ドイツ連銀・最後の抵抗

  • 発行:2011/10/12

概要

ドイツ連銀関係者にとって「通貨価値の安定」が最優先される。自国の国債を購入することは紙幣の増刷に等しい。少し前ドイツ出身のユルゲン・シュタルク欧州中央銀行(ECB)専務理事が辞意を表明したが、ECBによる財政破綻加盟国の国債購入に抗議するためだ。ドイツ連銀関係者の抵抗は今後も続くが、国際社会ではあまり理解されないようだ。

9月9日、ユルゲン・シュタルク欧州中央銀行(ECB)専務理事が突然辞意を表明した。これは、ギリシャ債務不履行に対する不安で神経質になっている市場に衝撃を与え、ユーロ安に拍車が掛かる。ドイツ株価指数を4%余り下げただけでなく、ギリシャ国債を大量に保有している欧州の銀行株も10%近く安くなった。この事情は、市場がドイツ出身のECB・チーフエコノミストのシュタルク氏の辞意を「個人的な理由」でなくECBによる財政破綻加盟国・国債の購入に対する抗議と考えたからである。

ECBの国債購入に抗議して退任するドイツ人は彼が初めてでない。というのは、今年の2月に、ウェーバードイツ連邦銀行総裁も同じ理由から任期を1年後に残して辞意を表明した。彼は今年11月からトリシエ総裁の後任になると思われていたので、ECB内での独仏のあつれきについてさまざまに憶測された。

シュタルク専務理事の辞意表明を、ドイツのあるジャーナリストは「私たちがよく知るECBの終焉」1と表現した。ということは、これまでのECBはドイツ国民になじみがあったことになり、これからはよく知らない別なものになるという意味になる。

1992年にマーストリヒト条約が調印されて欧州統一通貨導入が決まったとき、戦後西ドイツ・繁栄の象徴というべきマルクを手放すことに、国民は気が進まなかった。政治家は、そのような国民を説得するために、欧州統一通貨ユーロもマルクと同じ安定通貨になると約束し、新たにできるECBも、ドイツの中央銀行・独連銀と組織も似たものになり、また同一の精神によって運営されると強調した。そのような事情から国民も、ECBに対して、フランクフルトにあることも手伝って、少しはなじみを覚えるようになったのかもしれない。

辞意を表明したシュタルク専務理事は、1990年代に財務省で統一通貨の導入やECB設立の準備に当たった。また1995年から98年まで財務省の事務次官として統一通貨に重要な財政規律のために、安定・成長協定の交渉を担当。その後独連銀で副総裁を務め(当時の写真下2)、2006年にECB専務理事に就任した。

M305-0009-1ということは、シュタルク氏こそ、ECBを独連銀のように機能させ、またユーロをマルクのような安定通貨にするために骨折った人である。そのような人が、ECBによる財政破綻加盟国・国債の購入に抗議して辞意を表明することは事態の厳しさについての警告である。

ドイツ国民が自国の中央銀行に固執することは、欧米の金融関係者の間で「ドイツ連銀神話」とよくからかわれた。フランス人のジャック・ドロー欧州委員会委員長(1985年から95年)に「ドイツに無神論者はいるかもしれないが、ドイツ連銀を信じていない人は1人もいない」3という言葉が残されている。

それでは、独連銀的精神が何かというと(私のように金融とは直接関係がない人間から見ると)、それは、20世紀前半に2度も大きな戦争をして敗北し、その度にインフレを、それも1度はトランクにお札を入れてパン屋へ行くハイパーインフレを体験した国民だけが抱く徹底した政治不信である。

この精神によれば、政治家とは、民主主義体制であろうが、独裁体制であろうが、インフレを起こす誘惑に抵抗できない人々になる。「通貨の番人」の中央銀行の使命は、このような政治家の圧力に抗して「通貨価値の安定」を死守する点にある。

そのために「通貨の番人」は、財政政策と金融政策を峻別し、後者に専心しなければいけない。この立場に立つと、自国政府発行の国債を購入することなどは、財政的失敗の尻拭いをさせられて、輪転機でお札を増刷してインフレを起こすようなものだ。1980年代独連銀総裁だったカール・オットー・ペール氏は「インフレは練り歯磨きのようなもので、いったんチューブから出してしまうと、二度と元に戻せない」4と警告した。

