ミュンへンの書店から」カテゴリーアーカイブ

朝日新聞の別冊・週末版「GLOBE(グローブ)」に連載中の書評欄です。ドイツのベストセラーを3点選んでその文学・社会・社会的背景をしるすものです。

民主主義国が、なぜ スノーデンの独白に刻まれた葛藤

Bestsellers 世界の書店から 2019.12.01

田辺拓也撮影

『Permanent Record』の著者エドワード・スノーデンは、2013年に米国家安全保障局(NSA)による違法な個人情報の大量収集を世界に向けて告発し、ロシアに亡命した。本書に新しいリークがないのを難ずる書評もあるが、ドイツで発売以来売れているのは、ナチスの反省から独裁国から逃げてくる人の庇護(ひご)を国是とする自国が、米国には遠慮して著者に関わろうとしないことに釈然としない人が多いからではないか。

本書は、日本人の筆者にとっては特に感慨深い。というのは、米国が始めたイラク戦争に賛成し、「得意のコンピューター技能でお国のためになりたい」と思っていた彼の人生に転機が訪れたのは、日本の米軍横田基地にあるNSAで働いていた時だったからだ。

ある日、スノーデンは米政府の諜報(ちょうほう)関係者を前に、中国のサイバー能力について話すことになり、準備のために自国の諜報関係者が作成した文献を読む。彼は一党独裁の中国が10億以上の国民全員の個人データを集め、私生活を完璧に掌握していることに驚く。

同時に、米国が中国の監視体制の技術的詳細を心得ているのが気になる。米国も似たことをしているからではないのか。この疑いが脳裏をかすめ、「中国が映っていた鏡の中に一瞬、米国が現れる気がした」という。米国は民主主義の国だと自分に言い聞かせるが、やがてシステム管理担当の彼は関連書類に目が向く。

9.11テロの直後、米国は大統領令で、その後は立法化して、米国と外国の間のメールや通話、ネット閲覧記録などの個人情報を収集していた。スノーデンがさらに見つけた超極秘報告書によると、暗号名「ステラウィンド」という監視プログラムが存在し、自国民の個人情報のすべてを令状なしで集め、本書のタイトルにあるように永続的に残していた。 日々進化を続けている「リチウムイオン電池」は小型化によりウェアラブル端末や小型センサーの電源などIoTの分野でも実用化の幅が広がる SPONSORED CONTENT 三菱商事

祖国は憲法を犯し、ジョージ・オーウェルの『1984年』に登場する、「ビッグブラザー」が国民一人一人を監視する国に変わっていたのだ。これを知ったスノーデンは、何カ月間も虚脱状態に陥ったという。

彼によると、内部告発は護憲のため。だからこそ本書は、米憲法記念日の9月17日に出版された。

■木にだって感覚がある

『Das geheime Band zwischen Mensch und Natur(人間と自然の秘められた絆)』

著者ペーター・ヴォールレーベンは、森林管理者である。数年前に、森についての彼の本を読んで面白かったので「世界の書店から」で取り上げた。その後、彼の新刊は出るたびに世界的ベストセラーになり、今では日本語でも何点か読める。本書を読んで、なぜ著者に共感する人だけでなく、反発する人もいるのかがよく理解できた。

例えば、著者には、木食い虫に襲われたモミの木が痛みを感じているように思われる。そう書くと多くの林学関係者からバカにされそうだ。だが本書に登場するボン大学教授の神経生物学者によると、鎮痛物質を分泌する木もある以上、痛覚があると思っても不思議でないことになる。とすると、著者を奇妙に思う人は、植物と動物とはまったく別のものと考えたいのではないのだろうか。

著者は次に、私たちが人間の聴覚、臭覚、視覚、触覚などが退化していると思い込んでいる点に疑問を呈する。著者は、獲物を探して地面を嗅ぐ犬と、立って歩きその必要がない人間の臭覚を比べることが奇妙だと主張する。私たちがあえてこう考えたがるのは、人間を他の動物と比べて別格だと思いたいからではないのか。

このように、いろいろな疑問を抱く著者は、新聞社の仲介で、植物を研究テーマにするイタリア人哲学者エマヌエーレ・コッチャと対談する。コッチャは、人間が、旧約聖書の創世記で、神によって動植物の後から環境(万物)を従わせて支配するために創造されることから、人々が今でもこのキリスト教的な「ランキング意識」に支配されていると批判する。自分と似たことを考える人がいることに著者はうれしくなる。

「自然保護」とは、人間が自滅しないために自分自身を保護することである――。このことを理解するには、人間も植物や動物の仲間で、自然の一部だと考える方が望ましいと著者は説いている。

