ミュンへンの書店から」カテゴリーアーカイブ

朝日新聞の別冊・週末版「GLOBE(グローブ)」に連載中の書評欄です。ドイツのベストセラーを3点選んでその文学・社会・社会的背景をしるすものです。

Der Apfelbaum(林檎の木)

Bestsellers 世界の書店から
西岡臣撮影
西岡臣撮影
『Der Apfelbaum(林檎の木)』の著者クリスチャン・ベルケルは、子どもの頃に庭の林檎の木の下で母から「あなたは100%のドイツ人でも100%のユダヤ人でもない」と告げられる。ベルケルは、自らが半端者扱いされたと感じて怒り、その後も自分の出自について考えることを避けた。しかし、年を重ねるにつれて考えが変わり、61歳の著名な俳優が自らのルーツを探る処女作が誕生した。著者の母ザラは、ドイツ人男性とユダヤ人女性との間に生まれた。著者の父オットーは家が貧しく、17歳のときに仲間と共にザラの家に泥棒に入る。家の図書室で、オットーがザラの父の膨大な蔵書に見惚れていると、当時13歳のザラが来た。仲間たちは警官に逮捕されるが、オットーだけはザラがかくまった。二人は相思相愛になるが、直ぐにヒトラーと戦争の時代が幕を開ける。

ユダヤ人迫害から逃れるため、ザラは、父と離婚しマドリッドで暮らす母を訪れるが、うまくいかずパリの叔母のもとへ移る。しかし、ドイツ軍がフランスに侵攻し、彼女は収容所に入れられる。ザラは、東欧にある死の収容所への移送から逃れ、ドイツ行きの汽車に乗る。その後もドイツ人に助けられ、ライプチヒで終戦を迎えた。一方、オットーは医学を勉強し、軍医として従軍。ソ連軍の捕虜になるが、戦後無事に帰国。ザラと再会し、1955年に結婚する。

この小説の魅力は、ユダヤ人とドイツ人についていろいろ考えさせてくれる点だ。ザラは「ユダヤ人」と言われるとぎょっとするが、かつてナチスが人種法に定めた「ハーフ・ユダヤ人」という蔑称で呼ばれても気にかけない。反ナチズムに性急な著者は、母の態度に怒るが、後になって、戦時下ではこの表現のほうが、母には死の危険がハーフ(半分)になるように感じられていたことに気づき、自分の無神経さを恥じる。オットーも戦後、ソ連軍の捕虜収容所で、同胞のドイツ人たちが、他のどの国の捕虜よりも団結心がなく、仲間を頻繁に密告することに失望する。

著者は父母の体験を通じて、自らがナチスを生んだドイツ人であると同時に、ナチスに迫害されたユダヤ人でもあることに向き合おうとする。その真摯な姿勢が、多くの読者の共感を得たのだろう。

■ニセ患者になり息子を捜す父

『治療島』『前世療法』など邦訳も多いドイツの人気ミステリー作家、セバスチャン・フィツェックの小説『 Der Insasse(入院患者)』の主人公ティルは消防署員である。彼の6歳の息子マックスは1年ほど前、「近くの友達のところへ行く」といって家を出たきり帰って来ない。息子は友達の家にも到着していないことがわかり、警察の懸命な捜索にもかかわらず消息がまったくわからず、捜索が打ち切られる。

この間、父親のティルも母親も絶望に陥り、夫婦関係は破綻する。

警察が捜索を継続しなかったのには、ある事情があった。子供を次から次へ誘拐しては殺すトラムニッツという男性が捕まったのだ。トラムニッツは自白していないが、警察はマックスも彼の犠牲者でないかと推定している。そのうちにトラムニッツは病気で手術が必要となり、司法精神科病院の警戒厳重な閉鎖病棟に移される。

このことを知ったマックスの父親ティルはこの「入院患者」から、直接息子の運命について聞こうと思う。警察で働く親族の支援でティルは精神病患者になりすまし、トラムニッツと同じ集中治療室に入れてもらうことに成功するが、思い通りに事態は進まない……。

この小説は読者を寝不足にすることが確実なサイコサスペンスで、最後にドンデン返しが待っている。作者は47歳で、2006年以来毎年のようにこのタイプの小説を書いており、その度にベストセラーになっている。

