発行:2018/02/14
概要
ドイツの自動車業界が電気自動車(EV)にかじを切りつつある。それは、欧州でEVを本気で売らないと欧州連合(EU)の二酸化炭素(CO2)排出規制の2021年目標値をクリアできないためだ。このようになったのは、燃費の良いディーゼル車で切り抜けようと思っていたのが、大手自動車メーカーの排ガス不正問題でその思惑通りにいかなくなったからでもある。
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長年、自動車産業は近代国家における国のランクを見る上で重要であった。自動車は複雑な機械で、その組み立てに高度で精密な作業が必要になる。部品だけでも(その数え方によって異なってくるだろうが)何千点もあり、何もかも海外から取り寄せることができない以上、それらの製造能力が国内になければならない。ということは、自動車製造技術は高度工業国家の証しともいえる。
また自動車は組み立てるだけでなく、次から次へと効率良く量産しなければならない。このような資本主義的な生産方式は、その考案者にちなんで「フォーディズム」と呼ばれるが、これも偶然でない。これまで破竹の勢いで進んできたシリコンバレーの電気自動車(EV)メーカーが量産でもたついているのも興味深い。
このように考えると、研究開発施設、高価な設備のある工場、また充実した販売網などを持つ自動車メーカーは資本主義の殿堂のような存在で、膨大な投資とノウハウ、人材が必要である。そのため、これまでは自動車製造を簡単に始めることなど考えられなかった。ところが、今やこのような事情も変わりつつあるようだ。
「郵便局」がつくった自動車
2010年、アーヘン工科大学の車両技術研究者が町の中を走行するEVをつくろうと思い立ち、ストリートスクーターを立ち上げた。第1号車は18カ月足らずで完成。2011年の国際モーターショー(フランクフルトモーターショー)に展示し、注目される。その後開発を続けていると、2014年にドイツポスト DHLグループ(DPDHL)から声が掛かる。DPDHL側は市内で止まったり走ったりする配達用のEVを求めていたが、ドイツの自動車メーカーは相手にしてくれなかった。そんなに冷たいなら自力でと考え、このスタートアップを子会社にしたのである。
ストリートスクーターの自動車製造は順調に進み、DPDHL内で3,000台以上の配達用のEVがすでに投入されているだけでなく(上の写真)、2017年から配達業者、市町村などの外部の顧客にも販売されるようになった。製造能力も年間1万台から同1万5000台まで拡大。また総重量1,000キログラムも運搬できる大型の2番目のモデル「ワークL」も製造し、2018年からさらに大きなサイズの「ワークXL」が販売される。
DPDHLの手紙・小包事業担当重役のユルゲン・ゲルデス氏は「私たちも自動車メーカー」というときには照れ笑いする。民営化されたとはいえ、郵便局と自動車の製造は一般的には直接つながらないからである。
2018年の4月のことだ。超一流のドイツの自動車メーカーがフランクフルトの町で架空の介護事業所名義でこの元郵便局の運搬車をレンタルし、別の町にある自社の敷地で走行試験を行っていたことが判明し話題になった1。人々は、クルマづくりのプロ中のプロが「素人」のつくったものを調べることに驚く。同時に、遠い未来の話であったEVが急に身近に感じられたという。
アンビバレントな態度
このように、素人でも自動車メーカーになれるようになったのにはいろいろな理由があるが、最大の要因は動力が内燃機関から電気モーターに変わった点である。EVは内燃機関の自動車より構造もシンプルで、厄介な仕掛けなども必要ない。部品の数も従来の自動車の10の1とか5分の1などといわれ、その分だけ組み立ての手間も省ける。そうであるのは、内燃機関とその周辺は自動車メーカーが改良に改良を重ねた複雑で高度な技術だからである。ドイツでは、8気筒エンジンが1,200のパーツから構成されているのに対して、電気モーターのそれは25にすぎないという例がよく出される。
以前なら、エンジンといえば自動車の心臓部で、この部分の技術的蓄積がないままクルマづくりを始めることなど考えられなかった。ところがEVとなると事情は別で、米国テスラのイーロン・マスク最高経営責任者(CEO)も素人といえばそうだし、2020年にEV市場への参入を発表した英国ダイソンも門外漢である。
自動車メーカーにとって電気モーターに転換することは、自分の長所を捨てるに等しい。そんなことを自ら望む人などいない以上、話は微妙だ。彼らはモーターショーで元気よくEVやプラグインハイブリッド車(PHV)を展示するかもしれないが、環境を重視し未来に開けていることを示すためで、ドイツの環境派からよく「イチジクの葉」と呼ばれる。またセールスも熱心でなく、注文しても来ないとか、本当に売れたら困るからなどとうわさされた。
ドイツの自動車メーカーにとって、環境派から批判され、メルケル首相をはじめ政治家から電気モーターへの転換の出遅れが心配されているのは悪い状態ではない。そうであると、EVが未来の話にとどまり購入の対象にもならず、自動車メーカーは末長くプレミアムカーとスポーツ用多目的車(SUV)のおいしい商売を続けることができる。一度登録されたEVが隣国に転売されて消えていく現象も、このようなアンビバレントな意識と関係がある2。どうやらEVでうろつく人を歓迎しない傾向があるようだ。