■現実の認識を阻む色眼鏡

『Realitätsschock』

「衝撃的現実」という意味だ。コラムニストでもある著者ザッシャ・ローボは、私たちが常識を超えた現実に困惑させられることが増えていると指摘する。著者によると、現実が急に「衝撃的」に映るのは、私たちが「20世紀のメガネ」を通して現実に接するからだ。本書ではいろいろな事例をあげてこの事情を説明する。

例えば、スウェーデン人の環境活動家グレタ・トゥンベリの「未来のための金曜日」運動。彼女が政府に環境対策を要求し、毎週金曜に学校の授業をボイコットしたことが、世界各地に広がった。

地球温暖化など昔からいわれていたし、問題が報道されても、多くの人にとっては遠い国の話や、ずっと先のこと。人々は「いつか、何か」しなければと思うだけで済ませてきた。ところが、この数年来、欧州でも猛暑や干ばつ、集中豪雨などの異常気象で、危機が身近になっていた。ここでトゥーンベリら子供たちの抗議運動が始まり、ソーシャルメディアで広がる。その結果、気候変動は自分たちだけが逃れられる問題でなくなる。この意識の変化は世論調査が示す通りである。

次に、アフリカから欧州への難民問題だ。彼らの必需品は「一に水、二にスマホ、三が食料」といわれるように、21世紀の現象である。ところが、ドイツ社会の方は20世紀のままで、家を追われた90%以上の人が出身国内やその隣国で暮らしていることや、欧州にたどり着く人々がごく一部にすぎず、途中で何十万人もの人々が略奪や暴行、虐待などの悲惨な目に遭うこともろくに知らない。漠然と、出身国が破綻(はたん)していると思っているだけで、なぜ彼らが命がけで欧州に逃れようとするのか、その原因に関心がない。これは、ドイツ人とって重要なのが、自国が難民を受け入れるべきかどうかという一点だからだ。

このようにしか現実を見られない自国民に不満を抱く著者は、難民を出す国の機能不全を植民地主義と関連させて説明する。欧州諸国は、植民地独立後も既得権を保持する体制をつくり、その維持のためには収賄や武器の輸出も辞さない。住民からみたら支配者の肌の色が変わっただけというわけだ。またアフリカには欧州連合(EU)からの補助金で低価格の農産物が輸出され、現地の農業を崩壊させていることも指摘する。

著者のいう「20世紀のメガネ」とは、自国や欧州中心の慣れ親しんだ認識の枠を指し、その外の現実が視界に入ってこない状態を著者は問題視しているのだ。

ドイツのベストセラー(ノンフィクション部門)

10月19日付Der Spiegel誌より

『 』内の書名は邦題(出版社)

1 Permanent Record

『スノーデン 独白 消せない記録』(河出書房新社)

Edward Snowden エドワード・スノーデン

著名な内部告発者の自伝。本人から聞くと動機がよく分かる。

2 Der Ernährungskompass

Bas Kast バス・カスト

健康な食事を求めた科学ジャーナリストがその研究成果を発表。

3 Das geheime Band zwischen Mensch und Natur

Peter Wohlleben ペーター・ヴォールレーベン

森林管理者が人間も他の生物と同じように自然の一部だと説く。

4 Kurze Antworten auf große Fragen

Stephen Hawking スティーブン・ホーキング

著名物理学者が神の存在をはじめ10の難問に簡潔に答える。

5 Deutschland verdummt

Michael Winterhoff ミヒャエル・ウィンターホフ

児童精神科医がドイツの教育の危機を厳しく指摘する。

6 Herbstbunt

Thomas Gottschalk トーマス・ゴッチャルク

一世風靡(ふうび)したテレビ司会者にとって年を取ることの意味とは。

7 Realitätsschock

Sascha Lobo ザッシャ・ローボ

世の中の変化についていけない人々のための時事論。

8 Thees Uhlmann über Die Toten Hosen

Thees Uhlmann テース・ウールマン

歌手で随筆家の著者が伝説的ポップバンドについて語る。

9 Du wurdest in den Sternen geschrieben

Bahar Yilmaz バハル・ユルマズ

自分を知るために著者の内面世界への旅に同行する。

10 Becoming

Michelle Obama ミシェル・オバマ

オバマ元米大統領夫人による回想録。

美濃口坦

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ベテラン児童精神科医が教える、子どもを子どもとして扱う大切さ

Bestsellers 世界の書店から 2019.09.01

外山俊樹撮影

Deutschland VERDUMMT』(馬鹿になるドイツ)の著者ミヒャエル・ウィンターホフは児童精神科医で、本書はドイツの教育の在り方に対する批判である。

現在、学校で年齢が12歳ぐらいまでのクラスでは、授業中に児童が立ち上がって歩いたりするのは日常茶飯事だという。ブレーメン市の調査では、教室内の平均騒音は60~85デシベルと幹線道路で授業しているのと同じで、声を張り上げるため、教師の多くが声帯を痛める。生徒に耳栓を買うように保護者に手紙を出した学校もあり、授業崩壊も珍しくない。

