投稿者「admin」のアーカイブ

ドイツのグローバリゼーション

ドイツのグローバリゼーション-大企業のCEO報酬

  • 発行:2019/01/28
概要
ドイツでは、大企業の最高経営責任者(CEO)の報酬がよく話題になる。それは一般社員との格差が大きいからだ。昔は小さかったこの格差がこの国で拡大し始めたのは1995年ごろで、それ以来CEOの報酬は順調に上昇している。これは生真面目にグローバリゼーションを実行し、世界の投資家にとってドイツ企業を魅力的なものにした結果だが、その評価は分かれている。

庭の池にはヒーターが取り付けられた。ドイツの冬は寒く池が凍って、その中のニシキゴイに不幸があってはならないからである。その工事費は約6万ユーロ(約770万円)だった。別荘も庭も会社が所有するもので、工事費は会社負担。この別荘を利用するニシキゴイが大好きなドイツ人は、この国で有数の自動車メーカーの最高経営責任者(CEO)であった。彼が支払う別荘の家賃は、1平方メートル当たり5ユーロ。ちなみにこれは、学生寮の家賃より安い。彼の年間報酬は、当時1,700万ユーロ(約21億円)であった。

コイを飼うのは自動車造りと直接関係がないので、日本的(おそらくドイツ的)感覚から言っても公私混同になる。だが、ドイツの株式会社でCEOを筆頭に役員の報酬や待遇を決めるのは監査役会である。この場で別荘の池へのヒーターの取り付けが了承されていれば、それだけの話だ。少し厄介なのは家賃の方である。一般的な相場より安く、差額は会社から補助されていることから報酬に相当する。ということは、税務署に申告しなければならなかったことになる。

これらは数年前の話だ。それが最近になってメディアで話題に上るようになったのは、この自動車メーカーが排ガス規制に関わる不正問題で非難され、ニシキゴイが好きな経営者の責任が問われているからである。

本当に仰天に値する格差は!
ドイツの大企業のCEOの報酬はよく話題になる。それは一般社員の給与と比べて彼らの報酬額が多く、貧富の格差の反映として批判されているからである。2018年秋のドイツ州議会選挙で、社民党のガブリエル前党首がCEOの報酬を選挙戦のテーマとして提案したのもそのためである。しかしこの提案は、党内では庶民のやっかみをあおるポピュリズムだと批判されて立ち消えとなった。

ところで、CEOの報酬は一般社員の給与と比べて複雑である。昔、CEOが取締役社長とか筆頭取締役などと呼ばれていた頃だ。当時そのような立場の人と知り合いになった筆者は、ホテルのバーでの世間話でうっかり年収を尋ねてしまった。彼は人格者で、私のぶしつけな質問にも気を悪くせず親切に説明してくれたが、私の方が困ってしまった。基本給だけでなく、業績を反映させる賞与が多く複雑だったからだ。

例えば、企業の売り上げや利潤と関連する賞与や、自社株を与えることもある。株式は保有する義務期間を長くして、より長期的な観点に立った経営のインセンティブを目標にしていた。また退職給与引当金もあった。企業によって、また個人によってCEOの報酬も異なることから、単純には比較できない。でも、そんなことを言い出したらきりがないので、ここでは金額だけを並べてみる。

【表1:ドイツの大企業のCEOの報酬額(2017年度)1
M0304-0024-1

表1は、ミュンヘン工科大学経営研究室とドイツ有価証券保護協会(DSW)が発表した数字を基に、ドイツ株式指数(DAX、時価総額上位30銘柄で構成)構成企業から、CEOの2017年度の報酬額上位10社を選んで並べたものである。この表から分かるように、ニシキゴイが好きな風流人経営者の報酬が21億円以上であった頃と比べて元気がない。それはドイツの自動車メーカーが排ガス不正問題を抱えてけん引車としての役割を演じることができないからだが、それでも自動車メーカーが第2、3、4位に登場している。

2017年度のDAX30のCEOの平均報酬は580万ユーロで、日本円に換算すると約7億3660万円。2016年度には、それが550万ユーロ(約6億9850万円)、2015年度には510万ユーロ(6億4770万円)であった。ということは、CEO報酬は順調に上昇していることになる。

世論の批判を受けているのは、一般社員の給与との格差だ。2017年度は、DAX30のCEOの平均報酬は自社従業員の平均給与の52倍であった。2016年度にはそれが50倍、2015年度も同じく50倍であった。格差がどんどん拡大するように見えるが、そうではない。2014年度には54倍もあったからである。ということは、流れは格差拡大の一方向でない。それは、CEOの待遇を決める監査役会の中に世論を気にする人がいるからだ。

このようなドイツの大企業のCEOの報酬への批判に対して言われることはいつも同じで「米国を見よ」だ。ダウ工業株30種平均(Dow Jones Industrial Average)30社のCEOの平均報酬が1,670万ユーロで、ドイツのDAX30の平均報酬580万ユーロの3倍近くもあることが指摘される。その中でも高額なのは、ウォルト・ディズニーのCEO(3,200万ユーロ)であったり、またJPモルガン・チェースのトップ経営者(2,500万ユーロ)であったりする。

確かに経営トップの報酬も米国とドイツでは格差がある。だが、その比較をしているうちに、本当に仰天に値する格差を見過ごす危険があるかもしれない。例えば、米国にブラックストーンという大手投資ファンド会社がある。この会社のスティーブン・シュワルツマンCEOの報酬は毎年のように話題になる2。彼の2015年の報酬は8億1000万ドル(約7億3600万ユーロ)もあった3。この巨額な報酬はウォルト・ディズニーのCEOの23倍であり、世界一を誇ったドイツの自動車メーカーのCEOのおよそ43倍に相当する。ブラックストーンのCEOの報酬を考えると、DAX30を構成するドイツ企業とダウ工業株30種平均を構成する米企業のCEOの報酬格差など、どんぐりの背比べに等しい。

