ドイツの職場から

発行:2012/04/25

概要

人事関係のコンサルタントが、ドイツの職場におけるさまざまな問題や働く人々の悩みをテーマとして執筆した本が、ドイツでベストセラーになっている。シニカルな表現も多いが、職場の問題とその解決方法について考えさせられる、真面目な本である。

「自国の企業について、私たちは、真面目で、何事も徹底的に実行し、出来上がった仕事は正確で設計図通り、納期順守などと思っていないだろうか。でも、ドイツ企業の評判について気になることが一つある。それは、ドイツから遠くなればなるほどドイツ企業の評判が良くなる点だ。例えば、東アジアで誰かと話していて世界的に活躍しているドイツ企業の名前が出てくると、話し相手の目が輝きだす。ところが、ドイツ国内で同じ企業の名前を聞いた人々はうんざりした顔をするだけである」

こう書くのは、経営コンサルタントのマーティン・ヴェーアレさんで、上記の引用箇所は2011年に出版された彼の著書の冒頭である。この本では、働く者にとってドイツの職場が不合理で仕事にならず、フラストレーションがたまるばかりであると説明している。
この本はすでに10カ月近くもベストセラーリストの5、6位を占めて健闘している。ドイツ国民が自国企業の業績が好調であるというニュースに連日のように接する一方で、このような本が売れているのは面白い。

ヴェーアレさんは人事関係のコンサルタントで、当事者からいろいろな悩みを聞かされた。そのため、内部から見たドイツの職場をテーマとしたこの本を書いたという。読者の多くは読みながら自分の職場を思い出し、著者の表現がシニカルであるために留飲が下がるのかもしれない。全284ページに及び、内容的にも多岐にわたる本について紹介するのは簡単でないが、あえてそれを試みる。

働いていてストレスがたまる理由の一つは、企業の「官僚化」というべき現象で、手続きがやたら煩雑になってしまった点にある。例えば、ある自動車工場の購入担当者の話である。長年、近くの業者から部品を仕入れていた。そして今度もこれまでと同じ業者から部品を納入してもらうつもりでいたところ、本社で作成された納入認定業者リストにこの業者が入っていないことが判明した。

工場の購入担当者は、この業者の部品の品質、価格に関しても、また納期についても満足していたため、別の業者からは仕入れたくなかった。そこで本社と交渉したが、複数のリスト作成責任者がいて、その誰もが他人を盾にとって(本当は実績のある)この業者をリストに入れることを承諾してくれない。
いつまでたってもらちが明かないため、最後にはリストにある他のメーカーをダミーにして、そのメーカーを経由してその業者から部品を納品してもらうことになった。これでは当然、コスト高になる。しかし著者によると、このような手続き優先主義の企業にとって、発生するコストは二次的な問題である。彼らにとって重要なのは「コスト削減の手続きを踏んでいること」で、500ユーロのコスト削減手続きを実施するために600ユーロ出ていっても気にならないそうだ。

ヴェーアレさんが例として挙げる別の企業では、社員が本当にきちんと仕事をしているかどうかをコントロールするために、社員に日々の活動を綿密に記録させるようになった。その結果、本来の仕事に割く時間が減ってしまった。似たような例としては、本来、外回りの営業をする人が受注計画や受注報告ばかりを書かされて閉口しているケースもある。こうして、だんだん本来の仕事ができなくなる職場が増えているという。
このような状況について著者は「サッカーで、ストライカーにゴールするだけでなく、どこを走ったか、どのシュート技術を駆使したか、ゴールの確率がどのくらいだったかを記録することを要求するのに似ている」と記す。

企業における手続きの煩雑化を批判するのは、この本だけでない。少し前のフィナンシャル・タイムズ(ドイツ版)に、ダイムラー社が1年ほど前にルールの数を減らす方向に転換し、1,800以上もあったルールを1,000以下に減らしたという記事があった。ルールの簡素化・方向転換は現在、多くのドイツ企業で着手されつつあるそうだ。確かに、ルールが多ければ多いほど決定までに時間がかかる。コンプライアンス部門に問い合わせているうちに競争相手に注文を取られてしまったら、元も子もない。

ルールが増え、手続きが煩雑化するのは、心配性の人が多いというドイツ人の国民性と無関係ではないかもしれない。神経質に心配するために、漠然とした「常識」とか「善意」といったものを信頼できないで、ルールを増やすことになる。
昔、ある法学者は「ドイツ人の心配性とルールは17世紀の30年戦争にまでさかのぼる」と私に教えてくれた。30年も戦争が続いて人口が3分の1に減ってしまった後、旧教徒と新教徒が共存するためには、たくさんルールを作って紛争が起こらないようにする必要があったというのがその説明である。昔からドイツの組織では、ルール運用に強い法科卒業生が上に立つことが多い。これも、このようなドイツの国民性と無関係ではないかもしれない。

ルールが増えないようにするためには、社員が話し合って認識を共有するようにしたり、上に立つ人が仲介機能を発揮すればよいと思われる。ところが、著者のヴェーアレさんから相談を受ける人々の見解では、どちらも簡単ではないようだ。
話し合いやミーティングは、初めから賛否二つしかないディベートになってしまう危険が多いという。その結果、参加者が自分の見解を通そうとするだけで、新たな認識を共有することなどあまり期待できない。このため、企業にとって良いと思われるアイデアを実現させようとミーティングを開いても、逆効果になるという。著者のシニカルな表現に従えば「ミーティングの前には問題が一つだったのが、ミーティングで前進して問題が二つ以上に増える」ことになる。

また著者は、ドイツ企業内で演出が重視されるようになったことを指摘する。社内プロジェクトもできるだけ派手に立ち上げて、人々の注目を集める。外部の機関、例えば大学と共同プロジェクトを組んだりすると、そのためにコストが発生しても社内で重要だという雰囲気を演出できる。しかし、このプロジェクトが本当に利益をもたらすかどうか、また予想利益が支出を正当化できるかといった疑問は、人々の頭の中から消えてしまう。著者は、このような事情を「企業の中の仕事も、大向こうをうならせる見せ物にしないと成功したことにならない」と嘆く。

さらに著者は、上司・上役のテーマについてもいろいろな例を挙げている。その一つは、新たに上役になった人が、前任者がしていたことを一切やめて何もかも新しくしようとする。その多くは個人プレーで、企業の利益もコストもあまり考慮されないことが多いそうだ。著者によると「俺が俺が」という自己中心的なタイプの人が上のポジションに就く可能性が大きいという。確かに、前述したようにミーティングで活躍する人や演出が上手な人ばかりが評価されて出世するとしたら、あまり多くのことは期待できないのかもしれない。

私はこの本を読みながら、ドイツの企業が昔どうだったかを時々考えた。雄弁な人が、それも法科出身者が上に立つことは多かったが、黙々と働く人々もそれなりに評価されていて、職場でも居心地は悪くなかったような気がする。
ヴェーアレさんはこの他にも、この本の中でドイツの職場のさまざまな悩みについて書いている。悩みが生じる理由は企業の官僚化、社員の自己顕示欲や保身、出世願望などいろいろあるかもしれないが、共通点は顧客、製品、価格、利益、コストといった企業に重要なことが職場でないがしろにされていく状況である。これは企業が市場を見失って内向きになることでもあり、このような職場を取り上げる本が売れていることは、それほど悪いことでないかもしれない。

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* http://www.ftd.de/unternehmen/industrie/:weniger-vorgaben-daimler-raeumt-mit-regelwust-auf/60165081.html

M305-0014
(2012年4月14日作成)