以前なら子供には自分と関係をもってくれる大人がいて、注意されたり、模範にしたりして、絶えず何かを学び精神的に成長した。そんな大人は、親をはじめ身近な人たちであり、また幼稚園や学校の先生でもあった。子供は就学年齢の6歳になると、学ぶことに納得し、4時間ぐらいじっと座ることができた。

今の子供は精神的にこの段階に達することもなく、学校に迷い込んだのに等しい。その理由は、子供は大人との関係が希薄になり精神的に成長しなくなったからだ、と筆者は診断する。

著者は児童精神科医としての長年の経験から、1990年代の中頃から親をはじめ大人たちの方が子供たちを自分たちと同一視し、「小さな大人」にしたと言う。

学校が児童からスマホを取り上げると、母親が自分から取り上げられたかのように反発するのも、自分と子供が区別できなくなったからである。小さくても子供は自主的に学ぶとされて放っておかれ、親も傍らの子供を気にせずスマホにかまけることができる。でも、子供が何かを学ぶために必要なのは、大人との関係である。 増加し続ける世界の人口を養うため多くの食料が必要だが環境にマイナスの影響も 環境も保全する「アグロエコロジー」への転換がカギとなる SPONSORED CONTENT 三菱商事

本書によると、今や義務教育を終えて就職した若者は遅刻を気にせず、目の前の客より自分のスマホを優先するといわれる。大学へ行く者も、その半分は精神的に成長していないために読解力が乏しく、卒業後働き始めたうち38%は試用期間終了後に採用されないという。

教育現場で声をからす人々から共感される本書を権威主義的として酷評する人がいるが、この反応は時代の変化に気づかないためのように思える。

クイズの賞金で巡った、世界12の街

Bin im Garten』(庭にいます)の著者マイケ・ウィネムートは、アイデアの豊かなジャーナリストである。例えば、女性は所有する衣服の10分の1しか着ないで、残りは置いたままにしているとも言われることに注目し、青色のワンピースを一年中着て、その体験をつづって注目された。

10年近く前、彼女は高額賞金が出るテレビクイズ番組に出場し、50万ユーロ(約6000万円)を獲得。一躍有名になる。この賞金で1年間世界旅行に出かけ、12の町にそれぞれ1カ月滞在した。この旅行記がベストセラーになった。

旅行中、ある町で毎朝犬と散歩して海をじっと眺める男性に気づき、無性にうらやましくなった。こうして一つの場所に腰を落ち着けたくなった著者は、バルト海沿岸に800平方メートルの庭がある小さな家を購入した。ここで2018年初頭、「地面に穴を掘って何かを植え、自分も根を下ろす」ようになる。本書は1月1日から12月31日までの彼女の不慣れな庭仕事の日記である。

例えば、4月6日、苗を分けてもらってもお礼をしてはいけない、と叱られた。お礼をすると、苗が成長しないからだという。初めての収穫はハツカダイコンで、5月11日。子供も栽培できる野菜だが、著者はうれしくて仕方がない。

この国に多い白鳥は筆者(美濃口)には傲慢(ごうまん)に感じられて、好きになれない。でも本書を読んで自分だけでないことを知った。というのは、4月9日に「1664年にハンブルクで、白鳥を怒らせる者は牢獄に3日間監禁される、という条例が布告された」とあるところをみると、昔も人々は白鳥の姿に見とれているだけではなかったことになる。

日本人が本書を読んだら、何とたわいのないと思うかもしれない。でも、2年連続で、ドイツ人は夏、連日のように40度を超える記録的な猛暑や干ばつ、なかなか消えない山火事を体験した。多くの人々は、CO₂の排出削減といわれても、まだ先の話だと高をくくることができたのが、どうやらそうでない感じがしてくる。

12月17日、著者は収穫されるまで半年近くもかかるニンジンに尊敬を覚えるようになり、これまでは乾燥して縮むと捨てたが、そんなことは絶対しないと記す。以前なら気にかけなかったこのような箇所も、多数の読者は素直に受けとめて共感するようである。

世界の紛争地で「偽善」を叫ぶ78歳

Die große Heuchelei』(大きな偽善)の著者ユルゲン・トーデンヘーファーは78歳の高齢にかかわらず、イラク、シリア、パレスチナ、イエメンなどの紛争地帯に出かける。彼は、米国をはじめとする西欧諸国の戦争や武力紛争加担に断固反対する。西欧は人権、民主主義、自由、平等といった理想を掲げてその行動を正当化するが、本当は覇権の維持や経済的利益の獲得のためであるとして、本書は「大きな偽善」という題名になった。