ドイツ企業はステークホルダー
それでは、なぜドイツでCEOの報酬が話題になるのか。それは、以前は一般従業員の給与と役員報酬の格差が小さかったからだ。下のグラフ1はこの事情を示す。

【グラフ1:DAX30企業14社の取締役の報酬額の変遷(1987年=100)】
M0304-0024-

このグラフはドイツのフンボルト大学とフランスのストラスブール大学の経営学者が作成した4。2人は、ドイツ銀行、シーメンス、VW、ダイムラー、BMW、リンデ、ヘンケルなどドイツを代表するDAX30から14社を選び、1987年から2017年まで取締役と一般従業員の1人当たりの人件費の推移を調べて指数化した。1987年が100である。

取締役の報酬は1987年から2017年までの30年間で100から1,000近くまで増大したので10倍になったことになる。ところが、一般従業員の給与は1987年の100からゆっくり上昇し、2017年の250近くになったにすぎない。このスタディーの著者によると、役員の報酬も初めの頃は一般従業員の平均給与の15倍にすぎなかったのが、現在では58倍に上昇したという。

また、このグラフから分かるように、1995年までは取締役の報酬も一般従業員も給与は同じようなテンポで穏やかに上昇してきたが、それ以降は2本の線が離れ始める。1995年にWindows 95が発売されて多くの人がインターネットを始めたが、取締役の報酬と一般従業員の給与の格差と関連付けることはできない。筆者の記憶にあるのは、経済関係者の間でその少し前ごろから「シェアホルダー・バリュー」という英語が使われ始め、耳慣れない言葉であるために戸惑ったことだ。これは「株主価値」という意味で、企業価値を高めることがグローバル化に当たって重要な経営目標だという。上場企業の企業価値とは時価総額で、株価に発行済み株式数を掛けたものだと説明された。

1990年代にこの英単語がよく使われ、企業価値を高めなければ、グローバリゼーションの時代に生き残れないような雰囲気が醸し出されたが、そのうちあまり耳にしなくなった。とはいっても、企業を見る基準も、またそれに対応して企業の方も変わってしまった。

かつてはDAX30の企業といえば、ドイツの主要銀行が10%とか、時にはそれ以上の株式を所有していた。多くの企業ではドイツの保険会社も大株主で、その次に登場するのは商売上のパートナーである。これらは得意先や仕入れ先、例えば技術的に協力関係にある企業であったりして、株式の持ち合いまでした。また忘れてはいけないのはアラブの首長国で、彼らは大歓迎される安定株主であった。

企業は誰かが創立した以上、その子孫がいる。多くの企業はその後大きく成長したために、彼らの持ち株など小さくてそれほど重要でないことが多い。とはいっても例えばBMWのクヴァント家は半分近くの46.7%を所有していることはよく知られているし、シーメンス家は6%を所有している。この他にも有名なのはVWのポルシェ家とピエヒ家で、この自動車メーカーはドイツとニーダーザクセン州も株主である。

英語には、シェアホルダーの反対を意味する「ステークホルダー」という言葉があるが、これは株主だけでなく従業員、顧客、債権者、仕入れ先など企業の利害関係者を意味する。上記の株主メンバーは当時誰も言わなかったが、ステークホルダー的であったことになる。また、ドイツ企業のこのような性格は監査役会ではもっと強い。そこには、取引相手の社長や株主の金融機関の代表者がいるだけではない。共同決定法で従業員と労働組合代表者が参加していた。時には地域の名士や識者も入っていた。このようなドイツの大企業のステークホルダー方式は1990年代「ドイツ株式会社」と呼ばれて「時代錯誤」扱いされた。

「ドイツ株式会社」の没落
ところが、ゆっくりとだが、このなじみのあった大株主が消えていく。その代わりに登場したのが、大多数のドイツ国民になじみのない、グローバルに活動する投資ファンド運用会社、投資信託、投資顧問会社、保険会社、年金基金などである。DAX30の株式の60%以上はこのような機関投資家に所有されている。彼らの大多数は外国の投資家と推定される。というのは、グラフ2が示すように外国人所有(出資者)の割合も増加しているからである。

【グラフ25
M0304-0024-3

確かにこのようなグラフを見ると「ドイツ株式会社」のステークホルダー方式は過去のものになったと言うしかない。外国人投資家が増加したのは、DAX企業のCEOがシェアホルダー・バリュー・マネジメントに励んで企業価値を増大させたからである。この功績により経営トップは、グラフ1にあるように1995年ごろから特別高い報酬を受け取るようになる。

でもそれだけではない。ドイツの経済関係者や政治家がグローバリゼーションやシェアホルダー・バリューを生真面目に受け取り、金融の自由化に励み、立法や政策によって援護射撃したからでもある。

リーマンショックの後、筆者は知人のフランスの銀行関係者と話す機会があった。そのとき彼は、ドイツの銀行が「ドイツ株式会社」時代のDAXの優良企業の株式を手放して、米国まで出掛けてサブプライムに手を出したことに呆れていた。でも、これもドイツ人が米国的「グローバリゼーション」を真面目に実行したからだ。

こうして、グラフ2が示すように、DAX企業は少なくとも投資先としてはグローバリゼーションに成功した。2017年には発行済み株式のうち54%が資産を運用する外国人の手に渡っている。表2はこの割合がもっと高い企業を示す。

【表2:外国人投資家が占める割合6
M0304-0024-4

このような状態がドイツ企業の自主的経営を困難にする心配はないのだろうか。株式を所有しているのは、すでに述べたように資産を運用し増やすことを目的としているプロの人々である。その中には、上述したように、世界一になった頃のドイツの自動車メーカーのCEOの43倍もの巨額な報酬を受け取る人がいる企業も存在している。彼らは、もうけることに特別熱心な人々である。報酬は力の反映でもある。