推理小説、探偵小説、スリラー、ホラーを問わず、犯罪に関係のあるものはドイツでは「犯罪小説」とよばれ、今では出版される本の4点に1点を占める。そのため、優秀な作家が続々とこのジャンルに参入し、質も向上したと、本屋のベテラン店員から聞いたことがある。

いろいろな国で、フィツェックをはじめドイツの犯罪小説が翻訳されるようになったのもそのためだ。

■世界的人気の刑事シリーズ新作

『Muttertag(母の日)』のネレ・ノイハウスも世界的に人気があり、日本も含めて23カ国で翻訳が出ている。ちなみに、この小説は06年にはじまった「刑事オリヴァー&ピア・シリーズ」の9冊目である。

元工場所有者のテオ・ライフェンラートの屋敷に来た新聞配達の女性は、郵便受けがいっぱいであるのを不審に思う。彼女が窓越しに家の中をのぞくと、ライフェンラートが倒れて死んでいる。

犬の檻や庭で見つかったり、掘り起こされたりして出てきた古い人間の骨を警察が調べると、それらはこの地域で過去に行方不明になった女性たちのものであることが判明した。

殺人の手口はいつも同じで、女性をビニールに包み、溺死させてから庭に埋めていた。その後、母の日に行方不明者届が出されている点も同じだ。

長年にわたってテオ・ライフェンラートと妻のリタは全部で30人以上の子どもを施設から引き取って養い、世話をした。2人は外に対しては人道的態度を装っていたが、施設に戻りたくない子どもの弱みにつけ込み、虐待し、暴力的でもあった。その一方で、リタは毎年母の日に、大人になった養い子たちを自宅に招待したという。

とすると、殺人者はそのような昔の養い子の一人で、自分を捨てた実母にも変死したリタにも仕返しできず、誰か別の女性を見つけては、代理として殺し、復讐したのだろうか。

一見、小説は読者の犯人さがしという推理小説の大きな枠の中にとどまっているように思える。

だが、話の筋の流れが何本もあり、捜査する刑事の過去の私生活も取り込まれている。読者は多くの登場人物の視点から事件に接することができる上に、それぞれの登場人物も丹念に描かれていて、読み応えがある。ミュンヘンの書店員の言葉があらためて思い出された。

ドイツのベストセラー(フィクション部門)

1月12日付Der Spiegel紙より

1 Muttertag

Nele Neuhaus  ネレ・ノイハウス

母の日が来ると殺人が。親族関係はどこの国でも厄介。

2 Mittagsstunde             

DÖRTE HANSEN デルテ・ハンゼン

北ドイツのライ麦畑が広がる村落を舞台に、時代の変化を示す人間模様。

3 Der Insasse

Sebastian Fitzek セバスチャン・フィツェック  

真実を知るためには手段を選ばない父親。サイコサスペンス。

4 Weißer Tod

Robert Galbraith ロバート・ガルブレイス

ハリー・ポッターの作者が別名で書いたミステリー。

5 Die Mondschwester

Lucinda Riley ルシンダ・ライリー

「セブン・シスターズ」の第5巻。動物に人生を捧げる主人公。

6 Neujahr

Juli Zeh ユーリ・ツェー

良き夫、良き父親であろうとする男性の苦悩。

7 Die Suche

Charlotte Link シャルロッテ・リンク

湿原で行方不明の少女の死体を発見。また少女が行方不明になる。

8 Mädelsabend

Anne Gesthuysen アンネ・ゲストヒューゼン

ライン河の流れは緩やかになる地域なのに女性は強くなるばかり。

9 Der Apfelbaum

Christian Berkel  クリスチャン・ベルケル

61歳の著名な性格俳優の処女作。玄人顔負けの出来に皆が感嘆。

10 Zeitenwende

Carmen Korn カルメン・コルン

4人の女性の友情の絆を通して眺めたドイツ半世紀の時代の変転。

Bestsellers 世界の書店から 2018.12.02

自我と自我がぶつかり合う、共働きの緊張関係 ドイツのベストセラー

Bestsellers 世界の書店から
外山俊樹撮影
外山俊樹撮影
アフリカ沖の大西洋に浮かぶカナリア諸島は常春で、シーズンオフなしの人気の休暇地だ。その一つランサローテ島で、ユーリ・ツェーの『Neujahr(正月)』の主人公ヘニングは家族連れでクリスマスと正月を過ごす。