本書は中東の多くの紛争を扱っているが、ここでは2011年から続くシリア内戦を例に、著者の考え方を説明する。著者によると、この紛争について二つの説が国際社会では流布しているという。第1の説は、独裁的なアサド政権が、民主化を求めて抗議する自国民を武力弾圧している内乱とみる。これは欧州社会では、多数派によって繰り返し語られている。

第2の説は、米国やサウジアラビアなどの湾岸諸国が、目の敵のイランに近いアサド政権を何とか打倒しようとして、いろいろなイスラム過激派を支援。反対に、イランやロシアはシリアを支援し、戦争になっているとみる。多数派が言うような「国内民主勢力対独裁者」の争いではないので、内戦とはいえないとする。これはドイツでは少数派の説であるが、著者は米国の政治家の発言や米国防情報局のリポートなど多数の証拠を挙げており、説得力がある。

著者はシリアを含めて「アラブの春」の現場を訪れているので、「国内民主勢力対独裁者」の争いとみる多数派の説が間違っているとはいわない。でも、早い時期に内乱ではなくなり、隣国からいろいろなイスラム過激派が来て、アサド政権と戦うようになったという。この点で、昔、欧州中から傭兵(ようへい)がやって来て、ドイツを戦場にし、人口を半減させた三十年戦争のような戦争に似ているという。

多数派の説が著者から批判されるのは、欧米の人々に対して「国内民主勢力対独裁者」という善か悪かの図式を強調し、戦争の残酷さに目を向けさせない結果、何が何でも戦争を終了させるという意志を弱くさせる点である。そのため、著者は、独裁者を倒すためには命がいくら失われてもいいと思っているのだろうか、という痛烈な問いを投げかける。

ドイツの主要政党も、また主要メディアも、民主主義や自由を守るため、自国も国際社会で軍事的に貢献すべきだと考え、著者の人命尊重の平和主義を、冷戦時代の遺物で独裁者を利すると見なす傾向がある。

そのために、本書は主要な新聞や雑誌の書評に取り上げられなかった。とはいっても、幸いなことに、公共放送が本書を重要な「反戦の書」だと評価し、多くの若い人が朗読会を訪れている。

ドイツのベストセラー(ノンフィクション部門)

7月27日付Der Spiegel誌より

1 Der Ernährungskompass

Bas Kast バス・カスト

健康な食事を求めた科学ジャーナリストがその研究成果を発表。

2 Kurze Antworten auf große Fragen                               

Stephen Hawking スティーブン・ホーキング

著名物理学者が神の存在からはじめて10の難問に簡潔に答える。

3 Deutschland verdummt

Michael Winterhoff ミヒャエル・ウィンターホフ

児童精神科医がドイツの教育の危機をきびしく指摘する。

4 Becoming

Michelle Obama ミシェル・オバマ

ミシェル・オバマ前大統領夫人による回想録。

5 Das gestresste Herz                

Gustav Dobos グスタフ・ドボス

自然療法の大家が説く体のエンジン・心臓とのつきあいかた。

6 Stauffenberg. Mein Großvater war kein Attentäter

Sophie von Bechtolsheim ゾフィー・フォン・ベヒトルスハイム

ヒトラーを暗殺しようとした貴族の軍人を孫の目から見る。

7 Was ist so schlimm am Kapitalismus?               

Jean Ziegler ジャン・ツィーグラー

スイスの社会学者が孫に資本主義を打倒するべき理由を説明する。

8 Bin im Garten                                               

Meike Winnemuth マイケ・ウィネムート 

庭仕事に精を出すことにした女性文筆家の1年間の日記。

9 Toleranz: einfach schwer        

Joachim Gauck ヨアヒム・ガウク

前ドイツ大統領が民主主義を守るために戦闘的寛容を説く。

10 Die große Heuchelei

Jürgen Todenhöfer ユルゲン・トーデンヘーファー

中東での戦乱に対する西欧諸国の偽善を批判。

美濃口坦

「出自とは何か」を深く考える 

世界の書店から
田辺拓也撮影

Herkunft(出自)』の著者サーシャ・スタニシチは、旧ユーゴスラビアのドリナ川河畔の町ヴィシェグラードでボシュニャク人の母とセルビア人の父の間に生まれた。一家は1992年に勃発したボスニア紛争を逃れてドイツ南西部のハイデルベルクに移住。当時14歳の彼は、現地の学校へ通い、後にドイツ語で創作を始める。

 2006年の自伝的デビュー小説『兵士はどうやってグラモフォンを修理するか』は大ヒットし、約30の言語に翻訳された。本書は著者が実名で登場し、より自伝的である。舞台はドイツとボスニアを行ったり来たりするが、今回、特に重要なのは、著者のドイツでの体験だ。