例えば、上の表2の上から4番目の企業リンデである。本社がミュンヘンにある同社は産業用ガスとエンジニアリングの二つの部門を持つが、最近、同社は米国のプラクスエアと「対等に合併する」ことになった。新会社の本社は税金の安いアイルランドのダブリンに移り、経営の本体はプラクスエアで同社のCEOが新会社の経営トップとして采配を振ることに決まった。

M0304-0024-5リンデは産業用ガスの技術の発明者・カール・フォン・リンデ(左の写真7)が19世紀末に創立した企業である。そしてプラクスエアは、この創立者が20世紀初頭に米国に設立した子会社であった。そのため、業績が悪くもない大きいリンデがより小さい米国の「昔の子会社」に「吸収合併される」ことを奇妙に思う人が多かったようだ。2016年12月にリンデの監査役会で合併が決まったとき、合併反対派のCEOと財務担当重役が辞任した。これも普通の話ではない。また従業員の中には、ミュンヘン郊外にあるプラントエンジニアリングの事業分野(下の写真8)が切り離されて外国の企業に売られたり、また閉鎖されて5,000人の雇用が失われたりすることに不安を覚えている人も少なくなかった。

でも、なぜこのような事態に至ったのだろうか。表2にあるように、外国人投資家がリンデの株の72%を保有している。彼らの中の資産運用会社がリンデとプラクスエアのどちらにも投資しているとしたら、(この二つの企業が無駄な競争をするより)合併し、重なる無駄な部分の売却か閉鎖によってシェアホルダー・バリューが増大することを望むのではないだろうか。このように推定する人は少なくない9

M0304-0024-6こう考えたら、監査役会に労働組合や従業員代表などのステークホルダーがいるドイツなどよりも、アイルランドに本社があった方がいいということになる。また経営も「ドイツ株式会社」の生き残りより、資産の増大のために努力してくれる米国人CEOの方が望ましいことになるし、投資者はそのようなタイプの経営者を潤沢な報酬によってねぎらう。リンデは伝統があるために騒がれたが、本当はよくあるケースである。

このような事情を考慮すると、1990年代にドイツに入ってきたシェアホルダー・バリュー・マネジメントが「ドイツ株式会社」を没落させたことになる。CEO報酬の増大はこの過程で重要だった。今までドイツはシェアホルダー・バリューを増大させてグローバル化の道を猛進してきた。この国でよく使われる「コーポレートガバナンス(企業統治)」という言葉も、この現実を見ないためにあるのだという人もいる。

新聞の経済欄に「DAX30はドイツの企業なのか」といった記事がチラホラ出ていることや、また政治情勢を眺めると、軌道修正が必要であると思われるが、その実現も簡単でない。

******************************************************************
1 https://www.wiwo.de/erfolg/management/vorstandsgehaelter-5-8-millionen-euro-fuer-einen-dax-chef-im-schnitt/22793772.html
2 https://www.handelsblatt.com/finanzen/banken-versicherungen/usa-blackstone-chef-schwarzman-erhielt-2017-rekordverguetung/21024072.html?ticket=ST-2118155-vFDyE6KejgFxh3ghGoqe-ap2
3 https://www.faz.net/aktuell/wirtschaft/arm-und-reich/blackstone-chef-hat-mehr-als-810-millionen-dollar-verdient-14094002.html
4 https://www.wiwo.de/erfolg/management/dax-vorstaende-zehnmal-so-viel-geld-wie-1987/22724964.html
5 http://www.bpb.de/nachschlagen/zahlen-und-fakten/globalisierung/52596/aktionaersstruktur-dax
6 https://www.welt.de/finanzen/article175828547/Dax-Der-Auslaenderanteil-unter-den-Aktionaeren-ist-stark-gestiegen.html
7 H. Linde氏提供。
8 写真はミュンヘンの郊外にあるエンジニアリング部門のヘッドオフィス。撮影は筆者。
9 https://www.tagesspiegel.de/weltspiegel/sonntag/blackrock-ein-geldkonzern-auf-dem-weg-zur-globalen-vorherrschaft/21246966.html
ベルリンの新聞「ターゲスシュピーゲル」に掲載されたこの記事によると、ビッグ3と呼ばれる「ブラックロック」「バンガード・グループ」「ステート・ストリート」をはじめとする多数の資産運用会社がドイツをはじめ欧州連合(EU)主要加盟国で株式を保有するようその影響力を強めている。EUのマルグレーテ・ベステアー競争担当委員は、市場競争原理が損なわれることに警戒心を強めている。リンデとプラクスエアの合併もそのような例だという。

M0304-0024
(2019年1月7日作成)

欧州 美濃口坦氏

Der Apfelbaum(林檎の木)

Bestsellers 世界の書店から
西岡臣撮影
西岡臣撮影
『Der Apfelbaum(林檎の木)』の著者クリスチャン・ベルケルは、子どもの頃に庭の林檎の木の下で母から「あなたは100%のドイツ人でも100%のユダヤ人でもない」と告げられる。ベルケルは、自らが半端者扱いされたと感じて怒り、その後も自分の出自について考えることを避けた。しかし、年を重ねるにつれて考えが変わり、61歳の著名な俳優が自らのルーツを探る処女作が誕生した。著者の母ザラは、ドイツ人男性とユダヤ人女性との間に生まれた。著者の父オットーは家が貧しく、17歳のときに仲間と共にザラの家に泥棒に入る。家の図書室で、オットーがザラの父の膨大な蔵書に見惚れていると、当時13歳のザラが来た。仲間たちは警官に逮捕されるが、オットーだけはザラがかくまった。二人は相思相愛になるが、直ぐにヒトラーと戦争の時代が幕を開ける。