ヘニングも妻のテレーザも共働きで、2歳と4歳の子どもがいる。夫婦は家事と育児を公平に分担するようにし、そのためにどちらも職場と交渉したが、妻が働く税理士事務所は協力的であったのに、彼のほうの出版社はそうでなく、仕事の一部を自宅に持ち帰ることで了解を得た。次は収入で、妻のほうが多いためにヘニングは妻より家事・育児を余計に引き受けるべきだと考えて実行している。

子どもたちは健康で夫婦仲もよく、仕事もうまくいき、彼は幸せだと思っているが、下の子が生まれた頃から、心臓の拍動が突然速くなったり乱れたり、窒息しかかったりするパニック発作を患うようになる。休暇中は治まっていたが、大晦日の深夜に発作に襲われる。

翌朝、ヘニングはひとりで近くの丘の上の村を目指してサイクリングに出かける。彼は、急坂や逆風で脚の筋肉に痛みを感じる度に、坂道や風を憎悪し罵るようになる。そのうちに、彼は、自分が何もかも、仕事も、また愛しているはずの妻や2人の子どもまでも、ペダルを踏みながら罵っていることに気づき、愕然とする。

丘の村へ行く途中で、ヘニングは、この島にはじめて訪れたはずなのに、以前来たことがあるような感覚を覚える。

本書は失われていた幼年時代の記憶が蘇る話で、推理小説を読むのに似ている。また、この国の大学卒同士の、緊張した夫婦関係が巧みに描かれている。それは自我と自我の押し合いっこで、押されて痛みを感じた方が愛情を根拠に均衡を保とうとする関係である。だから主人公が自転車を漕ぎながら体験したように、愛と憎しみは同義語に近い。

著者のツェーは毎年のように問題作・力作を発表。政治的発言も多く、ギュンター・グラスなど西独の政治参加の伝統を継ぐ、数少ない作家の一人とされる。彼女は、憲法・国際法を専攻した法律家で、EUのデジタル基本権憲章の熱心な発起者の一人でもある。

カナリア諸島、もう一つの物語

インガ・マリア・マールケ『Archipel(群島)』は今年度ドイツ書籍賞を受賞した。この賞は長編小説を対象にし、フランクフルト書籍見本市と連動しているためにメディアでよく取り上げられる。

面白いことに、マールケの小説もカナリア諸島を、それもテネリフェ島を舞台にする。でもツェーの小説と異なり、登場人物はドイツ人の休暇客でなく、この島の住民であり、彼らの過去100年間の変転が語られる。

コロンブスはまずカナリア諸島で補給し、更に西に進み米大陸に到達したが、この例がしめすように、これらの島々は、特に一番大きいテネリフェ島はその後も中南米に対するスペインの略奪植民地主義の拠点になった。スペイン領であったが、大英帝国の海外進出の中継基地としての役割も演じた。この島で良い家系の出身者として権力を振るったのは植民地主義のおこぼれにあずかって富を蓄積した人々であり、本書のなかで登場するベルナドット家がその例である。

スペインの独裁者フランコは1936年、社会主義者連合というべき人民戦線政府によって参謀総長を解任されてカナリア諸島総督に左遷されていた。彼はここから軍の反乱が勃発したモロッコに移り、反乱軍を指揮し本土に侵攻、政府軍に勝ち、40年も続いたフランコ独裁体制を築く。

カナリア諸島では当時裕福な人々はフランコを支持し、反対に中産階級に属する人々は社会主義の人民戦線政府に味方する。本書のなかでは薬剤師の息子のフリオ・バウテがそうで、兄が反乱軍に殺害されただけでなく、自身も7年間も収容所に監禁された。

小説の冒頭は2015年7月で、フリオ・バウテの娘のアナは政治家で汚職が疑われている。彼女の夫はベルナドット家の御曹司の歴史家で、アルコール依存症。娘のロッサは大学をやめて帰ってきて、インスタグラムにかまけ、テレビのサバイバル・リアリティーショーばかりを眺めている。

本書は政治的対立がなくなった現在から始まって、フリオ・バウテが誕生した1919年に終わるように語られる。時間の流れに沿って物語が進行しないため、話の中に入っていけないと難じる読者もいる。でも、私たちが何かを理解するときには過去に遡って情報を集めるのではないのか。