 著者の一家はハイデルベルク郊外の殺風景な工業地区に暮らし始める。近くのガソリンスタンドの駐車場は、さまざまな国籍や民族的な背景を持つ難民の少年たちのたまり場だった。著者によると、少年たちの間では、どこから来ようが特別扱いされず、「出自は争いの種にしない」という暗黙のルールがあった。

 著者がこんなことを指摘するのは、故郷の学校で正反対のことを経験したからだ。ある日、セルビア人の生徒が、ボシュニャクとセルビア、クロアチアの欄のある紙を示し、生徒たちに自分が所属する「出自」の欄に名前を書き入れるよう求めた。とたんにボシュニャク人の生徒が反発して小競り合いが起き、教室内は大騒ぎになる。

 ほどなくして、ボシュニャク人に対して腕に白い布を巻くよう強制する町が出てきた。そのうちに「出自は紛争に値する」ようになり、出自の異なる人々を殺したり、レイプしたりして追い出す「民族浄化」につながった。

 今またドイツを含め欧州で排外感情と自国の利益優先のポピュリズムが強まっている。著者は「出自」の意味を考え直したくなり、本書を執筆したという。

 彼にとって出自とは、「ドイツ人か、外国人か」といった二者択一でなく、今の自分を成り立たせるいろいろな要素の集合体だという。そこには血縁も、地縁も、言語も、文化も、居住する国も、個人的な体験も含まれる。ハイデルベルクのガソリンスタンドのたまり場も、紛争もまた、著者にとって自身を構成する重要な要素で、みずからの「出自」なのである。  (ここまで書いていて思い浮かんだこと)

■『GRM』 AIと民営化、突き進んだ先の近未来

本の題名『GRM』の意味が分からず書店の店員に尋ねると、「グライム(Grime)」の略だそうだ。グライムとは、ヒップホップなどから派生した英国発祥の音楽ジャンルで、若者に人気があるという。本書の紹介動画をウェブサイトで見るよう勧められ、さっそく実行した

ビートの利いた音楽が流れ、廃虚となったビルを背景に、フードを目深にかぶった少年が登場。《やつらは他人から何かを奪うチャンスを逃さない》《やつらは邪魔するものは何もかもぶっつぶす》と語り、最後に《戦争をお望みなら、相手になるぜ》というセリフが聞こえ、廃虚の中にいた少年が仲間たちとグライムに乗せて体を揺らす。

この瞬間、私には世界有数の資産家でもある米投資家ウォーレン・バフェットの発言が思い出された。リーマン・ショックの前で10年以上前だが、彼は米紙で、「富裕な人が貧乏な人と戦争をしていて、自分が属する金持ちの陣営が勝つ」という趣旨の発言をして物議を醸した。その後も貧富の格差は拡大するばかりで、市場の自由競争を重んじて格差を容認する新自由主義の話になると、今でも当時の彼の発言が持ち出される。

『GRM』のテーマは、民営化と人工知能(AI)の普及だ。著者は東ドイツ生まれの作家でスイスに在住。彼女はドイツの将来がどうなるか知りたいと思い、民営化が進み、その結果、AI導入に抵抗が少ない英国で、1年あまりかけて人々の話を聴き、本書が生まれたという。

小説の舞台は、英中部マンチェスターの近くの町ロッチデールと首都ロンドンである。設定はあまり遠くない未来で、英国のEU離脱は成就し、経済で中国企業の影響が強まっている。警察と軍隊は民営化され、福祉予算のカットも力強く進行中。

物語の中心人物は思春期にある子どもたちだ。物語の中で、少女は7歳になると化粧をし、セックスの初体験は平均10歳と低年齢化。インターネット上でのポルノ閲覧も常習化している。

主人公はドン、ハンナ、カレン、ピーターの4人の仲間で、ドンは母親が黒人である。この少女には注意欠陥・多動性障害があり、父親には愛人がいて帰宅しない。母親にも愛人がおり、この男はドンと性的関係を持とうとする。ハンナはアジア系の家庭で育ったひとりっ子で、優しかった母親は銃撃事件に遭遇して死亡し、父親も後を追って自殺。カレンは母子家庭で育ち、好きになったパキスタン系の少年から薬を飲まされて意思を奪われ、ロンドンから来る複数の男相手に売春を強要される。仲間で唯一の男の子のピーターは最近ポーランドから来たばかりで、母子家庭のひとりっ子。自閉症で、ハンナに手を握ってもらわないと不安で仕方がない。

子どもたちの目には、周囲の大人は「負け組の落後者」と映る。それは失業しているせいだ。それまでは肉体労働が機械に代わるだけだったのが、今度は頭脳労働が合理化される。仕事の手順がアルゴリズムで定式化できるとAIの出番になる。この結果、本書の中では、職を得ることはぜいたくである。プログラマーになって勝ち組に入ろうとしても、その種の仕事ほど定式化されやすい。もはや本人の努力の問題でなくなりつつある。