ドイツの政治家にとっても、EVが主力となって自動車製造の手間がかからなくなると雇用が失われるので、そんな時代が早く到来するのも考えものだ。だから彼らの方もアンビバレントで、そう考えないと多くの奇妙な現象が理解できない。例えば、充電インフラの整備こそEV普及のために重要であるのに、それをあまり重視しないかのようにEVの購入を補助するのもその例である。
2017年夏、ブリュッセルで欧州委員会が欧州連合(EU)加盟国に充電インフラの整備を義務付ける法案を提案した。例えば、建物や駐車場を造ったら必ず充電スタンドを設けなければいけないといった具合である。ところが、ドイツは欧州理事会でこの法案が成立しないよう働き掛けた。折りしも連邦議会選挙の選挙戦に入っており、メルケル首相がEV転換の必要性を強調していたので、この足並みの乱れが注目された3。
2017年秋に自動車メーカーのメルセデス・ベンツ、BMW、フォルクスワーゲン(VW)グループ、フォード・モーターがミュンヘンで共同出資会社「イオニティ」を立ち上げた。これは2020年までに欧州のアウトバーン(高速道路)の400カ所に急速充電スタンドを設置する事業を進めるためで、ひとまず2017年末までにドイツとオーストリアとノルウェーの20カ所に設置される予定だ。
このような自動車メーカーのアウトバーンプロジェクトと、上記の市内の充電インフラ整備を目的とする欧州委員会の提案は相互に補い合うことができ、普及に役立つことになると思われる。ドイツの自動車メーカーによると、現在1万(もしくは7,000)しかない充電スタンドが、連邦交通省の支援プログラムを受け今後1年以内に現在の3倍の3万にまで増加するそうである。
背に腹は代えられぬ
2017年12月6日にベルリンでドイツ自動車工業会(VDA)のマティアス・ヴィスマン会長の記者会見4があった。彼は、ドイツのEVについて「世界のEVとハイブリッドの技術の特許のうち34%もしくは32%がドイツに付与され、ドイツは研究と開発においても世界のトップを走っている」と強調した。
彼の年次報告には「ドイツのメーカーは2年もしくは3年以内に電気で走る乗用車のモデル数を現在の3倍の100に増大させる」とあり「その後は、5年もしくは8年以内に路上を電気で走行する乗用車のモデルが150以上に増える。すでに2019年末までにコンパクトカーからSUVまで全ての分野でEVもしくはPHVが登場する」と記されている。
どうやらドイツも「電気自動車元年」、この国の自動車業界も急旋回し、電気で走行するクルマは「イチジクの葉」ではなくなりつつあるようだ。それでは、なぜそうなったのだろうか。その背景には、二つの大きな要因があるといわれている。それは2015年に発覚したディーゼル車の排ガス不正問題、もう一つはドイツの自動車メーカーにとって重要な中国市場の動向である。中国については次回の原稿で触れることにして、今回はディーゼル車の話に限定する。
このディーゼル車の排ガス不正問題はドイツの自動車業界にとって大きなイメージダウンとなったが、ディーゼル車が駄目ならガソリン車でもいいわけで、EVには直接つながらない。事実、2017年度上半期の欧州の新車販売台数は821万台で、これまでで最も売れた2007年度の水準に迫ろうとしている。ディーゼル車は減ったが、その代わりにガソリン車が売れているからだ5。ドイツの自動車メーカーの業績は良く、例えばVWの営業利益はトヨタ自動車を上回り、半分冗談で自動車業界は「黄金時代」に差し掛かっているといわれる6。
ドイツで自動車製造に従事している88万人のうち、22万人がディーゼル車関連である。仕事は少なくなっても、操業短縮などの厄介な事態に至っていないのは、現状では減り方が大きくないからだ。その理由は、2014年9月以降のディーゼル車はユーロ6基準に合格してガソリン車と同じようにクリーンだと見なされているためで、市町村への乗り入れ禁止の対象にはならない。
2016年の数字であるが、新車登録に占めるディーゼル車の割合は、アウディで66.3%、BMWで65.5%、メルセデス・ベンツで56.1%、VWで51.6%といった具合に高いだけでなく7、高級車ではこの割合が80%まで上がる。ディーゼル車の割合が高い上位2社のアウディとBMWがあるバイエルン州では、ユーロ6基準に合格したディーゼル車の購入助成まで提案されている。
日本からは見えにくいかもしれないが、ドイツではディーゼル派が強い。ディーゼル車の燃料は税制上優遇されていて、環境派がいくら批判してもガソリンより安いままである。メルケル首相をはじめドイツの政治家は、ディーゼル車を「重要な過渡期の技術」だと強調する。
ドイツの自動車メーカーには背に腹は代えられぬ事情があり、ディーゼル車と関係している。それはEUの二酸化炭素(CO2)排出量に関する規制だ。自動車メーカーは、2021年までにCO2の平均値を走行1キロメートル当たり95グラム以下に抑えなければならない。その後も2025年には2021年と比べて15%、2030年にはさらに15%減らさなければならないのである8。