本書に読みづらい点があるとすれば、あまりにもいろいろなことが出てきて、どこに注目していいのかがわからなくなり、「木を見て森を見ず」になりがちだからだと思われた。

 「不愉快で嫌なヤツ」が主人公の人気ミステリー

M・ヨート&H・ローセンフェルトの『Die Opfer, die man bringt(犠牲になってもらう)』は推理シリーズ「犯罪心理捜査官セバスチャン」の第6巻である。シリーズは2010年にはじまり、一度読者になると、次の巻の刊行を、首を長くして待つといわれる。出版されると直ちにベストセラーのトップになるのもそのためだといわれる。

著者のヨートは、著名なスウェーデンの推理小説家ヘニング・マンケルのために映画のシナリオを書いた。ローセンフェルトのほうは司会者兼脚本家で、国際的大ヒットのデンマークとスウェーデンの合作テレビドラマ『THE BRIDGE ブリッジ』の脚本家の一人である。

シリーズ第6巻の本書は連続レイプ事件を扱う。厄介な事件で、国家刑事警察機構の特別捜査班が担当することになり、仲間外れにされていたセバスチャン・ベリマン犯罪心理捜査官も起用されて、シリーズではお馴染みの捜査官が全員集合。それでも解決には手間取り、556ページになる。

推理小説はいつも犯罪事件が起こり、それが解明される。今や市場での競争がきびしく、差別化戦略が重要で、本シリーズの魅力は登場人物だとされる。筆者は愛読者の一人から、第6巻を読むだけでは駄目で、第1巻から読まないとシリーズの良さがわからないと警告された。確かに捜査にあたる人々も警察関係者で公務員であるが、あまりにも個性的で、ドイツの職場だったら仕事にならないような気がした。

一番おもしろいのはシリーズの主人公、セバスチャン犯罪心理捜査官だ。彼はエゴイスティックで協調性も欠けていて、不愉快でイヤな奴の典型である。インタビューの中で、作者はこのほうが人格者より自由にいろいろな行動をとらせることができて都合がいい、と発言した。ドイツでは、なるべく他人から好かれたいと思う結果、自分を束縛する人が多いといわれる。とすると、そのような人々にとって、この身勝手男のシリーズはストレス解消に役立っているのかもしれない。

作者は、中年男のセバスチャンに弱点があったほうがいいと思い、アルコール依存症は(特に北欧では)月並みで面白くないので、「セックス中毒」にしたという。だから主人公は女性と知りあうと、よくそのような関係になる。

この人物設定も、スウェーデンという、女性の人権が特別に尊重される国が舞台であることを考慮すると何か示唆的だ。ちなみに、#MeToo(ミートゥー)運動と関連して、今年スウェーデン刑法の関連条項も改正されてきびしくなった。

本巻ではセバスチャン犯罪心理捜査官は(一度の例外をのぞけば)品行方正である。これは、上司から禁じられていたからで、上記の法改正とは関係がないようである。

ドイツのベストセラー(フィクション部門)

10月27日付Der Spiegel紙より

1 Mittagsstunde   

Dörthe Hansen デルテ・ハンゼン

北ドイツのライ麦畑が広がる村落を舞台に時代の変化を示す人間模様。

2 Archipel

Inger—Maria Mahlke インガ・マリア・マールケ

テネリフェ島の住民の百年の歴史を理解する試み。

3 Die Suche

Charlotte Link シャルロッテ・リンク

湿原で行方不明の少女の死体を発見。また少女が行方不明になる。

4 Die Opfer, die man bringt

M. Hjorth & H.Rosenfeldt M・ヨート&H・ローセンフェルト

犯罪心理捜査官セバスチャンシリーズの第6巻。連続レイプ事件を追う。

5 Zeitenwende

Carmen Korn カルメン・コルン

4人の女性の友情の絆を通して眺めたドイツ半世紀の時代の変転。

6 Wer Strafe verdient

Elizabeth George エリザベス・ジョージ

重罪の容疑者である教会の執事が監獄で死ぬ。自殺なのだろうか。

7 Neujahr    

Juli Zeh ユーリ・ツェー

良き夫、良き父親であろうとする男性の苦悩。

8 Der Hundertjährige, der zurückkam, um die Welt zu retten

Jonas Jonasson ヨナス・ヨナソン

100歳の老人が世界を救う。お元気なのはなによりです。

9 Eberhofer, Zefix!

Rita Falk リタ・ファルク

バイエルン方言の辞書付きズッコケ喜劇推理小説。

10 Fräulein Nettes kurzer Sommer

Karen Duve カーレン・ドゥーヴェ

19世紀の独女性作家ドロステ・ヒュルスホフが主人公の小説。

Precht、私たちはどんなデジタル社会を望むのか

 