私たちのモラルは、仕事をし、それが金銭で報われるシステムのなかで機能してきた。今や仕事を失い、作品に登場する人物は大人も子どもも、貧富を問わずほとんど話さない。その人間関係は、セックスと暴力に支配されていて、不気味である。

医療サービスなどの社会保障がどんどん削減される一方、住民は精神に作用して元気にしてくれる薬剤を安価に入手できる。またスマホなどの情報端末は国家から支給され、オンラインサービスを使った暇つぶしにはこと欠かない。

本書で4人の少年少女が抵抗に踏み切るきっかけになったのは、最低限の生活費が国家から支給される「ベーシックインカム」の導入である。受給の条件として、国民は個人情報だけでなく、皮下チップを埋め込んで健康データを提供することに同意しなければならなくなった。また、個人の支払い能力などをもとに国民を格付けする制度に似た「ソーシャルスコア」が導入され、素行が良い人には支給額が増える完璧な監視社会に移行する。

本書の読者の中には、物語が英国の未来でなく、現在のドイツ社会もこの方向に向かって歩みはじめていると感じる人も少なくないようだ。

■『Kaffee und Zigaretten 』 憎悪の感情は人間の愚かさゆえか

本書には、小説でなく、思い出、人物論、軽妙なエピソードなど48点が集められている。半ページにも満たないものから9ページのものまであり、内容も多岐にわたる。

題名の『Kaffee und Zigaretten(コーヒーとたばこ)』は、著者が執筆する時に欠かせない品である。そのために題名に関連するエピソードも出てくる。その一つは、ヘビースモーカーで知られた故ヘルムート・シュミット元西独首相(1918~2015)のもので、メンソール味のたばこをひっきりなしに吸う。彼にとって味などはどうでもよく、自分もいつか死ぬ存在であることを絶えず意識するために喫煙していたという著者の指摘は面白い。

ドイツ人読者が関心を抱くのは、著者の自伝的側面である。その理由はフォン・シーラッハ家が貴族としてドイツでは特別な名家であるからだが、それだけでない。フェルディナントの祖父バルドゥールはヒトラーを崇拝し、第三帝国で青少年教育を担当していた。当時から、御曹司と成り上がり者集団ナチとの結びつきは奇妙とされた。

バルドゥールは、第2次大戦中はウィーン大管区の指導者で、ユダヤ人連行の責任者であった。彼はこの罪のために戦後、戦争指導者を裁くニュルンベルク裁判で20年の禁固刑に処される。孫のフェルディナントが子どもの頃、石造りの壁に囲まれた公園のような大きな庭のある家に住んでいたことや、15歳のときに自殺をしようとしたことが読者に明かされる。

本書の面白いエピソードの一つは、ウクライナ人女性弁護士が、著者とベルリンのポツダム広場にある喫茶店で話す下りだ。彼女は、東部ウクライナで人々が監禁されて拷問されたり殺されたりしていると憤慨する。そのうちに、話が彼女の家族に移る。祖父母はウィーンに住んでいたユダヤ人で東欧へ連行されたが、子供だった彼女の母親は途中で逃げ、ホロコーストの運命を免れた。ということは、ウィーン大管区指導者だった著者の祖父バルドゥールが彼女の祖父母を死に追いやったことになる。

著者は、祖父が反ユダヤ主義者だったことを示す「欧州で活動するユダヤ人は誰もがヨーロッパ文化に危険をもたらす」とか、「(彼らを)連行することこそ欧州文化に対する大きな貢献」とかいった発言を紹介。その上で「祖父の、このような発言や行動に対する怒りと恥ずかしさから、自分は今の私になった」と告白する。

著者は、ドイツで反ユダヤ主義が再び強まることを心配している。そのために、彼はウクライナ人女性に「どうして非人道的な罪が繰り返されるのだろうか」と尋ねる。彼女は、ホロコーストとウクライナでの犯罪は同一視できないとしながらも、「どちらも憎悪から始まる」と語る。彼女の見解では、人間は、愚かであるために憎悪を抱くようになるという。

このような見解はときどき耳にするが、本当だろうか。実情は、愚か者扱いされるから憎悪が生まれるのではないのだろうか。

前述したシビレ・ベルクの『GRM』を例にすると、ウォーレン・バフェットの「戦争」に負け続けている人々がいる。ここで富の偏在を是正しないで、彼らを監視体制に組み込もうとするなら、これは負け組を愚か者として軽視することであり、憎悪を植え付けるのに等しいのではないか。

ドイツには、未来に漠然と破滅的なことが起こることを心配する人が少なくないが、このような事情と無関係ではないだろう。

ドイツのベストセラー(フィクション部門)