ユダヤ人迫害から逃れるため、ザラは、父と離婚しマドリッドで暮らす母を訪れるが、うまくいかずパリの叔母のもとへ移る。しかし、ドイツ軍がフランスに侵攻し、彼女は収容所に入れられる。ザラは、東欧にある死の収容所への移送から逃れ、ドイツ行きの汽車に乗る。その後もドイツ人に助けられ、ライプチヒで終戦を迎えた。一方、オットーは医学を勉強し、軍医として従軍。ソ連軍の捕虜になるが、戦後無事に帰国。ザラと再会し、1955年に結婚する。

この小説の魅力は、ユダヤ人とドイツ人についていろいろ考えさせてくれる点だ。ザラは「ユダヤ人」と言われるとぎょっとするが、かつてナチスが人種法に定めた「ハーフ・ユダヤ人」という蔑称で呼ばれても気にかけない。反ナチズムに性急な著者は、母の態度に怒るが、後になって、戦時下ではこの表現のほうが、母には死の危険がハーフ(半分)になるように感じられていたことに気づき、自分の無神経さを恥じる。オットーも戦後、ソ連軍の捕虜収容所で、同胞のドイツ人たちが、他のどの国の捕虜よりも団結心がなく、仲間を頻繁に密告することに失望する。

著者は父母の体験を通じて、自らがナチスを生んだドイツ人であると同時に、ナチスに迫害されたユダヤ人でもあることに向き合おうとする。その真摯な姿勢が、多くの読者の共感を得たのだろう。

■ニセ患者になり息子を捜す父

『治療島』『前世療法』など邦訳も多いドイツの人気ミステリー作家、セバスチャン・フィツェックの小説『 Der Insasse(入院患者)』の主人公ティルは消防署員である。彼の6歳の息子マックスは1年ほど前、「近くの友達のところへ行く」といって家を出たきり帰って来ない。息子は友達の家にも到着していないことがわかり、警察の懸命な捜索にもかかわらず消息がまったくわからず、捜索が打ち切られる。

この間、父親のティルも母親も絶望に陥り、夫婦関係は破綻する。

警察が捜索を継続しなかったのには、ある事情があった。子供を次から次へ誘拐しては殺すトラムニッツという男性が捕まったのだ。トラムニッツは自白していないが、警察はマックスも彼の犠牲者でないかと推定している。そのうちにトラムニッツは病気で手術が必要となり、司法精神科病院の警戒厳重な閉鎖病棟に移される。

このことを知ったマックスの父親ティルはこの「入院患者」から、直接息子の運命について聞こうと思う。警察で働く親族の支援でティルは精神病患者になりすまし、トラムニッツと同じ集中治療室に入れてもらうことに成功するが、思い通りに事態は進まない……。

この小説は読者を寝不足にすることが確実なサイコサスペンスで、最後にドンデン返しが待っている。作者は47歳で、2006年以来毎年のようにこのタイプの小説を書いており、その度にベストセラーになっている。

推理小説、探偵小説、スリラー、ホラーを問わず、犯罪に関係のあるものはドイツでは「犯罪小説」とよばれ、今では出版される本の4点に1点を占める。そのため、優秀な作家が続々とこのジャンルに参入し、質も向上したと、本屋のベテラン店員から聞いたことがある。

いろいろな国で、フィツェックをはじめドイツの犯罪小説が翻訳されるようになったのもそのためだ。

■世界的人気の刑事シリーズ新作

『Muttertag(母の日)』のネレ・ノイハウスも世界的に人気があり、日本も含めて23カ国で翻訳が出ている。ちなみに、この小説は06年にはじまった「刑事オリヴァー&ピア・シリーズ」の9冊目である。

元工場所有者のテオ・ライフェンラートの屋敷に来た新聞配達の女性は、郵便受けがいっぱいであるのを不審に思う。彼女が窓越しに家の中をのぞくと、ライフェンラートが倒れて死んでいる。

犬の檻や庭で見つかったり、掘り起こされたりして出てきた古い人間の骨を警察が調べると、それらはこの地域で過去に行方不明になった女性たちのものであることが判明した。

殺人の手口はいつも同じで、女性をビニールに包み、溺死させてから庭に埋めていた。その後、母の日に行方不明者届が出されている点も同じだ。

長年にわたってテオ・ライフェンラートと妻のリタは全部で30人以上の子どもを施設から引き取って養い、世話をした。2人は外に対しては人道的態度を装っていたが、施設に戻りたくない子どもの弱みにつけ込み、虐待し、暴力的でもあった。その一方で、リタは毎年母の日に、大人になった養い子たちを自宅に招待したという。

とすると、殺人者はそのような昔の養い子の一人で、自分を捨てた実母にも変死したリタにも仕返しできず、誰か別の女性を見つけては、代理として殺し、復讐したのだろうか。

一見、小説は読者の犯人さがしという推理小説の大きな枠の中にとどまっているように思える。

だが、話の筋の流れが何本もあり、捜査する刑事の過去の私生活も取り込まれている。読者は多くの登場人物の視点から事件に接することができる上に、それぞれの登場人物も丹念に描かれていて、読み応えがある。ミュンヘンの書店員の言葉があらためて思い出された。

ドイツのベストセラー(フィクション部門)