私たちはどんなデジタル社会を望むのか ドイツのベストセラー

『Jäger, Hirten, Kritiker(狩人、羊飼い、評論家)』の著者リヒャルト・ダー
ヴィット・プレヒトは、テレビにも登場する人気の哲学者。奇妙なタイトルの意味
は後に言及するが、本書のテーマはビッグデータ、ロボット、AIなど、社会のデ
ジタル化である。著者が特に気にかけるのは、アマゾンをはじめとする米インター
ネット企業の動向だ。彼らは、個人の購買履歴と膨大な顧客データを元に、「あな
たが欲するであろう商品」を勝手に紹介してくれる。人々は自ら商品を選ばず、パ
ソコンやタブレットに示される「おすすめ商品」に、「これ欲しい!」と反応する
だけになってしまう。これでは、ベルが鳴ると涎を出すように条件づけられた「パ
ブロフの犬」とどこが違うのか。EUが準備中のデジタル基本権憲章の原案では、
購買履歴などの個人情報は自決権の対象であり、企業が個々のデータとその用途を
示すことなく、個人に譲渡を認めさせること自体が違法となる。これは、選挙権の
譲渡ができないのと似た話だ。                                                            
著者は、「私たちがどんなデジタル社会を望むか」をはっきりさせるべきだとい
う。
                                     デジタル化というと、将来の雇用が激減するのを心配する声が目立つが、著者は 
「仕事が少なくなるのは、むしろよいことだ」という。これは、産業革命以来続い
た「勤労の時代」の終わりを意味する。私たちが日常的に行っている「人間の価値
と職業を直接結びつける考え方」を修正すべき時が来たのだ。聖域だった頭脳労働
も、近い将来に多くは機械化される。大量発生する失業者に肩身の狭い思いをさせ
るのは、政治的不安定につながる。そこで著者は、金融取引税を財源とするベー
シックインカムの導入を提案する。若き日のマルクスとエンゲルスは、共産主義を
「朝は狩猟に出かけ、昼は魚釣りをし、夕方には放牧し、夕食後は好き勝手に議論
するが、狩人にも漁師にも羊飼いにも評論家にもならない生き方」と定義した。こ
れは、特定の職業と自分を一体化させず、自分のすることを自分で決められる社会
であり、本書の副題である「デジタル社会のためのユートピア」の具体的なイメー
ジでもある。

自分好みの情報ばかり与えられる危うさ

ジャロン・ラニアー『Zehn Gründe, warum du deine Social Media Accounts sofort löschen musst(ソーシャルメディアのアカウントを直ちに削除しなければいけない10の理由)』は、プレヒトの本とテーマが重なる。ラニアーはインターネットの草分け時代から活躍し、「バーチャル・リアリティ」の開発に貢献したとされている。本書は熱烈なソーシャルメディア批判である。

ラニアーによると、昔は多数の人々が一つの広告を眺め、そのなかの誰かが商品を購入した。ところが、ソーシャルメディアは、オンライン中絶えずユーザーの行動や反応についてのデータを収集し、アルゴリズムで分析する。そして得られたユーザーの傾向・目的に最適な刺激や情報を提供し、ユーザーに関心や共感をもたせるという。

例えば、ホテルを探しているユーザーは、次から次へと自分の好みそうなホテルを紹介してもらい便利だと思う。ところが、著者によると、これは長い目でみると、ユーザー本人に気づかれることなく、意識や行動様式を変えることにつながるという。だから彼はソーシャルメディア・ユーザーに「あなたは自分の自由意志を失っていく」のだと警告する。

ホテルの便利な予約を利用しただけで「自由意志の喪失」などといわれるのは、口はばったい感じがしないでもない。でも、政治や社会問題についてユーザーが自分の傾向に合う情報ばかりを提供されていると、自分の抱く見解が強化されるだけではないのだろうか。その結果は、反対の立場を理解しようとする根気も能力もなくなり、複雑な議論が嫌われて、両極端の見解が対立する状況になっていくだけである。

