樹木は野生の象だ

[第173回]樹木は野生の象だ

美濃口坦 翻訳家兼ライター

Photo: Sako Masayoshi

ドイツには林学科卒業後、森林管理者になる人がいる。『Das geheime Leben der Baume(木の秘められた生)』の著者ペーター・ヴォールレーベンもそうで、まだ自然が多く残る森を任された。

彼が20年前に森林経営多角化のためにサバイバル訓練や樹木葬の事業を始めたところ、普通の人々が違った目で森を眺めるのを経験した。彼らは、節が多くて曲がった材木としては欠陥商品の木をほめる。そのうちに彼自身の森の見方も変わっていった。

長年通った森に、苔(こけ)におおわれた石だと思っていたものがあった。ところがある日、彼がよく見ると500年前に倒れたブナの木の残りで、そばの木から養分を供給されて今でも生きていることに気づく。森には知らないことがたくさんあるのだ。これも当然なことで、林学には長い歴史があるが、樹木はその数倍は生きてきたからだ。

彼は、森の中で仲間と助け合っている樹木こそ本来の姿だという。森の樹木は丈夫で長生きする。だが一方で、街角や公園の木は著者にはまるでストリートチルドレンのようにみえる。森の中では大木が幼木に養分を供給すると同時に日光を遮って伸びないようにする。そして、ゆっくりと何十年もかけて成木になることで数百年の樹齢に達することができるからだ。

森の地面の下では、キノコ(菌根菌)と木の根とが絡みあって数平方キロメートルに及ぶネットワークができている。これで樹木同士の養分の相互供給が実現する。また、キノコの菌糸のネットワークを媒介に多くの情報が電気的・化学的に伝達されるので、専門家は冗談で「WWW(Wood Wide Web)」と呼ぶ。

著者は、木には記憶力も痛覚も感情も思考力も備わっているという。材木を供給したり、水を保存したり、二酸化炭素を吸収したりするなど、従順なサービス提供者としての木のイメージに著者は反発を覚える。檻(おり)の中の野生の象を見て不自然だと思う人も、畑のトマトのように森の中で苗木が植えられているのを見てヘンだと感じない。著者はこのことに不満で、本書についてのテレビインタビューのなかで、「木も本当は野生の象と同じです」といった。私も森の中で大木を見たら象だと思うことにしている。