1月12日付Der Spiegel紙より

1 Muttertag

Nele Neuhaus  ネレ・ノイハウス

母の日が来ると殺人が。親族関係はどこの国でも厄介。

2 Mittagsstunde             

DÖRTE HANSEN デルテ・ハンゼン

北ドイツのライ麦畑が広がる村落を舞台に、時代の変化を示す人間模様。

3 Der Insasse

Sebastian Fitzek セバスチャン・フィツェック  

真実を知るためには手段を選ばない父親。サイコサスペンス。

4 Weißer Tod

Robert Galbraith ロバート・ガルブレイス

ハリー・ポッターの作者が別名で書いたミステリー。

5 Die Mondschwester

Lucinda Riley ルシンダ・ライリー

「セブン・シスターズ」の第5巻。動物に人生を捧げる主人公。

6 Neujahr

Juli Zeh ユーリ・ツェー

良き夫、良き父親であろうとする男性の苦悩。

7 Die Suche

Charlotte Link シャルロッテ・リンク

湿原で行方不明の少女の死体を発見。また少女が行方不明になる。

8 Mädelsabend

Anne Gesthuysen アンネ・ゲストヒューゼン

ライン河の流れは緩やかになる地域なのに女性は強くなるばかり。

9 Der Apfelbaum

Christian Berkel  クリスチャン・ベルケル

61歳の著名な性格俳優の処女作。玄人顔負けの出来に皆が感嘆。

10 Zeitenwende

Carmen Korn カルメン・コルン

4人の女性の友情の絆を通して眺めたドイツ半世紀の時代の変転。

「28-1=27」で済まない-ドイツから見たブレグジット

  • 発行:2018/11/12    美濃口 坦

概要

ドイツでブレグジット(英国の欧州連合(EU)離脱)というと、経済的ダメージを受けるのは英国の方だと思っている人が多い。そうであるのは、残る加盟国は27カ国もあり、相手は1カ国だと思っているからである。また、英国の離脱はEUの在り方を根本的に変えてしまう。これに対処するのは容易ではない。

M0304-0023-1もうかなり前だが「ドイツ国民はブレグジット(英国の欧州連合(EU)離脱)は自分たちと関係がないと思っている」と嘆くフィナンシャル・タイムズの記事を目にしたことがある。もしかしたらEUで上の立場にいる人たちにも似た事情があるかもしれない。

ポーランド元首相で現在、欧州理事会議長のドナルド・トゥスク氏は、2018年9月にザルツブルクで開かれたEU首脳会議でメイ英首相にケーキを勧めた。そしてこの写真1に「残念ですが、サクランボはありませんよ」というコメントをつけてインスタグラムに投稿。英国はEUの利点を保持し、都合の悪いところは拒むと非難されている。このような「いいとこ取り」は、子どもがケーキで一番おいしいサクランボだけをつまみ食いするのに似ていて、メイ首相は欧州理事会議長からインスタグラムで茶化されたことになる。

このような冗談も普通なら面白いかもしれないが、英国メディアはEU首脳会議で自国の首相が四面楚歌(そか)の状態になり、さらにこのようにからかわれたことに対し感情的に反発する。同時に保守党内のブレグジット強硬派に対する彼女の立場が弱くなり、離脱協定が締結されないままの「ノーディール」になる可能性が高まったといわれる。

現在ドイツでは、長年暮らす英国人の中でドイツ国籍を取得する人が急増中である。また英国には300万人に及ぶEU加盟国市民が在住し、彼らこそブレグジットに至った「重要問題」であった。そのうちポーランド人は3分の1近くを占め、ブレグジットがどうなるかは、彼らにとっても気が気でないと想像される。でも、インスタグラム愛好者の元ポーランド首相には自国民の運命が気にならないようだ。これも彼がブリュッセルのEU本部にいて「雲の上の人」になってしまったからで、EU加盟国市民の中にEU嫌いが少なくないのも、このような事情と無関係ではない。

一度にEU加盟20カ国が脱退したら?
ブレグジットが重大な出来事であることをドイツ国民に理解してもらうために登場するのは下のグラフである。これはEU加盟国の国内総生産(GDP)がEU内で占める割合を示す。数字は2015年のもので、英国はドイツに次ぐ2番目の経済大国で18%を占める。ドイツからポーランドまでの上位8カ国を除いて、下位20カ国のGDPを合計するとほぼ18%になる。

【図表1】2
M0304-0023-2

ということは、経済的に見ると、ブレグジットは28カ国の加盟国で構成されるEUから20カ国が一斉に脱退することに相当する。でも多くの人々は28カ国のうち1カ国だけがいなくなると考えることにしていて、EUと英国の関係も「27対1」と思うようだ。ザルツブルクで開催されたEU首脳会議以来、メイ首相の提案がEU首脳陣から相手にされず、ドイツのメディアも政治家も「ノーディール」の離脱を心配するようになった。どのようにEUから離脱するにしても、EUより英国の経済的ダメージの方が大きいというのが通説で、いろいろなスタディーを目にすると、少なくとも短期的にはそうなると思われる。

だから「対岸の火事」扱いにして、本来内輪もめが多いEU加盟国がブレグジットに関しては英国に対し団結して強硬であるのは、英国のまねをする国が出てこないようにお仕置きを十分にしておこうと思っているからだといわれる。また同時に、川を越えて飛んでくる火の粉の数が27分の1になると高をくくっていることもある。以下にドイツの事情を挙げて、それが錯覚であることを説明する。

【図表2】3
M0304-0023-3

図表2は2017年のドイツの輸出先である。9%の米国がドイツにとって「一番の顧客」で、フランスの8%がそれに続く。英国はオランダと並んで7%で、ドイツのメルケル首相が重要視して毎年のように経済界の要人を引き連れて訪れる中国も7%であることを考えると、英国はドイツにとって本当に重要なパートナーであることが分かる。次に金額でいうと、これは2016年の数字であるが、商品の輸出額は年間約860億ユーロに及ぶ。これにサービスの輸出を加算すると1,160億ユーロで、ドイツのGDPの3.7%に相当する。

次に、図表3に示した英国の輸出先から分かるように、12%の米国が英国にとって「一番の顧客」であり、次はドイツの9%、フランスは6%にすぎない。

【図表3】4
M0304-0023-4

【図表4】5
M0304-0023-5

図表4の英国の輸入先を見てもドイツからの輸入が一番多いので、英国とドイツの交易が重要であることが分かる。英国とドイツの貿易収支はドイツの出超であるが、だからといって英国は文句を言うこともなくドイツの高いクルマを買ってくれるありがたい国である。自動車や機械工業の分野では、部品の相互供給も盛んだ。ここで数字こそ挙げないが、英国の場合は南欧周辺国より、ドイツだけでなく北欧の国々との交易の方がはるかに活発だ。