輸出が増えたり、経済が成長したり、雇用が増大したりすることは望ましいことであるが、それは独連銀にとって2次的なことで、通貨価値の安定こそ最優先課題なのだ。このような独連銀の伝統から見れば、ECBが今していることは、未練がましく弁解しながら「インフレの練り歯磨き」をチューブから出しているように映るのだろう。

中央銀行の独立性はどこの国でもいわれるが、ドイツでは徹底している。公定歩合を高めに置く連銀は、金融緩和を求める時の政権からよく目の敵にされた。上記のペール総裁は、70年代ヘルムート・シュミット首相に重用されて財務省で事務次官に昇進し、その後連銀に移り総裁になったが、第2次石油危機のインフレ期に断固と高金利政策を推進した。これがシュミット退陣の遠因になる。こうして飼い犬に手をかまれることになったシュミット元首相は徹底した「独連銀嫌い」である。

昔、独連銀ファンの日本の経済学者から「どんな人でもこの銀行の門をくぐると世間のしがらみを捨てて通貨の安定しか考えなくなる」と聞いていた私は実物を見て驚く。というのは、私の目の前には「ドイツ連邦銀行」という地味な看板はあっても、門はなく、遠くのほうに日本の公団住宅を連想させる建物が立っているだけだったからだ(写真左下5)。この地味な建物は、モダンなECBビル(写真右下6)と対照的である。

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ドイツ連邦銀行の伝統の健在を示すのは、今年の4月退任したウェーバー総裁の後任におさまったイェンス・ヴァイトマン氏(写真下7)である。新総裁は、ECBによる財政破綻国の国債購入に反対するだけでなく、ドイツ政府を筆頭にユーロ加盟国政府がとる危機対策を批判する。彼はメルケル首相の主席経済顧問であった。彼女は自分の息のかかったこの人を連銀総裁に任命することによって、影響力を持てると思ったといわれるが、この期待は見事に裏切られる。

M305-0009-3ユーロ加盟国は、財政破綻国の国債を買い上げたり、経営の悪い銀行へ資本注入できるようにしたりするために、欧州金融安定ファシリティー(EFSF)の規模を現在の4,400億ユーロ(約46兆円)から7,800億ユーロ(約81兆円)に拡充しようとしている。ヴァイトマン総裁はこのような方針に批判的である。彼はこのような措置が該当国の放漫財政を修正するどころか、奨励することを恐れる。確かにこれまでの援護措置は、ECBの国債購入も含めて、短期的にわずかな効果がある程度で、解決につながらずエスカレートするばかりだった。

問題は、周知のように、金融緩和策で国家を中心に発生した信用バブルであった。これまでの対策は、資金をさらに潤沢に供給することによってバブルを拡大することだった。これは、ユーロ加盟国の政治家が景気好転して税収の増大による債務の減少を期待したり、またバブルがはじけてリーマン・ショックの再来を恐れたりしたからである。でもこの先送りの結果、財政危機が「ユーロ危機」に進展してしまう。

ドイツ連銀関係者はこれまで口が堅く、辞意を表明しても、その時点で理由が間接的に世論に知らされるだけのことが多かった。この点でヴァイトマン総裁は異例で、メディアとのインタビューや、講演の中で積極的に自分の見解を、それも批判的意見を表明する。これは本来能吏タイプのこの人の柄に合わないようにみえるが、彼の危機感の強さを示唆する。ドイツ連銀・最後の抵抗という趣がないでもない。通貨価値の安定を最重要視するドイツ連銀精神などは、景気動向と株価しか眼中にない人々には理解されにくいかもしれない。

9月26日、フランクフルトで「ユーロ危機」対策に反対する月曜デモがあった(写真下8)。「欧州安定化メカニズム(ESM)反対」「連銀はフランクフルトに幸い、ECBは災い」「ECBは紙くずを買うな」などといった看板を手にした人々がECBを目指して歩く。数はまだ少なかったが、路上でデモを眺める人々に尋ねると、彼らもユーロの未来に不安に感じている点で同じであった。

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1 http://www.stern.de/wirtschaft/news/ruecktritt-von-chefvolkswirt-juergen-stark-das-ende-der-ezb-wie-wir-sie-kannten-1726159.html
2 筆者撮影
3 http://www.bundesbank.de/50jahre/50jahre_pressematerialien_stimmen.php
4 http://www.bundesbank.de/download/50jahre/50jahre_zitate_von_poehl.pdf
5 ドイツ連邦銀行提供
6 筆者撮影
7 ドイツ連邦銀行提供
8 筆者撮影