これこそ、ネットで誹謗中傷・悪罵を連発する「トロール」と呼ばれる人の温床であり、多くの先進国でヘイトスピーチが盛んになるのもこれと無関係でない

このような事情からラニアーはいろいろと心配する。彼は、ソーシャルメデイアが「真実を隠す」ことや「同情心をなくさせる」ことや「あなたの発言を無意味にさせる」ことや、また「政治を不可能にする」ことなどを警告する。

本書を読んでいて懐かしく思い出されたのは、インターネットが登場した頃、多くの人々がその技術的可能性に、人類解放の夢を託したことである。著者のラニアーもそうだったらしく、その分だけ現状に対する失望が大きい。

本書のなかで一番面白かったのは、著者がふと漏らした事実だ。それは、デジタル革命の首都・シリコンバレーで活躍中の多くの人々が、自分の子どもらをスマホが禁じられているシュタイナー学校に通わせる点だ。ちなみに、この学校は、ナビの代わりに地図の見方を教えるのではなく、授業で子どもたちといっしょに地図自体を作ることをその教育原則にしている。

食生活を反省、栄養学者になった

『Der Ernährungskompass(健康食の羅針盤)』の著者バス・カストは科学ジャーナリストである。今から数年前、彼は40歳にして初めて父親になろうとしていた。

ある日、いつものようにジョギングをしている時、急に胸に痛みを覚える。「鋼鉄の手が自分の心臓をつかみ、押さえつけようとしているように感じられた」という。後に、医者から「狭心症の発作を起こしたのだ」と診断された。

著者はお腹が少し出てきたが、外見は昔と変わらない。それまで自分が健康だと思っていたが、身体の中はボロボロなのではないかという不安を、初めて覚えた。そのうちに自分の食生活に問題があると思い始めた。ジャンクフードとかファーストフードで飢えを満たし、ビールを喉に流し込むだけ、という食事が多かったからだ。

著者は健康な食事に切り替えようと決意するが、それも簡単でない。この国では、ダイエットは百家争鳴である。例えば、筆者(美濃口)の周囲にも、菜食主義からヴィーガニズムに進んだ人もいれば、パレオダイエット(旧石器時代の食生活)の熱烈な信奉者もいる。このように種々雑多の健康食がある以上、著者は自分で判断しようと決意し、栄養学者の研究を読みはじめる。本書はその成果だが、著者は勉強家であり、かつその判断が偏らない点が受けている理由だと思われた。

例えば、脂肪分摂取が不健康とされるが、彼はイタリアの山間部の例を挙げて反論する。そこは長寿者が多い地域でオリーブオイルやクルミが料理につかわれ、摂取カロリーの40%以上は脂肪からだが、乳ガンや脳卒中が少ない。炭水化物バッシングに対しては、著者は長寿で有名な沖縄の例を挙げて、摂取カロリーの85%がサツマイモなどの炭水化物だと指摘する。

本書はいろいろと勉強になったが、かつて日本で生物と保健の授業から得た知識だけの筆者には難しい箇所もあった。自分の食事について反省する読者は多そうだが、筆者はお肉がたくさんのドイツの食事をこれからは少し控えようと思う。

ドイツのベストセラー(ノンフィクション部門)

7月28日付Der Spiegel紙より

『 』内の書名は邦題(出版社)

1 Der Ernährungskompass

 Bas Kast バス・カスト

健康な食事を求めた科学ジャーナリストがその研究成果を発表

2 Jäger, Hirten, Kritiker

Richard David Precht リヒャルト・ダーヴィット・プレヒト

デジタル革命で機械の奴隷にならないための哲学者の診断処方

3 Mit 50 Euro um die Welt

Christopher Schacht クリストファー・シャハト

50ユーロだけを持って4年間・10万キロを旅した若者の体験記

4 Kleinhirn an alle

Otto Waalkes  オットー・ヴァールケス

70歳になった北海沿岸フリースラント出身喜劇役者の自叙伝

5 Größer als das Amt

James Comey ジェームズ・コミー

トランプ米大統領に米連邦捜査局長官から解任された米国人の暴露本。

6 Faschismus

Madeleine Albright マデレーン・オルブライト

ユダヤ人でナチに迫害された元米国務長官がファシズムについて警告

7 Zehn Gründe, warum du deine Social Media Accounts sofort löschen musst

Jaron Lanierジャロン・ラニアー

事情通があげるソーシャルメディア・アカウント削除の10の理由

8 Wie Brausepulver auf der Zunge

Greta Silver グレタ・シルバー

年取った女性が若いときには想像もできなかった幸せを体験する

9 Das geheime Leben der Bäume

『樹木たちの知られざる生活』(早川書房)