 5月4日付Der Spiegel誌より

1 Menu surprise

Martin Walker マーティン・ウォーカー

「警察署長ブルーノ」シリーズ。今回はグルメと著者の本職の国際関係。

2 Kaffee und Zigaretten

Ferdinand von Schirach フェルディナント・フォン・シーラッハ  

ドイツを代表する作家の随想、人物論、批評など48の小品集。

3 Die ewigen Toten

Simon Beckett サイモン・ベケット 

閉鎖された病院の解体中、設計図にない密室と死体が見つかる。

4 GRM

Sibylle Berg シビレ・ベルク

貧富の格差と人工知能による監視社会に反逆する4人の少年少女。

5 Der Bücherdrache

Walter Moers  ヴァルター・メース  

本からできた「書物の竜」は経営不振の書店を助けない。

6 Mittagsstunde    

Dörte Hansen デルテ・ハンゼン

北ドイツのライ麦畑が広がる村落を舞台に時代の変化を映す人間模様。

7 Herkunft

Saša Stanišić サーシャ・スタニシチ 

戦乱のユーゴからドイツに逃れて来た著者の自伝的要素の強い作品。

8 Das Verschwinden der Stephanie Mailer

Joël Dicker  ジョエル・ディケール  

20年前に解決したはずの事件が蒸し返される。

9 Die Splitter der Macht

Brandon Sanderson ブランドン・サンダースン

幻想小説「嵐光録」第6巻。秘密の教団をさぐりに山奥に行く女性。

10 Die Liebe im Ernstfall

Daniela Krien ダニエラ・クリーン  

旧東独で若くして東西統一の「苦い自由」を経験する5人の女性。

Der Apfelbaum(林檎の木)

Bestsellers 世界の書店から
西岡臣撮影
西岡臣撮影
『Der Apfelbaum(林檎の木)』の著者クリスチャン・ベルケルは、子どもの頃に庭の林檎の木の下で母から「あなたは100%のドイツ人でも100%のユダヤ人でもない」と告げられる。ベルケルは、自らが半端者扱いされたと感じて怒り、その後も自分の出自について考えることを避けた。しかし、年を重ねるにつれて考えが変わり、61歳の著名な俳優が自らのルーツを探る処女作が誕生した。著者の母ザラは、ドイツ人男性とユダヤ人女性との間に生まれた。著者の父オットーは家が貧しく、17歳のときに仲間と共にザラの家に泥棒に入る。家の図書室で、オットーがザラの父の膨大な蔵書に見惚れていると、当時13歳のザラが来た。仲間たちは警官に逮捕されるが、オットーだけはザラがかくまった。二人は相思相愛になるが、直ぐにヒトラーと戦争の時代が幕を開ける。

ユダヤ人迫害から逃れるため、ザラは、父と離婚しマドリッドで暮らす母を訪れるが、うまくいかずパリの叔母のもとへ移る。しかし、ドイツ軍がフランスに侵攻し、彼女は収容所に入れられる。ザラは、東欧にある死の収容所への移送から逃れ、ドイツ行きの汽車に乗る。その後もドイツ人に助けられ、ライプチヒで終戦を迎えた。一方、オットーは医学を勉強し、軍医として従軍。ソ連軍の捕虜になるが、戦後無事に帰国。ザラと再会し、1955年に結婚する。

この小説の魅力は、ユダヤ人とドイツ人についていろいろ考えさせてくれる点だ。ザラは「ユダヤ人」と言われるとぎょっとするが、かつてナチスが人種法に定めた「ハーフ・ユダヤ人」という蔑称で呼ばれても気にかけない。反ナチズムに性急な著者は、母の態度に怒るが、後になって、戦時下ではこの表現のほうが、母には死の危険がハーフ(半分)になるように感じられていたことに気づき、自分の無神経さを恥じる。オットーも戦後、ソ連軍の捕虜収容所で、同胞のドイツ人たちが、他のどの国の捕虜よりも団結心がなく、仲間を頻繁に密告することに失望する。

著者は父母の体験を通じて、自らがナチスを生んだドイツ人であると同時に、ナチスに迫害されたユダヤ人でもあることに向き合おうとする。その真摯な姿勢が、多くの読者の共感を得たのだろう。

■ニセ患者になり息子を捜す父

『治療島』『前世療法』など邦訳も多いドイツの人気ミステリー作家、セバスチャン・フィツェックの小説『 Der Insasse(入院患者)』の主人公ティルは消防署員である。彼の6歳の息子マックスは1年ほど前、「近くの友達のところへ行く」といって家を出たきり帰って来ない。息子は友達の家にも到着していないことがわかり、警察の懸命な捜索にもかかわらず消息がまったくわからず、捜索が打ち切られる。

