競争相手がいるからである。

【鉄道・民間のシェア(%)】
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グラフの「民間」は、ドイツ鉄道以外の鉄道事業者すべてという意味で、近距離の乗客輸送と貨物輸送の二つの分野での民間のシェア(%)を、それぞれ青色と赤色で表示した。グラフから、ドイツ鉄道が過去10年間でその独占的地位を確実に失いつつあることがわかる。

ドイツ鉄道以外の鉄道事業者であるが、国内事業者であったり、国際的な交通事業者であったり、いろいろある。重要な点は、これらの民間鉄道事業者がドイツ鉄道に属する線路や駅などのインフラを利用していることだ。これは元来、民営で始まった鉄道事業の国営化が徹底していた結果、線路といえば、ほとんどすべてが元国鉄・ドイツ鉄道に属することになったからであり、鉄道線路が、トラックやバスがその上を走行して輸送サービスを提供している高速道路のように考えられていることになる。

鉄道に関しては、このように線路など「下」にあって動かない部分と、その「上」を走る列車の輸送サービスを分ける発想が強い。だからこそ、すでに言及したように鉄道民営化で「上下分離」方式にして、「上」の輸送サービス部門だけを切り離しての株式上場を考える。「下」の部分は国家に所有され続け、鉄道事業者間の競争も線路の上を走る列車の輸送サービスの争いになる。

1991年の欧州指令2の中でも、この上下分離の発想に則って、どの鉄道事業者も原則として線路を使用できることが明記されている。このオープンアクセス方式は、元国営企業の既得権を侵すことになるため、その実行は容易でない。上のグラフでは遠距離乗客輸送の分野が省かれているが、その理由は、ドイツ鉄道がこれまでシェアの99%以上3を維持し、その他の業者が1%以下であるために同じグラフに表示できないからだ。しかし、後で述べるが、この状況も今後変化する可能性が強い。

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左上の写真4はコペンハーゲン駅に停車しているドイツ鉄道・高速列車(ICE)であるが、欧州の遠距離輸送で列車が国境を越えて行ったり来たりするのは特別なことではない。また数年前から、ICEがフランクフルト~パリ間を、フランス国鉄(SNCF)の高速列車・TGVがパリ~ミュンヘン間を往復している。右上の写真5は、その途中のストラスブール駅に到着するフランス国鉄の高速列車である。

このような相互乗り入れは、競争というものではなく、航空業界に対抗するためのフランス国鉄とドイツ鉄道の共同歩調を示すデモンストレーションといえるだろう。しかし舞台裏では、独仏の代表的鉄道事業者の鞘当てが進行中である。

2011年からフランス国鉄は子会社であるケオリス社を通じて、ザルツブルク、ミュンヘン、シュツットガルト、フランクフルト、ケルン、ハンブルクといったドイツ国内および周辺国の主要都市を結ぶ路線で高速列車の運営を開始する。

ドイツ鉄道の方も、パリを経由しないで直接ドイツとフランスの地方都市を結ぶ路線や、またケルンからブリュッセル、英仏海峡トンネルを通過してロンドンへ通じるICEの路線を企画している。しかし、ドイツ側は計画が進展しないことに業を煮やしてオープンアクセスの実行をフランスに迫っている。

ドイツで鉄道事業を行うのは隣国の企業だけではない。レイルロード・デベロップメント・コーポレーション(RDC)は米ピッツバーグに本社をもち、世界各地で鉄道事業を行っている。この米国企業も、ドイツに子会社を設立して、2011年から上記のフランス国鉄と同じように主要都市間を走行する高速列車の運行を始める。このような事情から、ドイツ鉄道が長距離乗客輸送の分野で今後も99%以上のシェアを維持するのは困難だとみられている。

また貨物輸送においても、前掲のグラフ「鉄道・民間のシェア」が示すように、民間事業者がドイツ国内の4分の1のシェアを獲得したことを考慮すると、ドイツ鉄道が一方的に押しまくられている印象を受けるかもしれない。ドイツの新聞もそのように書くが、そうとばかりもいえない。ドイツ鉄道のリュディガー・グルーベ現社長は、あるインタビュー6の中で、フランスにある子会社のユーロ・カーゴ・レール(ECR)がフランスの鉄道貨物市場で8%までシェアを伸ばしたことを誇っている。おそらく欧州主要国がオープンアクセスを要求しあいながら激しいシェア獲得競争をしているのが実情だと思われる。

