予想外のブーメラン - EUの対ロシア経済制裁

  • 発行:2015/07/3

概要

2015年6月17日、欧州連合(EU)は対ロシア経済制裁を2016年1月末まで延長することで合意した。その数日後、オーストリア経済研究所(WIFO)が発表したスタディーによると、対ロシア経済制裁が欧州の国内総生産(GDP)に及ぼす影響は1,000億ユーロに及び、200万人の雇用が失われる。特にドイツの事情は深刻で、50万人近い雇用が失われる危険がある。

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2015年6月17日、欧州連合(EU)は2014年7月30日の理事会で決議し、実施から1年を迎えた対ロシア経済制裁を2016年1月31日まで延長することで合意した。そして皮肉なことに、その数日後にオーストリア経済研究所(WIFO)から、対ロシア経済制裁がEU経済に及ぼす影響についてのスタディーが発表された。それによると、欧州(EU加盟国とスイス)の国内総生産(GDP)に対するマイナスの影響は1,000億ユーロに及び、200万人の雇用が失われる。特にドイツの事情は深刻で、50万人近い雇用が失われる危険がある1。このスタディーは、欧州の主要7紙による連盟「リーディング・ヨーロピアン・ニュースペーパー・アライアンス」(LENA)の委託を受けて作成されたものだ。

過信するEU
欧州諸国は対ロシア経済制裁に踏み切ったとき、自分たちの力を過大評価し、同時にロシアが置かれた立場に対する理解が十分とはいえなかったのではなかったのか。冷戦時代に辛抱強く東方外交を展開して平和裏に国家統一に成功したドイツこそ、欧州のどの国よりロシアについてのノウハウがあったはずである。しかし残念なことに、次の世代に継承させることができなかったようだ。

対ロシア経済制裁の決定と関連して当時、ドイツでは次のようなことが言われた。ロシアは輸出全体の3%強を占め、スイス、ポーランド、ベルギーに次いで11番目であり、ドイツにとって重要な経済的パートナーではない。また、ロシアと取引する企業は10%にすぎず、これらの企業の4分の3近くは、ロシアへの輸出が占める割合は4分の1に及ばない。そのため、対ロシア経済制裁によって困る企業が出てきても、全体として見ればごく小さな問題といえる。

ロシアでは、原油価格の低下を受けて通貨ルーブルが下落。これに伴い購買力も低下し、2013年には既にさまざまな分野でドイツからの輸入を減らす傾向にあった。また、イメージの上でもロシアは中国の陰に入りつつあった。ドイツを筆頭に欧州諸国がロシアに対し経済制裁を導入すれば、ロシアがすぐに折れて出てくると考えたのは、このような事情からである。

経済制裁という「戦争」を始める以上、エスカレートもエグジットも考慮しなければいけないが、このような戦略的思考が現在のEUを動かしている人々に欠けているのかもしれない。例えばドイツは、ガスやその他の資源に関してロシアへの依存度が高いという「弱点」を抱えている。ところが、ロシア側が攻撃的にならないことを当てにしている節がある。これは、ドイツにおいてロシアが昔からビジネスパートナーとして信頼されてきたことと関係があるかもしれない。ロシアは、顧客がきちんと支払いを行う限り納入義務を守り、冷戦時に東西関係がいかに緊張してもこの原則を変えなかったとよく褒められた。ロシアは2014年8月にEUからの経済制裁に対抗するために、欧州の農産物と食料品の輸入を禁止する措置を講じたが、この程度で済んでいるのはドイツにとって幸運としか言いようがない。

対ロシア経済制裁による影響に関するマクロ分析
図表1は、WIFOのスタディーを基に作成したものである。対ロシア経済制裁が欧州(EU加盟国とスイス)のGDPに2013年と比べてどれほどマイナスの影響を及ぼすかを示す。青色の棒の数字は経済制裁導入直後、赤色の棒の方は経済制裁が長引いて中期的になった場合である。既に述べたように対ロシア経済制裁は延長され、現状は赤い棒の値になる。

フィンランド、ポーランド、ドイツなどはロシアとの貿易関係が盛んであるため、当然、ロシアに対する経済制裁による被害の度合いも大きくなる。図表1に表示されていないが、エストニアは対ロシア経済制裁導入直後がマイナス5.99%、長引くとマイナス15.85%に及び、経済情勢が厳しくなりつつある。また、欧州全体のGDPの減り具合は、図表1には示されていないが、対ロシア経済制裁導入直後がマイナス0.32%、中期的にはマイナス0.84%である。このマイナスの影響は、金額で表示すると冒頭のほぼ1,000億ユーロになる。

WIFOのスタディーでは、このようなマイナスの影響のどこまでが対ロシア経済制裁や対EU逆経済制裁の影響によるものなのか、あるいは原油価格の低落やルーブル安によるロシアの購買力低下が原因であるかについては区別されていない。しかし、現在のような相互に依存する経済関係と複雑な波及効果を考えると、そのような区別は不可能に近いとされている。

【図表1 対ロシア経済制裁によるGDPへの影響】
M304-0015-1
出典:WIFO:Makroökonomische Effekte des Handelskonflikts zwischen der EU und Russland

図表2は、対ロシア経済制裁がEU加盟国の雇用に及ぼす影響を示す。中期的に見るとドイツでは46万5000人が失業する危険がある。しかし、この数字に納得できない人がいるかもしれない。というのは、ロシアに関係する職場で働く人の数は、メディアでよく30万人といわれているからだ。