Peter Wohllebenペーター・ヴォールレーベン

自然林を理想とする著者が生きている樹木について語る

10 Schluss mit euren ewigen Mogelpackung

Peter Hahne ペーター・ハーネ

定年で自由になった元公共放送テレビ局記者の辛辣なコラム集

自分を見離したドイツ社民党

「愛を読むひと」原作者の新作恋愛小説 激動期のドイツで翻弄される女性

Bestsellers 世界の書店から
『Olga(オルガ)』は、世界的ベストセラー「朗読者」の著者ベルンハルト・シュリンクの新作恋愛小説。主人公オルガは19世紀末、現在はポーランドとなった旧ドイツ領で生まれた。両親に先立たれ、祖母に引き取られて農村で育つが、勉強に励み学校の先生となって自立する。彼女は、大地主の息子ヘルベルトと恋仲になるが、本人は海外雄飛の夢に取り憑かれ、南西アフリカに出征したかと思うと、今度は南米やアジアに旅立つ。オルガはヘルベルトの子を秘密で産むが、彼は北極探検に出かけ、とうとう音信不通になってしまう。オルガは友人の女性に子供を託して育ててもらい、自らは独身女性教師の体裁を保つ。やがて第2次世界大戦が始まる。ドイツの敗北直前、オルガはソ連軍に追われて旧ドイツ領から後の西独に逃れ、小説の第1部が終わる。第2部では、戦後、裁縫師となりハイデルベルクに住み着いたオルガと、オルガが出入りしていた家の子供フェルディナントとの交流が描かれる。第3部は、北極探検の出発地であるノルウェーの町の郵便局留めで、オルガがヘルベルトに送った31通の手紙からなる。時期は1913年から71年までの58年間。一人残されたオルガは恋人の死を半ば悟りつつも、彼への愛情や恨みつらみ、そして自らの近況を書き送らずにはいられなかった。

この小説ではオルガの政治観が重要だ。彼女は、ヘルベルトの南西アフリカ従軍中、この植民地戦争に反対したドイツ社会民主党に好感を覚えて、支持者になる。オルガは「ビスマルク首相がドイツ国民を、身の丈に合わない大きな馬に乗せてしまった」と考える。彼女に言わせれば、ヘルベルトの無謀な探検も、ナチズムも、世界大戦も、戦後のベトナム戦争反対の学生デモも、すべてドイツ独特の大国主義的国威発揚が背景にあるのだ。

老いたフェルディナントもこう言う。「彼女が今生きていたら、欧州統合もホロコースト記念碑も『大きいことを望む点ではどれも同じね』と感じるはずだ」

本書は歴史的背景をもつ恋愛小説だが、現在では退潮が著しい社会民主党を、かつて支持した人々の考え方を知る上でも興味深い。

 中年の危機を描く26の物語

マクシム・レオ/ヨッヘン・グッチュの《Es ist nur eine Phase, Hase(ダーリン、しばらくしたら終わるから)》の副題は「中年の危機を迎えた人々を慰めるための本」。著者のレオもグッチュも新聞や雑誌のコラムニストで、本書は「中年の危機」をテーマにする26の軽妙な物語からなる。

中年の危機は最近「第二の思春期」とよばれる。本書によると、中年の思春期は若者の思春期よりも厄介だ。女性は、スピリチュアルなことに関心を向ける人が多い。男性には突然カイトサーフィン(ボードに乗って凧に風を受け、水上を滑走する新スポーツ)の講習会に参加するなど、「老い」に対する最後の抵抗を試みる人もいる。

本書の物語の一つに登場するのは、突然ジャムを作りはじめる女性だ。ママのイチゴジャムはサラサラとして甘くなく、子供たちが食べようとしなかったので、ご主人は自分が食べたように見せて捨てた。しかし、その後も女性のイチゴジャムづくりはエスカレート。原料の供給も通常のルートでは間に合わず、家族は朝早く起こされて郊外の農園でイチゴ狩りを強制される。問題はジャムの処理で、慈善事業団体に持って行っても、競争相手が多いらしく引き取ってもらえない。