本来、ドイツの自動車メーカーは燃費の良いディーゼル車によってCO2排出規制に対処しようと思っていた。ディーゼル車の排ガス不正問題が起きた結果、ガソリン車のプレミアムカーやSUVばかりが売れると、この規制に合格するのは困難になる。例えば業界誌によると、2017年2月の時点でメルセデス・ベンツもBMWも走行1キロメートル当たりのCO2排出量は123グラムと124グラムで、2021年の走行1キロメートル当たり95グラムという目標には程遠い9。VWのマティアス・ミュラーCEOも「2020年からは今よりずっと多くのEVを売らないといけない。そうしなければ、CO2排出規制目標に到達できずに高額な罰金を支払うことになる」と心配している10。
VDAのヴィスマン会長は(すでに引用したように)市販されるEVのモデル数の増加について「2年もしくは3年以内に」とか「5年もしくは8年以内に」などといった具合に期限を示している。そうであるのは、CO2排出規制が段階的に厳しくなるからである。このように考えると「ディーゼルスキャンダル」のために内燃機関から電気モーターに直線的に移行するのではなく、EUのCO2排出規制のために移行するのである。
ドイツの「電気自動車元年」は、これまで自動車メーカーが先延ばしにしてきたEVへの転換が前倒しされたことを政治家やメディアが騒いでいるだけで、現在、路上でEVを目にするのはまれである。目立つのは、20%近い成長率で爆発的に増加するSUVばかりだ。確かに2016年前半に0.6%であったEVのシェアが2017年には1.3%に増大したかもしれない。とはいっても、業界関係者は異口同音に本物の需要ではないという。
EVと水素自動車は政府から2,000ユーロ、PHVは1,500ユーロ、自動車メーカーからも同額の補助金が購入者に支払われ、この金額は決して少なくない。ところが、2018年初頭に担当官庁から用意された予算の10%しか使われていないと発表された。これも本物の需要がないことを反映している11。この状態も内燃機関で資金を稼ぐことにつながるので、利益の薄いEVに先行投資しなければならない自動車メーカーにとって、悪いことでないかもしれない。
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1 http://www.stuttgarter-zeitung.de/inhalt.streit-um-post-elektroauto-daimler-dementiert-spionage.3ea87be3-98db-45b0-9dc0-2291db48edce.html
2 「電気自動車が消える国-ドイツ自動車業界のこれから」2016年7月12日付掲載 ※EVとPHVの数字にはPHV、水素自動車などの次世代自動車を含む。
3 http://www.spiegel.de/wirtschaft/bundesregierung-bremst-in-bruessel-bei-elektromobilitaet-a-1163467.html
4 https://www.vda.de/de/presse/Pressemeldungen/20171206-wissmann-deutscher-pkw-markt-erreicht-hoechstes-niveau-des-jahrzehnts.html
5 http://www.manager-magazin.de/unternehmen/autoindustrie/automarkt-europa-neuzulassungen-fuer-diesel-autos-brechen-weiter-ein-a-1157699.html
6 https://heft.manager-magazin.de/MM/2017/9/152773869/
7 http://www.faz.net/aktuell/wirtschaft/wirtschaft-in-zahlen/grafik-des-tages-so-gross-ist-der-diesel-anteil-der-autohersteller-15131866.html
8 Capital 2018年1月号掲載のメルセデス・ベンツ・カーズ開発統括オラ・ケレニウス氏のインタビュー(34ページ)
9 https://www.automobilwoche.de/article/20170218/AGENTURMELDUNGEN/302189997/co-flottenwert-bmwsitzt-daimler-im-nacken
10 http://www.faz.net/aktuell/wirtschaft/automobilindustrie-vw-chef-kritisiert-branchenverband-vda-scharf-15357640.html
11 https://www.welt.de/print/die_welt/wirtschaft/article172118281/E-Praemie-fuer-Stromer-verpufft.html
M0305-0045
(2018年1月14日作成)