この間、父親のティルも母親も絶望に陥り、夫婦関係は破綻する。

警察が捜索を継続しなかったのには、ある事情があった。子供を次から次へ誘拐しては殺すトラムニッツという男性が捕まったのだ。トラムニッツは自白していないが、警察はマックスも彼の犠牲者でないかと推定している。そのうちにトラムニッツは病気で手術が必要となり、司法精神科病院の警戒厳重な閉鎖病棟に移される。

このことを知ったマックスの父親ティルはこの「入院患者」から、直接息子の運命について聞こうと思う。警察で働く親族の支援でティルは精神病患者になりすまし、トラムニッツと同じ集中治療室に入れてもらうことに成功するが、思い通りに事態は進まない……。

この小説は読者を寝不足にすることが確実なサイコサスペンスで、最後にドンデン返しが待っている。作者は47歳で、2006年以来毎年のようにこのタイプの小説を書いており、その度にベストセラーになっている。

推理小説、探偵小説、スリラー、ホラーを問わず、犯罪に関係のあるものはドイツでは「犯罪小説」とよばれ、今では出版される本の4点に1点を占める。そのため、優秀な作家が続々とこのジャンルに参入し、質も向上したと、本屋のベテラン店員から聞いたことがある。

いろいろな国で、フィツェックをはじめドイツの犯罪小説が翻訳されるようになったのもそのためだ。

■世界的人気の刑事シリーズ新作

『Muttertag(母の日)』のネレ・ノイハウスも世界的に人気があり、日本も含めて23カ国で翻訳が出ている。ちなみに、この小説は06年にはじまった「刑事オリヴァー&ピア・シリーズ」の9冊目である。

元工場所有者のテオ・ライフェンラートの屋敷に来た新聞配達の女性は、郵便受けがいっぱいであるのを不審に思う。彼女が窓越しに家の中をのぞくと、ライフェンラートが倒れて死んでいる。

犬の檻や庭で見つかったり、掘り起こされたりして出てきた古い人間の骨を警察が調べると、それらはこの地域で過去に行方不明になった女性たちのものであることが判明した。

殺人の手口はいつも同じで、女性をビニールに包み、溺死させてから庭に埋めていた。その後、母の日に行方不明者届が出されている点も同じだ。

長年にわたってテオ・ライフェンラートと妻のリタは全部で30人以上の子どもを施設から引き取って養い、世話をした。2人は外に対しては人道的態度を装っていたが、施設に戻りたくない子どもの弱みにつけ込み、虐待し、暴力的でもあった。その一方で、リタは毎年母の日に、大人になった養い子たちを自宅に招待したという。

とすると、殺人者はそのような昔の養い子の一人で、自分を捨てた実母にも変死したリタにも仕返しできず、誰か別の女性を見つけては、代理として殺し、復讐したのだろうか。

一見、小説は読者の犯人さがしという推理小説の大きな枠の中にとどまっているように思える。

だが、話の筋の流れが何本もあり、捜査する刑事の過去の私生活も取り込まれている。読者は多くの登場人物の視点から事件に接することができる上に、それぞれの登場人物も丹念に描かれていて、読み応えがある。ミュンヘンの書店員の言葉があらためて思い出された。

ドイツのベストセラー(フィクション部門)

1月12日付Der Spiegel紙より

1 Muttertag

Nele Neuhaus  ネレ・ノイハウス

母の日が来ると殺人が。親族関係はどこの国でも厄介。

2 Mittagsstunde             

DÖRTE HANSEN デルテ・ハンゼン

北ドイツのライ麦畑が広がる村落を舞台に、時代の変化を示す人間模様。

3 Der Insasse

Sebastian Fitzek セバスチャン・フィツェック  

真実を知るためには手段を選ばない父親。サイコサスペンス。

4 Weißer Tod

Robert Galbraith ロバート・ガルブレイス

ハリー・ポッターの作者が別名で書いたミステリー。

5 Die Mondschwester

Lucinda Riley ルシンダ・ライリー

「セブン・シスターズ」の第5巻。動物に人生を捧げる主人公。

6 Neujahr

Juli Zeh ユーリ・ツェー

良き夫、良き父親であろうとする男性の苦悩。

7 Die Suche

Charlotte Link シャルロッテ・リンク

湿原で行方不明の少女の死体を発見。また少女が行方不明になる。

8 Mädelsabend

Anne Gesthuysen アンネ・ゲストヒューゼン

ライン河の流れは緩やかになる地域なのに女性は強くなるばかり。

9 Der Apfelbaum

Christian Berkel  クリスチャン・ベルケル

61歳の著名な性格俳優の処女作。玄人顔負けの出来に皆が感嘆。

10 Zeitenwende

Carmen Korn カルメン・コルン

4人の女性の友情の絆を通して眺めたドイツ半世紀の時代の変転。