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1 グラフの数値は、http://www.deutschebahn.com/site/shared/de/dateianhaenge/berichte/wettbewerbsbericht__2010.pdf より
2 http://www.transportrecht.de/transportrecht_content/1040372537.pdf
3 http://www.privatbahnen.com/pdf/2009-07-07_WBB.pdf の99ページ
4 ドイツ鉄道株式会社提供
5 筆者撮影
6 http://www.faz.net/s/RubD16E1F55D21144C4AE3F9DDF52B6E1D9/Doc~E70AC29735B784E7AB93585185C529C5C~ATpl~Ecommon~Scontent.html
●パリから来た高原列車
前掲のグラフが示すように、近距離乗客輸送の分野では、2000年の時点で民間事業者がすでに6.4%のシェアに到達している。これは、1994年にドイツ鉄道が誕生した直後、国内の小規模な民間業者が客の少ないローカル路線を引き受けたからといわれる。その後、交通事業に特化した国際的大企業がそのような民間業者から事業を引き継いだり、また直接参入するようになったりして、民間全体のシェアが現在の20%以上に増大した。

民間が参入しやすい要因は、1994年の鉄道法改正で近距離鉄道の管轄が中央の連邦政府から、より住民に近い州に移されたためといえる。この結果、州もしくはその代行機関が、近距離路線の輸送サービス提供者を公募し、適切と思われる事業者に輸送サービスを委託し、連邦からの補助金で委託料を支払うようになった。

こうして、民間事業者は乗車券の売り上げと州から支払われる委託料で経費をカバーし利益を出す方式になった。また売り上げと委託料の比率であるが、2005年度に35%対65%だったのが、2008年には40%対60%になった。こうして売り上げの占める割合が上昇する傾向にあることは、経営努力によって望ましい方向に向かっているといえるだろう7

M305-0002-1-3ミュンヘンと南の山間部の小さな町をつなぐ全長120キロメートルの路線は昔ドイツ鉄道の列車が走っていた。ところが、1998年からフランス企業・ヴェオリア交通が操業するようになり、「バイエルン州高原鉄道」という名前になった(写真8)。

このヴェオリア交通であるが、水道事業を行うヴェオリア・エンバイロメント社の傘下にある企業で、本社はパリにあり、ドイツで14路線を運行しているだけでなく、世界各地で鉄道やバスなどの交通事業を手がけている。この「パリから南ドイツのバイエルンへやって来た高原列車」であるが、どの利用者に尋ねても評判がいいのには驚く。その理由は、列車の外観や内装がエレガントであるためだけではないようだ。

沿線の町・シュリーアゼーに住む、グラフィックデザイナーのギュンター・ホルンフェックさんは仕事の関係で定期的にミュンヘンへ通う。彼によると、昔は1時間半近くもかかったのに、高原鉄道になってから乗車時間が50分あまりに短縮されたそうだ。ダイヤも改善されて、1時間に1本、通勤客が多数利用する朝夕は1時間に2本になり、昔は急ぐときにはよく自分の車を運転したが、今ではそんな必要はなくなったという。

バイエルン州とヴェオリア交通の乗客輸送委託契約は2013年に切れ、その後の契約は公募になる。ところが、新聞記事によると、もうかなり前から沿線の町の市長や住民が「ヴェオリア交通との契約が公募なしで延長される」ように請願書を州の首相に手渡したり、署名運動を展開したりしているという9

ヴェオリア交通・南ドイツ支社のプレス担当者は、「乗客数は昔は1日約4,500人だったのが、3倍以上に増加した」と語る。こうして、この路線がうまくいくことが判明した以上、公募になると関心を抱く事業者がたくさん乗り出すことが予想され、「入札になると、安いか高いかだけになって、これまでの実績が無視されることを住民が心配してくれるのだ」と解説してくれた。

近々ヴェオリア交通はミュンヘンを中心に3本の路線の操業を始めることが伝えられている10。「鉄道・民間のシェア」のグラフは今後ますます右肩上がりになるかもしれない。

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7 Marktuntersuchung Eisenbahnen  2009 の21ページ http://www.bundesnetzagentur.de/cae/servlet/contentblob/143926/publicationFile/1525/MarktuntersuchungEisenbahn09ID17754pdf.pdf
8 ヴェオリア交通・南ドイツ支社提供
9 http://www.merkur-online.de/lokales/landkreis-miesbach/seehofer-will-keine-ausschreibung-strecke-bayerischen-oberlandbahn-428097.html URL内の写真は沿線の町の市長が町を訪れたゼーオーファー州首相に署名を手渡しているところ。
10 2010年12月11日付南ドイツ新聞(SZ)

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(2011年2月3日作成)