ということは、EU離脱協定が成立しないで「ノーディール」という形で英国がEUを離脱したら、ドイツを筆頭にこれらの北欧の国々は対英貿易の少ない南欧の周辺国より厄介な状態に陥る。それだけではなく、5%とか10%などといわれる世界貿易機関(WTO)ルールに従って関税を支払うことにもなる。これは該当するEU加盟国の企業にとって負担の増大である。ということは「対岸の火事」から飛んでくる火の粉は、どこの国にも均等の27分の1ということにはならない。

こうして増大した関税収入は、どこへ流れていくのだろうか。これは昔から決まっていて、EU加盟国が徴収コストとして4分の1を自国の収入としてキープし、残りの4分の3はEU本部に上納する。これは加盟国の国民総所得に基づいた支払金額と比べたら少ないが、それでもEUの重要な財源である。このように考えると、欧州理事会議長のサクランボの冗談も素直に受け取ることができないかもしれない。

これからのEU
このような経済的コストを考慮すると、英国の「ノーディール」離脱はドイツにとってもなるべく避けるべきことになる。だから英国もドイツに仲介的役割を期待していた。ところが今までのところ、ブレグジット交渉はフランスをはじめ南欧の周辺国やブリュッセルの欧州委員会のペースで進行し、ドイツはそれに流されるだけである。

そうであるのは、メルケル首相が抱える問題と無関係ではない。彼女は難民問題のために国内で批判されているが、これをかわすために、EU全体での解決という体裁を取りたい。これには南欧の周辺国の協力が必要であるが、こうして借りができると、彼女は自国や北欧の国々の立場を主張しにくくなるからである。

しかし「ノーディール」離脱になるかどうかは、比較的に短期的な問題である。英国がEUを離脱する結果、EU全体の在り方が変わり、厄介な状態に陥ることを長期的観点から心配する人がいる。EU加盟国の間にも経済や政治について異なった考え方がある。それは、ドイツ、英国、オランダ、オーストリア、フィンランド、バルト三国、デンマーク、スウェーデンなど市場経済を重視する国々の立場と、反対に経済的競争力が弱いために保護主義に傾くフランス、イタリア、スペインなどの地中海沿岸諸国の立場である。

前者のグループに属する英国はEU官僚機構に対する熱烈な批判国であり、大英帝国であったこともあって世界に開かれた国である。欧州統合が「内輪の親睦会」にとどまらずに現在のEUになったのも、またドイツが世界で通用する工業国家に発展できたのも、1973年に英国が当時の欧州経済共同体(EEC)に加盟したからだとドイツではよくいわれる。もともと英国の加盟は1960年代にドイツがフランスのシャルル・ド・ゴール大統領(当時)の不興を買うことを恐れずに願望し、1963年と1967年の英国の加盟申請もフランスの反対で実現しなかった。

後者のグループの地中海沿岸諸国は経済が元気でなく、国家介入主義的傾向が強く、欧州がこれらの国ばかりなら、ブリュッセルの官僚機構がもっと肥大化していたといわれる。ということは、欧州統合は市場経済派と国家介入派の間の妥協の上に乗っかってゆっくりと進行してきたことになる。このような妥協主義こそ欧州統合の重要な特徴だ。

EU理事会はEUの最も重要な決定機関であるが、ここでの評決の仕方も、多数決で少数派の見解を拒否するのでなく、妥協が実現する仕組みになっている。リスボン条約によってこの性格は弱まったといわれるが、それでも二重多数決方式である。そのため加盟国は前もって割り当てられた数の票を持っており、議案が可決するためには、その支持国側が55%以上の票数を確保しているだけでなく、支持国全ての人口がEU全体の65%以上を占めていなければいけない。

リスボン条約の時点では妥協主義がコンセンサスで、市場経済派加盟国は人口数では39%を、国家介入派諸国は38%を占めていて、拮抗(きっこう)するようになっていた。その結果、一方が多数決で他方の反対を押し切ることはなかった。ところが、英国のEU離脱によって前者が30%に減ってしまうのに対して、後者は42%に増大する。つまり、これからは、地中海沿岸諸国の方はいくらでも意思を通すことができ、妥協しなくてもよいことになる。ということは、ブレグジットは英国がEUから離脱して加盟国が27カ国になるだけの話ではない。

例えば、加盟国はこれまで独自に国債を発行したり、社会保障システムを運営したりしてきた。ところが、この加盟国の自己責任方式もブレグジットの結果、多数決で変更し、EU全体の共同債を発行したり、共同の失業保険を導入したりすることが可能になる。このような事情から、ブリュッセルのEU関係者やフランスのマクロン大統領がチャンス到来と思い、EUやユーロ圏の改革に色めき立った。

確実に言えるのは、欧州統合がこれまでとは全く別のものになるということである。というのは、欧州統合が妥協主義の基盤で進んできたのは、加盟国が主権国家であったからである。主権国家は「一国一城の主」のようなところがあり、下手に干渉して主権侵害と思われ脱退される危険性があったために慎重になり、また妥協主義になった。

国家は自身の権限が制約されることを望まない。制約を受け入れるとしたら、それを国民に納得させるために、見返りとしての利点が大きくなければいけなかった。だからブレグジット交渉が長引き、妥協にも時間がかかった。ということは、ブレグジットの結果、EUはこのような妥協主義から多数決で加盟国に何かを強制する方式に転換することになる。

次に、これまでのブレグジット交渉を眺めると、EUは「27対1」で相手を圧倒し、歩み寄ろうとする姿勢はほとんど見られない。こうであるのは、既に述べたように、英国のまねをする国が出てこないように「お仕置き」をしているからであるが、多数決方式で締め付けを強めるEUの未来を先取りしているからでもある。同時にこれも加盟国に対する教育効果を高めることにもなる。