次は、娘の学級担任である27歳の女性教諭に「問題があったらいつでも電話してきて欲しい」と言われて、のぼせ上がってしまう父親の物語。彼は、女性教諭に頼まれて、教室のカーテンレールの取り付けを手伝う。一度彼女が手を伸ばすと、ブラウスがズボンから飛び出て、彼女の「新鮮な腰の部分」が露わになる。父親はこの後、頭を冷やすためにしばらく散歩しなければならなかった。

このような他愛のない話を読んでいると中年の危機も「しばらくしたら終わる」のかもしれない。

 犯罪を通じて描く人間模様

フェルディナント・フォン・シーラッハの《Die Strafe(刑罰)》は短編犯罪小説集だ。著者は国際的ベストセラー作家で、作品の多くが邦訳されている。

シーラッハの犯罪小説では誰が犯人かは重要でなく、犯罪の動機や、犯罪者と被害者の人間性、法の在り方などがテーマである。

冒頭の小説は、初めて参審員(ドイツでは、職業裁判官と、一般市民から選任される参審員が刑事訴訟の審理を行う)として「素人裁判官」になった女性の話。彼女は夫に虐待される被害者の証言を聞いているうちに、身につまされて泣き出してしまう。その結果、彼女は裁判官として公正な判断を下せないとする弁護側の主張が通り、裁判は継続されず、加害者の夫も釈放される。その4ヶ月後、被害者は夫から金槌で殴られて死んでしまう。

次の物語では、前科のある夫をかばうために赤ん坊殺しの罪を引きうけた女性が、釈放されて帰宅する。服役中、一度も面会に訪れず、釈放時にも迎えに来なかった夫は、彼女を見るなり衛星放送受信アンテナの修理を手伝えという。彼は椅子に足を乗せて身体を支え、アンテナに手を届かせようとする。彼女は夫の作業中、椅子が動かないように押さえていたが、突然椅子を蹴とばす。

夫は4階バルコニーから落ちて即死。彼女は結局、証拠不十分で無罪になるが、その後弁護士には、自分が夫に殺意を持っていたことを告白する。

シーラッハの小説は、市井の人々の倫理感情と、理詰めの法体制との相克がテーマであることが多いが、本書の最後の小説は少し様相が異なる。作中に登場する弁護士が、これまでのキャリアで関わってきた犯罪について、書き記すようになった経緯が記されているからだ。これは、デビュー作「犯罪」、第二作「罪悪」、そして今作と続いてきた犯罪事件簿の、そもそもの始まりを示唆している。いわば、「シリーズ全体の種明かし」をしたわけで、そのことから本書「刑罰」は、三部作の最終巻といわれている。

ドイツのベストセラー(フィクション部門)

4月21日付Der Spiegelより

 1 Die Strafe

Ferdinand von Schirach フェルディナント・フォン・シーラッハ

倫理と法律について考えさせられる12の短編犯罪小説。

2    Die Schmahamas-Verschwörung

Paluten/ Klaas Kern パルーテン/ クラース・ケルン

オンラインヴィデオのスターが新作を小説化。多数の漫画的挿絵。

3 Mein Herz in zwei Welten

Jojo Moyes ジョジョ・モイーズ

愛する人に先立たれたルーは心に二つの世界が共存するのを学ぶ。

4 Die Geschichte des Wassers

Maja Lunde マヤ・ルンデ

干ばつに苦しむ人々と氷河を救おうとする高齢の女性環境運動家。

5 Die Geschichte der Bienen                                               

Maja Lunde マヤ・ルンデ

おいしいハチミツをくれるだけでないミツバチの歴史。

6 Olga

Bernhard Schlink  ベルンハルト・シュリンク

19世紀末に生まれて長生きした女性の恋愛と過酷な運命。

7 Der Zopf

Laetitia Colombani レティシア・コロンバニ

インドとイタリアとカナダで運命と戦う3人の女性の物語。

8 Es ist nur eine Phase, Hase

Maxim Leo/Jochen Gutsch マクシム・レオ/ヨッヘン・グッチュ

「中年の危機」をテーマにする26の軽妙な物語。

9 Die Geschichte des verlorenen Kindes

Elena Ferrante エレナ・フェッランテ

ナポリの女から見たイタリア社会「ナポリの物語」の第4巻。

10 Tyll

Daniel Kehlmannダニエル・ケールマン

ドイツで著名な道化師と共に「三十年戦争」を見物・体験する。