WIFOの説明によると、例えば、ドイツのメーカーがフランスのメーカーに部品を納入している場合、対ロシア経済制裁によってロシアに部品を販売できなくなったフランスのメーカーは、ドイツのメーカーからの購入を減らす。こうして減った分は、ドイツの対フランス輸出額減少として片付けられて、本来の原因は無視されるのが普通である。今回のスタディーはこのような隠れたケースも考慮し、可能な限り波及効果もカバーするようにしたそうだ。同時に、後で触れる他のどの試算より事態の深刻さを強調している。

図表1によると、中期的にドイツのGDPに及ぼすマイナスの影響は1.12%に及ぶ。また、図表2から分かるように、中期的には46万5000人の雇用が危険にさらされる。上述した通り、欧州(EU加盟国とスイス)の失業リスクは200万人であるので、ドイツがその約4分の1を占めることになる。ドイツ経済東欧委員会のエックハルト・コルデス委員長は「EU内で、掛け値なしに最大の犠牲を払っているのはドイツ経済だ」と嘆き、昔から苦労して開拓してきた市場が永久に失われることだけでなく、冷戦時代のロシアコネクションを生かして旧東ドイツで育った中小機械メーカーが軒並み破綻することを心配する2

【図表2 対ロシア経済制裁がEU加盟国の雇用に及ぼす影響】 (単位:人)
M304-0015-2
出典:WIFO:Makroökonomische Effekte des Handelskonflikts zwischen der EU und Russland

「振り上げた拳」の行き先
対ロシア経済制裁の影響については、特定の業界や企業の対ロシア輸出が減ったという数字をよく見掛ける。一方、WIFOが示すようなマクロの数字はあまり見掛けないが、2014年の夏、バイエリッシェ・ヒポ・フェラインス銀行のエコノミストが「HVB Trends & Märkte Spezial Juli 2014」の中で試算し、ドイツのGDPに対するマイナスの影響について2014年は0.7%、2015年は0.8%という数字を弾き出した。

EUもこの問題について絶えず試算しているといわれるが、公表されず、一部の関係者など限定された人々に、それも多くの場合、外部へ漏れないようにペーパーでなく口頭だけで伝えられるといわれる。それでも時々、この数字がメディアに登場することがある。2015年5月末にも「マイナスの影響が0.25%」という試算があったと伝えられた。

これに関連して興味深いのは、2014年5月9日付の週刊誌「シュテルン」のスクープ記事である3。EUのエコノミストは、本格的なロシア経済制裁がEU加盟国の経済に及ぼす影響を試算し、復活祭前の同年4月初旬に各加盟国政府に送ったという。シュテルン誌は、ドイツ政府宛てのこの極秘リポートを入手した。それによると、厳しい対ロシア経済制裁を行った場合、ドイツのGDP成長率は、2014年は0.9%、2015年には0.3%へと下がり、中程度の経済制裁でも2014年は0.3%、2015年には0.1%のマイナスの影響が発生するとしている。

この記事の全体のトーンは、対ロシア経済制裁の実施に対する警告であった。EUのオリジナルリポートのメッセージも似たようなものであったと推定される。2014年のドイツのGDP成長率は1.6%で、2013年は0.1%、2012年は0.4%だった。他のEU諸国はもっと元気がない。この程度の成長率の上がり下がりに一喜一憂し、失業率も軒並み高い欧州諸国が、ロシアに対する本格的な経済制裁に踏み切ることをためらっていたのも当然である。

このような状況下で起こったのが、マレーシア航空NH17便撃墜事件だ。事件直後、ロシアに疑惑の目が向けられ、対ロシア経済制裁が実施された。その後、捜査を担当するオランダの検察は、多くのデータや100人以上の関係者の証言を収集したが、容疑者をいまだに特定できていないとしている。

今回延長された対ロシア経済制裁は、これからどうなるのだろうか。東ウクライナの武力紛争は内乱であるが、1990年代のユーゴスラビア紛争より米国とロシアの代理戦争という性格が強い。欧州安全保障協力機構(OSCE)の監視員の報告からも分かるように、紛争の当事者のどちらかがより侵略的だとは断定しにくい。また、戦闘には2003年のイラク戦争以来、本格化した民間軍事会社の派遣社員が多数参加している。このような21世紀的現実を、欧州諸国は「侵略するロシア対自衛するウクライナ」とか、冷戦時代の東西の対立などといった20世紀型の戦争の図式に無理にはめ込んで理解した。このことこそ、紛争学研究者のクルト・グリッチュ氏の見解では、欧州が自身で問題を解決できなくなり、対ロシア経済制裁で「振り上げた拳」の行き先に困っている原因である。

EUは、ミンスク首脳会談での停戦合意の実行を対ロシア経済制裁終了の条件にした。これは、ウクライナ政権とその「反乱軍」の双方が、また現場で戦闘に参加している人々が平和を希求することを当てにすることである。でも下手をすると、民間軍事会社の雇用が確保されているだけで、欧州諸国の国内の失業者は増大するばかりかもしれない。

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1 http://www.n-tv.de/wirtschaft/Was-die-Russland-Krise-wirklich-kostet-article15333861.html
http://www.bmwfw.gv.at/EnergieUndBergbau/Energieeffizienz/Documents/Endbericht%20EU-Russland%20Sanktionen%20WIFO%2010.12.2014.pdf
2 http://www.ost-ausschuss.de/sites/default/files/pm_pdf/PM-Ukraine-Krise-2015.pdf
3 http://www.stern.de/wirtschaft/news/stern-de-exklusiv-eu-geheimbericht-schuert-angst-vor-haerteren-russland-sanktionen-3717206.html

M304-0015
(2015年7月16日作成)