これに関連して興味深いのは、欧州議会によって2018年9月に28加盟国で2万7000人を対象に実施された世論調査6である。それによると「自国がEU加盟により得をしている」と回答する人がEU全体で68%もいたことである。これは1983年の調査開始以来最も高い数字であるだけでなく、同年4月の調査より4%も上昇した。ブレクジット交渉でのEUの強硬な態度は報われたのかもしれない。

しかし締め付けが強くなった欧州同盟は、今後どのように展開していくのだろうか。上記の調査で「EUは間違った方向に進んでいる」と回答した人は全体で半数もいた。例えば、フランス59%、ドイツ52%、スロベニア52%、オーストリア45%といった具合で「正しい方向に進んでいる」と回答した人は全加盟国で28%しかいなかった。ということは、以前の妥協主義のブレーキが効かなくなり、EUが「間違った方向」にどんどん進んでいく可能性もあるということになる。

****************************************************************************
1 https://www.instagram.com/p/Bn8Luwbjzf9/?hl=de
2 Hans-Werner Sinn: Der Schwarze Juni:Brexit, Flüchtlingswelle, Euro-Desaster – Wie die Neugründung Europas gelingtの39ページ
3 ユーロスタットの数字を基に筆者作成:https://ec.europa.eu/eurostat/news/themes-in-the-spotlight/trade-in-goods-2017
4 ユーロスタットの数字を基に筆者作成:https://ec.europa.eu/eurostat/news/themes-in-the-spotlight/trade-in-goods-2017
5 ユーロスタットの数字を基に筆者作成:https://ec.europa.eu/eurostat/news/themes-in-the-spotlight/trade-in-goods-2017
6 http://www.europarl.europa.eu/at-your-service/en/be-heard/eurobarometer/parlemeter-2018-taking-up-the-challenge
http://www.spiegel.de/politik/deutschland/europaeische-union-vier-von-fuenf-deutschen-sehen-mitgliedschaft-positiv-a-1233660.html
https://www.heise.de/tp/features/EU-Barometer-Die-Haelfte-glaubt-dass-sich-die-Union-in-die-falsche-Richtung-bewegt-4193605.html

M0304-0023
(2018年10月24日作成)

欧州 美濃口坦氏

Bestsellers 世界の書店から 2018.12.02

自我と自我がぶつかり合う、共働きの緊張関係 ドイツのベストセラー

Bestsellers 世界の書店から
外山俊樹撮影
外山俊樹撮影
アフリカ沖の大西洋に浮かぶカナリア諸島は常春で、シーズンオフなしの人気の休暇地だ。その一つランサローテ島で、ユーリ・ツェーの『Neujahr(正月)』の主人公ヘニングは家族連れでクリスマスと正月を過ごす。

ヘニングも妻のテレーザも共働きで、2歳と4歳の子どもがいる。夫婦は家事と育児を公平に分担するようにし、そのためにどちらも職場と交渉したが、妻が働く税理士事務所は協力的であったのに、彼のほうの出版社はそうでなく、仕事の一部を自宅に持ち帰ることで了解を得た。次は収入で、妻のほうが多いためにヘニングは妻より家事・育児を余計に引き受けるべきだと考えて実行している。

子どもたちは健康で夫婦仲もよく、仕事もうまくいき、彼は幸せだと思っているが、下の子が生まれた頃から、心臓の拍動が突然速くなったり乱れたり、窒息しかかったりするパニック発作を患うようになる。休暇中は治まっていたが、大晦日の深夜に発作に襲われる。

翌朝、ヘニングはひとりで近くの丘の上の村を目指してサイクリングに出かける。彼は、急坂や逆風で脚の筋肉に痛みを感じる度に、坂道や風を憎悪し罵るようになる。そのうちに、彼は、自分が何もかも、仕事も、また愛しているはずの妻や2人の子どもまでも、ペダルを踏みながら罵っていることに気づき、愕然とする。

丘の村へ行く途中で、ヘニングは、この島にはじめて訪れたはずなのに、以前来たことがあるような感覚を覚える。

本書は失われていた幼年時代の記憶が蘇る話で、推理小説を読むのに似ている。また、この国の大学卒同士の、緊張した夫婦関係が巧みに描かれている。それは自我と自我の押し合いっこで、押されて痛みを感じた方が愛情を根拠に均衡を保とうとする関係である。だから主人公が自転車を漕ぎながら体験したように、愛と憎しみは同義語に近い。

著者のツェーは毎年のように問題作・力作を発表。政治的発言も多く、ギュンター・グラスなど西独の政治参加の伝統を継ぐ、数少ない作家の一人とされる。彼女は、憲法・国際法を専攻した法律家で、EUのデジタル基本権憲章の熱心な発起者の一人でもある。

カナリア諸島、もう一つの物語

インガ・マリア・マールケ『Archipel(群島)』は今年度ドイツ書籍賞を受賞した。この賞は長編小説を対象にし、フランクフルト書籍見本市と連動しているためにメディアでよく取り上げられる。

面白いことに、マールケの小説もカナリア諸島を、それもテネリフェ島を舞台にする。でもツェーの小説と異なり、登場人物はドイツ人の休暇客でなく、この島の住民であり、彼らの過去100年間の変転が語られる。

コロンブスはまずカナリア諸島で補給し、更に西に進み米大陸に到達したが、この例がしめすように、これらの島々は、特に一番大きいテネリフェ島はその後も中南米に対するスペインの略奪植民地主義の拠点になった。スペイン領であったが、大英帝国の海外進出の中継基地としての役割も演じた。この島で良い家系の出身者として権力を振るったのは植民地主義のおこぼれにあずかって富を蓄積した人々であり、本書のなかで登場するベルナドット家がその例である。

スペインの独裁者フランコは1936年、社会主義者連合というべき人民戦線政府によって参謀総長を解任されてカナリア諸島総督に左遷されていた。彼はここから軍の反乱が勃発したモロッコに移り、反乱軍を指揮し本土に侵攻、政府軍に勝ち、40年も続いたフランコ独裁体制を築く。

カナリア諸島では当時裕福な人々はフランコを支持し、反対に中産階級に属する人々は社会主義の人民戦線政府に味方する。本書のなかでは薬剤師の息子のフリオ・バウテがそうで、兄が反乱軍に殺害されただけでなく、自身も7年間も収容所に監禁された。

小説の冒頭は2015年7月で、フリオ・バウテの娘のアナは政治家で汚職が疑われている。彼女の夫はベルナドット家の御曹司の歴史家で、アルコール依存症。娘のロッサは大学をやめて帰ってきて、インスタグラムにかまけ、テレビのサバイバル・リアリティーショーばかりを眺めている。

本書は政治的対立がなくなった現在から始まって、フリオ・バウテが誕生した1919年に終わるように語られる。時間の流れに沿って物語が進行しないため、話の中に入っていけないと難じる読者もいる。でも、私たちが何かを理解するときには過去に遡って情報を集めるのではないのか。

本書に読みづらい点があるとすれば、あまりにもいろいろなことが出てきて、どこに注目していいのかがわからなくなり、「木を見て森を見ず」になりがちだからだと思われた。

 「不愉快で嫌なヤツ」が主人公の人気ミステリー

M・ヨート&H・ローセンフェルトの『Die Opfer, die man bringt(犠牲になってもらう)』は推理シリーズ「犯罪心理捜査官セバスチャン」の第6巻である。シリーズは2010年にはじまり、一度読者になると、次の巻の刊行を、首を長くして待つといわれる。出版されると直ちにベストセラーのトップになるのもそのためだといわれる。

著者のヨートは、著名なスウェーデンの推理小説家ヘニング・マンケルのために映画のシナリオを書いた。ローセンフェルトのほうは司会者兼脚本家で、国際的大ヒットのデンマークとスウェーデンの合作テレビドラマ『THE BRIDGE ブリッジ』の脚本家の一人である。

シリーズ第6巻の本書は連続レイプ事件を扱う。厄介な事件で、国家刑事警察機構の特別捜査班が担当することになり、仲間外れにされていたセバスチャン・ベリマン犯罪心理捜査官も起用されて、シリーズではお馴染みの捜査官が全員集合。それでも解決には手間取り、556ページになる。

推理小説はいつも犯罪事件が起こり、それが解明される。今や市場での競争がきびしく、差別化戦略が重要で、本シリーズの魅力は登場人物だとされる。筆者は愛読者の一人から、第6巻を読むだけでは駄目で、第1巻から読まないとシリーズの良さがわからないと警告された。確かに捜査にあたる人々も警察関係者で公務員であるが、あまりにも個性的で、ドイツの職場だったら仕事にならないような気がした。

一番おもしろいのはシリーズの主人公、セバスチャン犯罪心理捜査官だ。彼はエゴイスティックで協調性も欠けていて、不愉快でイヤな奴の典型である。インタビューの中で、作者はこのほうが人格者より自由にいろいろな行動をとらせることができて都合がいい、と発言した。ドイツでは、なるべく他人から好かれたいと思う結果、自分を束縛する人が多いといわれる。とすると、そのような人々にとって、この身勝手男のシリーズはストレス解消に役立っているのかもしれない。

作者は、中年男のセバスチャンに弱点があったほうがいいと思い、アルコール依存症は(特に北欧では)月並みで面白くないので、「セックス中毒」にしたという。だから主人公は女性と知りあうと、よくそのような関係になる。

この人物設定も、スウェーデンという、女性の人権が特別に尊重される国が舞台であることを考慮すると何か示唆的だ。ちなみに、#MeToo(ミートゥー)運動と関連して、今年スウェーデン刑法の関連条項も改正されてきびしくなった。

本巻ではセバスチャン犯罪心理捜査官は(一度の例外をのぞけば)品行方正である。これは、上司から禁じられていたからで、上記の法改正とは関係がないようである。

ドイツのベストセラー(フィクション部門)

10月27日付Der Spiegel紙より

1 Mittagsstunde   

Dörthe Hansen デルテ・ハンゼン

北ドイツのライ麦畑が広がる村落を舞台に時代の変化を示す人間模様。

2 Archipel

Inger—Maria Mahlke インガ・マリア・マールケ

テネリフェ島の住民の百年の歴史を理解する試み。

3 Die Suche

Charlotte Link シャルロッテ・リンク

湿原で行方不明の少女の死体を発見。また少女が行方不明になる。

4 Die Opfer, die man bringt

M. Hjorth & H.Rosenfeldt M・ヨート&H・ローセンフェルト

犯罪心理捜査官セバスチャンシリーズの第6巻。連続レイプ事件を追う。

5 Zeitenwende

Carmen Korn カルメン・コルン

4人の女性の友情の絆を通して眺めたドイツ半世紀の時代の変転。

6 Wer Strafe verdient

Elizabeth George エリザベス・ジョージ

重罪の容疑者である教会の執事が監獄で死ぬ。自殺なのだろうか。

7 Neujahr    

Juli Zeh ユーリ・ツェー

良き夫、良き父親であろうとする男性の苦悩。

8 Der Hundertjährige, der zurückkam, um die Welt zu retten

Jonas Jonasson ヨナス・ヨナソン

100歳の老人が世界を救う。お元気なのはなによりです。

9 Eberhofer, Zefix!

Rita Falk リタ・ファルク

バイエルン方言の辞書付きズッコケ喜劇推理小説。

10 Fräulein Nettes kurzer Sommer

Karen Duve カーレン・ドゥーヴェ

19世紀の独女性作家ドロステ・ヒュルスホフが主人公の小説。